クラシックを知ろう。一流の男性が押さえておきたいピアニスト、グレングールドの独自のスタイルと音楽
今もジャンルを超えて多くの人を惹き付けるピアニスト、グレン・グールドには一見エキセントリックに見えるそのスタイルに関する逸話が残されていました。それはどのようなもののだったのでしょうか。
- 8,982views
- B!
アイキャッチ画像出典:ecx.images-amazon.com
カナダの天才ピアニスト グレン・グールドとは
グレン・グールドはカナダのピアニスト(1932-1982)。作曲家でもありました。バロックから現代音楽まで数多くの作品を演奏しましたが、特にバッハの演奏で有名です。
3歳から声楽教師であった母親からピアノのてほどきを受け、子供の頃から神童ぶりを発揮、 14歳の時トロント交響楽団との初リサイタルでカナダで高い評価を得た後の1955年にはアメリカで衝撃デビューを果たします。
以後数々の巨匠演奏家と競演、その才能あふれる演奏や人となりは常に注目の的となりました。
極上のパフォーマンスを引き出すための椅子の高さ
グールドの弾くピアノの椅子は高さが約35センチ。グールドはいつも父親がグールドの為に作ったこの椅子を持ち運んでいました。
低い椅子に座ると肘が手首より低くなることにより無駄な力が入らず指だけで弾くためといわれています。
グールドの技術は他のピアニストがその録音を聴いて「本当に実際に弾いているのか」と驚く程の完成度でした。
曲の構造を歌で確かめながら弾く
グールドはいつも曲に合わせて歌いながらピアノを弾いていました。また左手で指揮をとりながら右手で弾くこともありました。幼い頃から歌を歌っていた習慣が残っていたこともありますが、歌うことによって曲の構造を把握し、同時に演奏に取り入れていたのです。それは天才独自の脳の構造にも関係がありました。<br />頭の中に曲の構成を歌でインプットし頭の中のイメージを的確なものにしました。そのためグールドはあまり練習をしなくても難曲をすぐにひきこなすことができました。<br />演奏は歌うことと切り離せないものだったので、レコーディングでも黙って弾くことができませんでした。技術者泣かせのグールドですが、耳を澄ませばハミングが聴こえてくるのがグールドのCDの特徴です。<br />
自分のこだわりもファッションにしてしまう
グールドは夏でも帽子、マフラー、手袋、コートという完全防備のファッションをしていました。それは外部との接触によって菌が感染するのが怖いという極度の潔癖性だったから。
ファンの握手にも応じたこともなかったといいます。普通ならファンは離れていきそうですが、チャーミングなその人柄とルックスで女性ファンを魅了しました。
自分のこだわりを通しつつもセクシーに魅せる術をわきまえていたのです。
どんなときでも自分の解釈を曲げない
いままでのクラシック音楽の演奏の枠に収まらない独自の音楽解釈で演奏したグレン・グールド。しかしそれは自分よがりのものではなく、作曲家について研究しつくした上での解釈でした。そしてどんなときでも曲に対する自分の解釈を曲げることはありませんでした。
グールドの頑固さを物語る指揮者バーンスタインとの有名な逸話があります。
1962年にカーネギーホールで行われたブラームスの協奏曲のコンサートでのこと。ぎりぎりまでバーンスタインとグールドのテンポや音の強弱に対する考え方が合わず、仕方なくバーンスタインが演奏の前に「ピアニストと指揮者とどちらがボスなのでしょう?」とユーモアを交えて説明をした上で、バーンスタインはグールドのテンポに合わせて指揮をしたのです。
巨匠バーンスタインでさえグールドの解釈を尊重したのは、グールドの芸術家としての真摯な姿勢をバーンスタインが認めていたからでした。
32歳でコンサート活動を中止してレコーディングに専念
グールドはニューヨークでその才能を認められ、一躍有名となった絶頂期の32歳の時に突然コンサート活動を今後一切しないと宣言しました。<br />聴衆の視線に煩わされたくないという意図から、以後はレコーディングによる レコード制作での発表となりました。<br />妥協を許さない音作りには スタジオ録音が最適であったことも理由の一つでした。グールドは納得がいくまで何度も録音を繰り返し、編集作業に没頭したのです。<br />グールドには様々な名演奏が残されていますが、その一つがバッハのゴールドベルグ変奏曲です。グールドは人生で二度のゴールドベルグ変奏曲を録音しました。一度目はアメリカでデビューして一作目となった 1955年の録音で二度目は亡くなる前の年の1981年に録音したものです。この2つの演奏はテンポが全く違うのが特徴的です。<br />
グールドのスタイルとは
このように一見変わり者としても有名なグールドですが、そのスタイルは一流の音楽を作るための必然性から生まれたものだったのです。
一流のプロの仕事をする人間は、仕事の完成度を最優先させることによってその人独自のスタイルが生まれます。その点においては芸術家もビジネスマンも共通したものがあるといえるでしょう。
常に完璧を目指したグールドの音楽がどのようなものだったのか、ぜひ体験してみてください。
この記事のキーワード
この記事のライター
面白いものや美しいものをいつも探して生きています。