【プロ野球の歴史】東北楽天ゴールデンイーグルス ~激動の10年間を振り返る~
2004年に起きた球界再編問題の渦中から誕生した東北楽天ゴールデンイーグルス。半世紀ぶりの新規参入、東北を本拠地とする初の球団、東日本大震災の被災地復興のシンボル、創設9年目の初優勝と日本一。様々な話題を呼びました。楽天球団の10年を振り返ります。(文中、敬称は略しました)
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50年振りの球界新規参入
オリックスバファローズの記事でご紹介した2004年公式戦の最中に表面化したオリックスブルーウェーブと近鉄バファローズの合併と、それに伴う球界再編問題。
選手会の強い要望で2リーグ12球団維持が決定。これに伴い、楽天とライブドアの2社が名乗りを上げ、最終的に楽天が承認されました。
新規参入は54年の高橋ユニオンズ以来、実に50年振りです。
最初の課題は選手の確保でした。この時に用いられたのが分配ドラフトという方式です。
まず、外国人選手などいくつかの条件以外の25選手をオリックスが合併前のオリックス・旧近鉄選手の中から優先保有し、それ以外の選手をオリックスと楽天が交互に指名獲得しました。
しかし、これだけでは長いシーズンを乗り切れません。他球団から戦力外となった選手や無償トレードなどで選手を確保し、楽天は初年度の戦いに臨みました。
初代監督には中日ドラゴンズなどで活躍した田尾安志が就任しました。
楽天の監督就任記者会見に臨む田尾安志監督(右)と楽天・三木谷浩史社長
歓喜の初勝利と屈辱の敗戦 ~創設1年目の苦難の船出~
球団初の公式戦であり、2005年の開幕戦となる3月26日の千葉ロッテマリーンズ戦はエース・岩隈久志が完投し、球団初勝利を挙げます。
それも束の間、翌日は0-26という歴史的大敗を喫します。2リーグ制以降の最多得点差となる屈辱的な記録となりました。
結局、初年度は38勝97敗1分、勝率.281で優勝したロッテから引き離されること47ゲーム差という結果でした。チーム最多勝は岩隈の9勝。他に5勝以上の投手がいないのですから、戦力差は明らかでした。田尾は1年限りで監督を辞任します。
球団創成期をエースとして孤軍奮闘した岩隈久志。
現在は米メジャー・リーグのシアトル・マリナーズに在籍
思うような試合運びができず、苦悩の表情の田尾監督
野村再生工場でチームも再生 ~球団初の2位に躍進、CS出場へ~
球団は、かつてヤクルトスワローズ(現東京ヤクルト)を常勝軍団に導いた野村克也を監督に招聘します。野村は就任1年目こそ2年連続最下位に終わりますが、翌2007年は4位にチームを押し上げます。
原動力となったのは、田中将大と山﨑武司です。
05年夏の甲子園の優勝投手である田中は、ドラフトで4球団競合の末、楽天に入団。1年目からローテーションの一角を担い、チーム唯一の2ケタ勝利11勝を挙げ、球団初の新人王のタイトルを獲得します。
中日に入団し、オリックスに移籍していた山﨑は04年オフに戦略外通告をされていました。しかし、田尾の要請で楽天に入団すると、野村の指導で再び開花、これも球団初の本塁打王と打点王を獲得しました。山﨑は史上3人目のセ・パ両リーグ本塁打王の記録保持者でもあります。
野村監督最終年の09年は、球団初の2位に躍進します。
クライマックス・シリーズ(CS)に進出し、3位の福岡ソフトバンクホークスを降しますが、北海道日本ハムファイターズに敗れ、日本シリーズ出場の夢は断たれました。
CS開催前に、球団は野村の退団を発表していました。試合終了後、楽天ナインはもちろんファイターズナインからも胴上げをされ、野村はグラウンドを去りました。
出典:mainichi.jp
入団記者会見の田中将大と野村克也監督
ウィニングボールを野村監督に渡す田中
楽天時代の山﨑武司。
球団初の本塁打王と打点王のタイトルを獲得した。
楽天監督として最後の試合で楽天ナインと日本ハムナインに胴上げされる野村監督
東日本大震災を乗り越えて ~「見せましょう、野球の底力を」~
2011年、球団は中日・阪神タイガースで優勝経験もある闘将・星野仙一を監督に招聘し、前年最下位からの再起を図ります。
しかし、開幕直前の3月11日、地元・東北を中心とした東日本大震災が起き、本拠地・宮城球場(以下同じ。当時クリネックススタジアム宮城、現楽天koboスタジアム宮城)も被災しました。
4月2日から2日間、全国の球場で12球団による東日本大震災復興支援試合が行われ、楽天は札幌ドームで日本ハムと試合をしました。試合開始に際して選手会長・嶋は「見せましょう、野球の底力を」とスピーチで述べ、大きな反響を呼びました。
被災地の避難所に慰問に訪れる星野監督
2011年4月29日、修復を終えたKスタ宮城(当時)での試合終了後、スピーチする嶋
創設9年目の歓喜の優勝 ~大黒柱・田中24連勝~
監督就任後、5位、4位で終えた星野監督3年目の2013年、楽天は球団創設9年目にして初のリーグ優勝を飾ります。その原動力となったのは球界のエースに成長した田中でした。
この年の楽天の成績は82勝59敗3分。勝越し数、所謂貯金は23です。田中の成績は28試合に登板して24勝無敗。たった一人でチーム全体の貯金以上を稼ぎ出した計算になります。
CSも3位から勝ち上がったロッテを降し、日本シリーズに進出。
セ・リーグを制した読売ジャイアンツとの戦いは7試合までもつれながら4勝3敗で楽天の優勝。最終戦の9回にマウンド上で胴上げ投手となったのは田中でした。
リーグ優勝決定の瞬間
リーグ優勝決定の瞬間の田中
日本シリーズ優勝を決め、胴上げされる星野監督
球団創設1年目の営業黒字の衝撃 ~覆った常識~
楽天は球団初年度の2005年に営業黒字を計上しました。
これまでご紹介したように、多くの球団が赤字を計上し、親会社が宣伝広告費として補填することが半ば常識となっていた球界で、他球団に衝撃を与えました。
参入時に県が保有する宮城球場の改修費用を全額負担する代わりに、営業権を獲得することにも成功しました。
同時に球界進出したことによって、運営する楽天市場の知名度は向上し、利用者も急増。テレビ局が楽天市場に出店しているショップを取材してニュースに取り上げるほど大きな宣伝効果を生みました。
インターネットテレビ、インターネットラジオといったIT企業ならではの強みを生かした試みも行っています。
宮城球場(現楽天koboスタジアム宮城)
東北楽天ゴールデンイーグルスのオフィシャルサイトです。
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この記事のライター
フリーライター。歴史・文学からビジネス、スポーツ等、幅広い分野において執筆を行う。