ベートーヴェンのおすすめ名曲15選を彼の生涯や逸話とあわせてご紹介
今回は誰でも知っているあの作曲家「ベートーヴェン」の代表的な作品について、彼の生涯と逸話も含めてご紹介して行きます。
ベートーヴェンは音楽史上最も重要な古典派とロマン派の橋渡し的役割をした音楽家です。彼の魅惑の名曲をご堪能ください。
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アイキャッチ画像出典:www.flickr.com
ベートーヴェンの歩んだ生涯
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは1770年〜1827年を生きたドイツの作曲家です。音楽史上最も重要な作曲家と言えます。古典派音楽からロマン派音楽へと音楽会を移行させた人物です。
ベートーヴェンは「虐待」に近い音楽教育を受けていた
ベートーヴェンは、宮廷歌手の父と宮廷料理人の娘である母との間に生まれました。ベートーヴェンの父は宮廷のテノール歌手でしたが、酒癖が悪買ったために収入は不安定で、ベートーヴェン一家は困窮した生活を送っていました。そのような中ベートーヴェンの父は息子にモーツァルトのような音楽家になってほしいという想いを抱き、熾烈なスパルタ教育を施しました。そのために、ベートーヴェンは一時は音楽に対して嫌悪感を抱くほどになっていたようです。
ベートーヴェンの「苦しい」青年時代
ベートーヴェンは苦悩に満ちた青年時代を送ったとされています。ベートーヴェンは16歳の頃にウィーンに留学をしましたが、そのすぐ後に母親が肺結核によってなくなり、アルコール依存症のために失職していた父に代わって家計を支えるようになりました。父以外にも幼い兄弟たちの世話もしなくてはならなく、苦労が絶えなかったようです。
「難聴」を患ったベートーヴェンの苦労
20歳代前半のベートーヴェンはピアノの名手として名を馳せていました。しかしながら、20歳代後半から難聴が悪化し、28歳の頃にはほとんど耳の聞こえない状態になってしまいました。ベートーヴェンは音楽家でありながら耳が聞こえないという絶望感を味わうことになります。一度は自殺までも考えたベートーヴェンでしたが、なんとか苦悩をのりこえ、精力的に作曲活動をしていくことになります。
精力的に作曲活動を行う10年間
ベートーヴェンはこのような苦難を味わいながらも作曲を忘れませんでした。そして1804年に交響曲第3番『英雄』を完成させることとなります。この『英雄』の完成を皮切りに、ベートーヴェンは、「傑作の森」と呼ばれる時期に入ります。「傑作」を次々と完成させていくのです。40歳ごろには全く耳が聞こえない状態になってしまい、一時作曲を中断しますが、その後交響曲第9番などを完成させて行きます。
ベートーヴェンの晩年
ベートーヴェンの死因は肝硬変でした。死因は肝硬変でしたが、死の直前には肺炎やその他の臓器不全など様々な病気に苦しめられました。ベートーヴェンは生涯を通して苦悩の耐えなかった人物でしたが、葬儀には、2万人もの人々が駆けつけ、その死を悲しんだと言います。
ベートーヴェンの有名曲
今回は次のような名曲をご紹介して行きます。
ピアノ曲
■ピアノソナタ第14番「月光」
■ピアノソナタ第8番「悲愴」
■ピアノソナタ第12番「葬送」
■ピアノソナタ第23番「熱情」
交響曲
■交響曲第3番『英雄』
■交響曲第5番『運命』
■交響曲第6番『田園』
■交響曲第7番
■交響曲第9番
協奏曲
■ピアノ協奏曲第3番
■ピアノ協奏曲第5番変ホ長調『皇帝』
■ヴァイオリン協奏曲
序曲
■エグモント序曲
■コリオラン序曲
■序曲「レオノーレ」第3番
ベートーヴェンのピアノ曲
ピアノソナタ第14番『月光』
ベートーヴェンの三大ピアノソナタの一つである「月光」。かなり有名な曲なので聞いたことのある方も多いのでないでしょうか。「ムーンライト・ソナタ」とも呼ばれ、短調の物悲しい曲ですが、その一見単純な譜面からは想像できないほど美しく、叙情的な曲となっています。この曲はベートーヴェンの弟子であり、恋人でもあったジュリエッタ・グイチャルディに捧げられた曲です。
ピアノソナタ第8番『悲愴』
ベートーヴェンの難聴が発覚した時期に書かれたピアノソナタ第8番「悲愴」。この曲もベートーヴェンの三大ピアノソナタの一つです。ただし、難聴が発覚した悲しみから書かれた曲、というわけではありません。この「悲愴」は人生の様々な悲しさを経験したベートーヴェンの魂から発露した名曲です。この2楽章もただ悲しみを表現した曲というよりは、悲哀を超えた先にある美しさを表現した曲と言えるでしょう。
ピアノソナタ第12番『葬送』
ピアノソナタ第12番は『葬送』という副題がつけられていますが、これは、第三楽章が「ある英雄の死を悼む葬送行進曲」という副題がつけられていることから来ています。この曲は1801年に完成され、ベートーヴェンが極めて順調な創作活動を送っていた時期に作られました。全曲の核となるのが第三楽章「ある英雄の死を悼む葬送行進曲」です。この「英雄」が誰なのかは、現在まで明らかにされておらず、特定の人物を指すものではないというのが定説です。
ピアノソナタ第23番『熱情』
ピアノソナタ第23番『熱情』はピアノソナタ第8番『悲愴』、第14番『月光』と並んで、ベートーヴェンの三大ピアノソナタに数えられています。このピアノソナタは歌劇『フィデリオ』のスケッチに混ざる形で構想がなされており、同じ時期に完成されたと考えられています。この時期はベートーヴェンが精力的に作曲していた時期でもあり、難聴が進んでしまい、作風が大きな転換点を迎える時期でもありました。
ベートーヴェンの交響曲
交響曲第3番『英雄』
交響曲第3番『英雄』は、1804年に作曲された交響曲です。「エロイカ」という別名もあります。また第二楽章には『葬送行進曲』という副題もつけられています。フランス革命後のナポレオンを讃える曲として作曲されましたが、完成後にナポレオンが皇帝に即位したことによって「彼も俗物に過ぎなかった」と激怒し、ナポレオンへの献辞の書かれた表紙を破り捨てた、というのは有名な逸話ですね。そのタイトルの通り、英雄的な壮大な曲となっています。
交響曲第5番『運命』
誰もが知っているであろう「ダダダダーン」というフレーズ。
ベートーヴェンはこのフレーズだけでこの曲を作ってしまうのですからやはり天才です。
世界三大交響曲の一つとしても数えられる有名すぎる交響曲、ベートーヴェン作曲交響曲第5番『運命』。
有名な「ダダダダーン」というのは「運命の動機」と呼ばれています。この「運命の動機」は第一主題として使われるだけでなく、第二主題、第三主題、と様々な主題が登場してもなお、バックでまとわり続けます。この「運命の動機」が穏やかな旋律の裏に流れ続けることによって、この交響曲に緊張感を生み出ているのですね。
第1楽章 Allegro con brio
第2楽章 Andante con moto
第3楽章 Allegro. atacca
第4楽章 Allegro - Presto
交響曲第6番『田園』
交響曲第6番は風景などを音楽で描写した「標題音楽」です。描写された場所は、ベートーヴェンがこよなく愛していたウィーン郊外のハイリゲンシュタットの田園風景であり、そのために『田園』という副題がつけられています。古典派交響曲としては異例の五楽章構成になっており、全楽章に次のような描写的な表題がつけられています。
第一楽章:田舎に到着したときの愉快な感情の目覚め
第二楽章:小川のほとりの情景
第三楽章:田舎の人々の楽しい集い
第四楽章:雷雨、嵐
第五楽章:牧歌 嵐の後の喜ばしい感謝の気持ち
交響曲第7番
交響曲第7番はベートーヴェンの交響曲の中でも特に人気のある曲で、リズム重視の生命力にあふれた交響曲です。のだめカンタービレなどテレビ番組などでも多用されています。ワーグナーは、この曲を「舞踏の聖化」であると絶賛しています。1811年から1812年にかけて作曲され、初演についても成功したようです。古典的な交響曲の形式に則ってはいますが、全曲え比較的早い速度で曲が進んでいきます。
交響曲第9番
第九」という愛称でお馴染みであるのがこのベートーヴェンの交響曲第9番。
「第九」といえば年末に聞くことが多いですが、実はこの風習は日本だけ。
NHK交響楽団がまだ有名でなかった頃、年末に「第九」を演奏して、大成功。それから日本では「第九」を演奏することが流行しはじめました。「第九」は合唱つきであることから「合唱」もしくは「合唱つき」として副題をつけられることが多く、4人の独唱もついています。これほど大編成なのにここまで頻繁に演奏される交響曲は稀ですね。
第1楽章Allegro ma non troppo, un poco maestoso
第2楽章Molto vivace
第3楽章Adagio molto e cantabile - Andante moderato - Tempo I - Andante moderato - Tempo I - Stesso tempo
ベートーヴェンの協奏曲
ピアノ協奏曲第3番
ピアノ協奏曲第3番は、ベートーヴェンの作曲したピアノ協奏曲のなかでは、唯一短調の曲です。
この曲はハ短調で書かれていますが、ベートーヴェンのハ短調の作品は他に「交響曲第5番」があり、曲調としても交響曲第5番で表現されているような英雄的な悲壮感が受け継がれています。
ピアノ協奏曲第5番変ホ長調『皇帝』
『皇帝』はその名の通り堂々とした曲。でも実は、この『皇帝』というタイトルはベートーヴェン自身がつけたものではありません。この曲を聞いた人たちがその壮大さに感動してこう名づけたのかもしれませんね。ベートーヴェンはナポレオンへの賛同を示して交響曲『英雄』を書いているくらいですから(完成後、ナポレオン皇帝即位に激怒して『ある英雄の思い出のために』と書き換えたのですが…)この曲も自分の思い描く皇帝を描写したものなのかもしれません。
第一楽章:Allegro
いきなりのピアノ独奏。とてもよく知られているフレーズです。ピアノソロとオーケストラの儀式風のカデンツァがとても印象的です。内省的なピアノ協奏曲第4番とは全く異なる力強さが示されています。
第二楽章:Adagio un poco mosso
穏やかな曲調の第二楽章。変奏曲形式になっており、全体は3部から構成されています。
第三楽章: Rondo Allegro - Piu allegro
第二楽章からそのままなだれ込み、快活なリズムで始まります。
ヴァイオリン協奏曲
ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は1806年に作曲されました。ベートーヴェンの中期を代表する傑作の一つと言われています。先ほどもご紹介した通り、この曲はブラームスのヴァイオリン協奏曲・メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲と並んで、三大ヴァイオリン協奏曲として知られていますが、この曲の完成度はその二曲も寄せつけないほどであり、『ヴァイオリン協奏曲の王者』とも呼ばれています。特にこの曲の知名度を支えたのは19世紀を生きた天才ヴァイオリニストであるヨアヒム・ヨージェフであり、このベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を生涯演奏し続けました。
ベートーヴェンの序曲
エグモント序曲
エグモント序曲はベートーヴェンによって作られた劇付随音楽『エグモント』の序曲です。『エグモント』はゲーテの戯曲『エグモント』のために作られた音楽です。この戯曲はエグモント伯ラモラールの英雄的行為を題材に作られています。エグモント伯は16世紀の貴族で、王に疑いをかけられ死刑となった不遇の人物であり、圧政に対して叛旗を翻した英雄でした。ベートーヴェンはこのエピソードにインスピレーションを受けてこの音楽を作曲したようです。作曲当初もかなりの称賛を受けた曲として知られています。
コリオラン序曲
コリオラン序曲はベートーヴェンの作曲した演奏会用序曲です。もともと戯曲のために作ったわけでなありません。しかし、古代ローマの英雄コリオラヌスを題材にした戯曲『コリオラン』にインスピレーションを受けて作曲されています。ベートーヴェンは同時期に交響曲第4番、第5番、第6番の三つの交響曲に加えて、ピアノ協奏曲第4番、ヴァイオリン協奏曲などかなり多くの曲を書いており、かなりの作曲意欲の中この曲を作ったようです。
序曲「レオノーレ」第3番
レオノーレ序曲第3番は、歌劇『レオノーレ』を改定していく上で作曲された序曲です。歌劇『レオノーレ』は第二版として一度改作されていますが、その改作の際に序曲も合わせて改作されたのがこのレオノーレ序曲第3番です。展開部のトランペットと再現部のフルートソロが印象的です。ソリスティックなパッセージが人気を得ていますね。
音楽界の大重鎮ベートーヴェンの名曲
いかがでしたでしょうか。ベートーヴェンは音楽界の「大重鎮」。クラシック音楽を知りたいならば、まずはベートーヴェンの音楽をお聞きになってみてはいかがでしょうか。
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この記事のライター
クラシック音楽と文学と少々のお酒をこよなく愛する20代。現在は筋トレにハマりはじめている。慶應義塾大学在学中。