谷崎潤一郎の生涯とおすすめ15作品
谷崎潤一郎は、明治末期から戦後の昭和まで、長期間にわたって活躍し続けた作家です。その最大の特徴は、耽美で格調高い文章と、時に過激な性愛嗜好やフェチにすら走る通俗的なテーマとの見事な融合。
そんな際立った個性を持った作家の経歴と、おすすめ15作品の紹介をまとめてみました。
- 45,947views
- B!
アイキャッチ画像出典:commons.wikimedia.org
谷崎潤一郎ってどんな人?
1886年(明治19年)出生、1965年(昭和40年)没。
明治末期から昭和中期にかけて活躍した、近代日本文学を代表する小説家の一人です。
耽美派の一人にも数えられ、極端な性愛、マゾヒズム、フェティシズムを扱った作品も多々ある一方、高い芸術性を持った、端麗な文章を自在に操る作家としても有名です。
谷崎潤一郎の略歴
幼少期~作家デビューまで
谷崎潤一郎(本名)は、1886年(明治19年)7月24日、東京の下町、蠣殻町(現在の中央区日本橋人形町)に生まれました。3人の弟と、3人の妹のいる7人兄弟の長男です(生後3日で亡くなった長男がおり、戸籍上は長男ですが、実際は次男だったという説もあります)。
裕福な商家に生まれましたがやがて没落し、当時尋常小学校に在学中だった潤一郎は、経済的な苦境から次の学校へ進むことが困難になりました。しかし、学業優秀だった彼の才能を惜しんだ周囲の教師たちの援助を受けて、府立第一中学校(現・日比谷高等学校)へと進学しています。
その後、中学2年の1学期に、校長から一旦退学を勧告されました。これは素行不良や成績不良からではなく、編入試験を受けて1学年上に入りなおすように、つまり飛び級を勧められたのです。アドバイス通り試験を受けなおした彼は、2学期から3年生として飛び級し、さらに学年でもトップの成績を修めたそうです。
さらに名門高校である第一高等学校を経て、東京帝国大学の文学部国文学科へ進級しましたが、卒業することなく中退。原因は学費の未納でした。
一方、大学在学中に仲間と創刊した『新思潮』誌で発表した『刺青』が永井荷風により絶賛され、その後1911年(明治44年)に中央公論誌で『秘密』を発表。処女作から大物からのお墨付きを得た状態で、華々しく文壇デビューを果たしました。
谷崎潤一郎の生誕地跡。東京都中央区日本橋人形町にあります。
波乱の女性遍歴
谷崎が最初の結婚をしたのは1915年(大正4年)、29歳の時。元号は明治から大正に改まり、彼自身も、探偵小説やホラー小説といった新ジャンルの開拓に挑戦している最中でした。
相手は顔馴染みだった芸者の妹、石川千代。翌年には長女の鮎子も生まれましたが、夫婦仲はすぐに破綻しました。谷崎が、千代の妹せい子に好意を寄せるようになったからです。なんと、谷崎は妻子を実家に預け、当時15歳だったせい子と同棲するようになりました。
そんな千代夫人に、谷崎の友人である佐藤春夫がやがて好意を寄せ始めるようになりました。ちなみに、彼もまた既婚者です。谷崎は友人に妻子を譲ることを約束したのですが、土壇場でそれを撤回。二人は一時期絶交状態に陥ったのですが、約10年後に和解に至ります。なぜなら、谷崎には新しい恋人ができ、佐藤は元の妻と離婚して、「妻を譲渡する」条件が整ったからです。
谷崎と離婚した千代は、佐藤春夫と再婚、さらに、3人は連名でこの次第をしたためた挨拶状を関係者に送り、当時の世間を大きく騒がせました。
倫理的、道義的にどうなのか、という男女関係が頻出する谷崎作品ですが、事実は小説よりも奇なり、といったところでしょうか。
千代夫人譲渡後の谷崎は、翌年に恋人の古川丁美子と晴れて2度目の結婚をしました。しかし、この結婚生活もほどなく破綻。実は前々から目をつけていた人妻の根津松子が、嫁ぎ先の商家の没落で「狙える」と踏んだからなのです。
こうして早々に丁美子と別離した谷崎は、1935年(昭和10年)、49歳の時に松子夫人と結婚に至ります。3度目の正直で、ようやく彼は生涯を連れ添う「理想の伴侶」を手に入れたのでした。
関西への移住
さて、時代は少し巻き戻りますが、1923年(大正12年)に発生した関東大震災を機に、東京周辺を転々としていた谷崎は、一家を連れて兵庫県へと移住、以降、作家の活躍の場は関西へと移りました。
作家としての脂がのった時期というのでしょうか、『痴人の愛』、『卍』、『蓼喰ふ虫』、『春琴抄』、と言った、代表的な中短編が、この時期に続々と発表されていました。また、これらの作品の中にはせい子との同棲、千代夫人の譲渡、松子夫人への崇敬といった彼自身の女性遍歴が数多く反映されています。
谷崎潤一郎が50歳から7年近く住んでいた、兵庫県神戸市東灘区の「倚松庵(いしょうあん)」。
代表作の『細雪』大半は、ここで執筆されました。
戦後~晩年まで
一家で熱海や岡山に疎開しながら太平洋戦争期を乗り越えた谷崎は、終戦後すぐに『細雪』を発表します。これは、戦時下の厳しい文論統制の中、当局の目を盗みながら密かに書き溜めていたものです。『細雪』はたちまちベストセラーとなり、毎日出版文化賞、朝日文化賞を受賞しました。更に1949年には、作家自身も文化勲章を受章しています。
老齢気に入ってからも、彼の創作意欲は衰えを見せませんでした。このころの代表作は、『少将滋幹の母』、『鍵』などです。更に70歳を過ぎ、発作によって右手の自由が効かなくなってからもなお、口述筆記によって『瘋癲老人日記』、『台所太平記』などの作品を世に送り出しました。
こうして、明治から昭和まで、半世紀以上にわたって文壇上で活躍続けた文豪は、1965年(昭和40年)8月に79歳で亡くなりました。
遺骨は京都市左京区鹿ヶ谷の法然院に納骨されましたが、後に両親の墓がある東京都豊島区の慈眼寺に分骨。かつて文学論争を交わしたこともある、芥川龍之介と背中合わせの位置で眠っています。
『刺青(しせい)』
町人文化の花咲く江戸太平の頃のお話。
人々が競って刺青を彫り込む中で、元浮世絵職人の清吉という腕利きの彫り物師がいました。
客が肌を刺されて悶える様に言い知れぬ愉悦を感じていた彼には、更に内に秘めた宿願がありました。
いつの日か、光輝ある美女の肌に己の魂を込めた彫り物をしたい、と。
ある日、芸妓の使いで寄越されたまだ15,6の少女に求めていたものを見出した清吉は、彼女を部屋に連れ込むと麻酔で眠らせ、その背に女郎蜘蛛の刺青を一心に彫り込みます。
やがて麻酔から覚めた彼女は・・・。
谷崎潤一郎の処女作です。
持ち味である流麗な文体で、まるで映像のように再現される活気溢れた江戸の町並みと、遺憾なく発揮される倒錯した性的嗜好「足フェチ」、「女王様による被虐願望」。
この作品がダメな方は、たぶん他の作品もダメだと思うので、谷崎ワールドに飛び込むか否かを迷った方は、まずはこちらの短編から読んでみることをお勧めします。
『少年』
「萩原の栄ちゃん」こと私が、まだ10歳ぐらいの子供だった頃のこと。
「私」はいつも女中に付き添われている意気地なしの良家の子、塙信一に、自宅のお庭での稲荷祭りへと誘われました。彼の家は庭と座敷、離れの西洋館まである広大なお屋敷です。
私はそこで信一と、1,2歳年上で、学校ではガキ大将で通っている仙吉、13,4歳になる姉の光子と遊び友達になり、塙家に出入りするようになりました。仙吉は塙家の馬蹄の子、そして、姉の光子は信一曰く「妾の子」。4人で遊ぶ時に信一が見せる態度は学校でのおどおどした様子とは打って変わって傲慢で、支配者然としたその強さに私はいつも酷い目に遭わされながらも心惹かれていたのでした。
しかしある晩、私と仙吉は、信一ですら入ることを許されなかった洋館に光子の手引きで招き入れられ、それから、4人の力関係は一変するのでした・・・。
教科書には絶対載せられない、少年少女たちの倒錯した感情を描いた作品です。
『金色の死』
「私」と岡村は、少年時代からの友人でした。やがて小説家として歩み始めた私に対して、人間の肉体こそ至高の芸術だと主張する岡村は、常日頃「独創的な芸術」を生み出して見せると豪語するものの、自己の肉体を鍛えたり、豪奢に着飾ったりするばかりで一向に実行する気配を見せません。
やがて伯父から莫大な財産を譲り受け、いよいよ計画の実現に着手した彼は、ついにお披露目として、私を箱根の奥地に買い占めた広大な敷地へと招き入れます。「彼自身の芸術」とは、単に古今東西の芸術品のレプリカと、それを随所に配した粋を凝らした幾棟もの建造物の集合体だったのです。しかし、彼の言う「芸術」には、更に次の段階がありました・・・。
作品が執筆されたのは大正前期、華々しい文壇デビューを果たした谷崎潤一郎が、作家としての次の一歩を模索していた期間にあたります。この時期の作品群は、彼にとっては納得の行く出来ではなかったようで、後に『谷崎潤一郎全集』が編纂されるにあたり、作者自身は本作の掲載を拒絶しています。
模造品の寄せ集めで創った「天国」の中で、愉悦に浸ったまま死に至るナルシストの男の話。皆さんの目にはどのように映るでしょうか。
『富美子の足』
江戸から続く老舗質屋のご隠居、塚越老人。彼は、60過ぎても女道楽が止まず、家族からは絶縁も同然で、妾の富美子と共に隠遁生活を送っていました。西洋画家を目指して地方から上京した「僕」こと宇之吉は、遠い親戚筋として塚越老人を頼りにしたことをきっかけに、やがて彼のもとに通い詰めるようになりますが、ある時、塚越は僕に富美子の肖像画を描いて欲しいと依頼してきたのです。その意図を突き詰めるうちに、僕は塚越とある性癖を共有していることに気付き始めました・・・。
鮮明で艶かしい描写、舐るように連なる賛辞、自身の性癖を晒すことに躊躇いの無い作者自身の胆力。
全てに突き抜けた凄みを感じる・・・端的に言えば、足フェチの話です。
『私』
「私」が一高生であったころ、寄宿舎内で盗難が頻発する事件がありました。
曰く、犯人は寄宿舎内部生の疑いが濃い。曰く、犯人は私と同じ、下り藤の紋付の羽織を着ていた、と。
同室の学生の4人の中で、一人、私のことを毛嫌いしているらしい平田は、どうやら私を盗人だと疑っているようなのです。残りのルームメイト、樋口と中村は私の潔白を信じてくれています。けれども、平田の厳しい疑いの目と、そんな私の立場に同情を寄せる樋口たちの気遣いが重圧で、私は次第に居たたまれない気持ちでいっぱいになっていきました。そして・・・。
叙述トリックを用いて、文字通り「盗人猛々しい」を体現して見せた、切れ味の良い短編。
多くの著名作品の陰に隠れて、あまり目立ってはいませんが、実は谷崎はミステリー小説、ことさらに、犯罪そのものに焦点を当てた犯罪小説も数本残しています。そういえば、背徳的なもの、反道徳的なものと独自の美学を絡める彼の作風は、この手のジャンルと親和性が高そうですよね。
『痴人の愛』
「模範的なサラリー・マン」である河合譲治は、カフェの女給として働くまだ十五、六の少女、ナオミを見初めると、自分好みの女性に育てようと手元に引き取ることにしました。
目論見通り、ナオミは成熟するにつれ美しさを増し、譲治は彼女を妻として愉悦に浸るのでしたが、次第にナオミは彼以外の男友達を侍らせては、奔放に外の世界へ飛び出していくようになります。夫として、養育者としてナオミの上に君臨していたはずだった譲治はやがて、彼女の魅惑的な肉体の前に屈し、主導権を奪われたまま嬉々として破滅へと向かって行くのでした。
年下の女性を自分好みに育成しようとしたけど、育った娘は言うことを聞いてくれなかった、で、一ひねり。でも、そんな我儘娘の言いなりになるのが快感になってきてしまった、で、二ひねり。
二回転ひねりを効かせた、「谷崎流」光源氏の物語です。
『卍』
物語は、大阪の良家の若妻であった柿内園子が、「先生」に過去の罪業を告白する、という形式で進みます。
夫に不満を持っていた園子は、日本画の勉強に通い始めた技芸学校で出会った一つ年下の女生徒、徳光光子と互いに惹かれ合い、禁断の関係に陥りました。やがて発覚した光子の交際相手で、性的不能者である綿貫、妻の同性愛に勘付き始める夫、孝太郎。
同性愛、偽装妊娠、狂言心中、そして不倫に三角関係と、妖婦光子を中心とした4人の愛憎劇の終局は・・・。
谷崎作品でもトップを争う毒婦の光子と、目を背けたくなるようなドロドロした人間関係と。
倒錯した性的嗜好に満ち満ちながら、ほぼ全編が園子の「大阪ことば」による柔らかな告白で綴られて、油断するとおぞましさを品のある色気と錯覚してしまう。そんな危うい魅力を湛えた作品です。
『蓼食う虫』
東京から関西に移り住んだ夫婦、斯波要とその妻美佐子。
二人の関係は冷え切っており、要は娼館へ通っているし、美佐子には夫後任の不倫相手がいます。
お互い憎み合っているわけでもなく、子供も居る、世間体もある。離別というゴールは揺るぎ得ないが、互いに相手から切り出してくれないかと、「その時」を消極的に待ち受けている・・・。
お互いに破綻を認識し、離婚の合意まで至っているのに、なかなか最後が踏み出せない夫婦関係。その奇妙に間延びした緊張感が、淡々と描き出された作品です。
『春琴抄』
江戸の末期か明治初期、大阪の薬種商鵙屋に生まれた春琴という娘。9才で病により失明した彼女は、美貌と琴三絃の技芸に秀でていた一方、大変に高慢な女性でもありました。彼女の世話係として選ばれたのが、鵙屋の丁稚奉公であった佐助で、彼はとあるきっかけで彼女に弟子入りすることになります。
やがて春琴が琴三味線の師匠として独立すると、佐助も彼女に付き従い、その理不尽な我儘に振り回されながらも、辛抱強く仕え続けていきました。
ある日、春琴に恨みを募らせた何者かが自宅に侵入し、彼女の顔に煮え湯を浴びせる事件が起こりました。一命は取り留めたものの、大火傷でただれた自分の容貌を見られることを嘆く春琴に、佐助が取った行動は・・・。
主題は究極に我儘な女王様と、文字通り盲目的な崇拝と献身を捧げる男との支配―隷属関係が、絵巻物語の如く雅やかな古文調に綴られた、純和風なのにエキゾチックな耽美小説です。
『陰翳礼賛』
例えば、部屋の四隅に仄暗い闇を残す燭台の明かり、例えば黒や茶、赤の闇を塗り重ねたような、漆器の色合いなど・・・。光明の下に照らしきれない「闇」の存在と、日本の伝統的な美の在り方について考察したエッセイです。
作家の美意識の所在が明らかにされ、数多い彼の作品の読み説きも深めてくれるでしょう。
『猫と庄造と二人のおんな』
福子は夫の前妻、品子から来た手紙に戸惑っていました。「お宅で飼っている、猫のリリーを下さい」
猫好きのようにも見えなかった品子が、いまさらリリーを欲しがるのは何故だろうか、かつて愛した男との、思い出のよすがにしたいのか?それとも、半ば強引に追い出された鬱憤をこの小動物で晴らそうというのか?
前妻の隠された本意を見透かせず、悶々とした福子でしたが、とうとう夫に、猫を品子へ譲るようにと説得にかかりました。
「庄造は貴女より猫を大事にしているのではないですか?」
福子の指摘に、彼女にも思い当たる節がないわけではなかったのです・・・。
一匹の猫を間に挟み、愛情と嫉妬の駆け引きに振り回される男と女の軽妙なコメディです。
「ペットのはずの猫なのに、仕えているのはどう見ても自分」・・・そんな猫好きあるあるは、昨今始まった風潮ではないようですね。
『細雪』
かつては大阪でも屈指の名家であった船場の商家、蒔岡家。やや下り坂とは言っても、未だ上層階級の位置にあるこの家に、四人の姉妹がありました。
大阪の本家から、婿養子の夫の転勤で東京へと越すことになった長女の鶴子、子の養育に手を焼きながらも芦屋にある分家でのんびりと暮らす次女の幸子、「一番の美人」のはずなのに、なかなか縁談のまとまらない三女の雪子、恋愛沙汰のトラブルを次々引き起こす、自由奔放な末っ子の妙子。物語は雪子の見合い譚を中心に展開し、昭和13年の阪神大水害や、満州出兵などの世情を織り交ぜつつも、四季折々の行事やに親しむ四姉妹の悲喜こもごもが煌びやかに描き出されています。
太平洋戦争の只中に執筆を始め、陸軍当局に連載を差し止められたり、GHQの検閲対象になったりと、紆余曲折を経て発表された谷崎潤一郎を代表する長編。
読点を抑え、淀みなく流れる地の文と、船場言葉の上品なのどやかさが活きた会話文。二層の文章が絡み合って織りなす心地よいリズムは、まさに「美しい日本語」。純日本的なものへの指向を高めつつあった作家の心血が注がれた作品です。
『少将滋幹(しげもと)の母』
謀略の末、甥である左大臣藤原時平に、妻である北の方を奪われた大納言藤原国経。
それにより、二人の間に生まれた幼い滋幹も、母と強制的に引き離されることになりました。成長して滋幹は少将にまで昇り詰めましたが、母の面影は依然として忘れられず、その思慕を日記に書き綴ります。そして、40年余りの時を経て、ようやく再会の時が訪れました…。
酒に溺れ、神仏に縋ってもなお奪われた妻への思いが断ち切れない国経、浅ましい計略で伯父から妻を盗み取る時平、あわよくばと横恋慕の機会を窺う平中、そして、思い出の中の美しき母の面影に囚われる息子の磁幹。
「女が絡むと男ってやつは・・・」が、諸々綴られた古典風の読み物です。
『鍵』
夫婦の性生活を日記に書き付けることにした初老の夫。妻の郁子が日記を盗み見ていることを確信していた彼は、日記への仄めかしと日常の立ち回りとで、娘の敏子の縁談相手となるはずだった大学生、木村と、郁子とが不倫に陥るよう仕向けて行きます。全ては衰えつつある性欲を嫉妬によって取り戻すため、また、妻の持つ淫婦の資質を目覚めさせるためでした。
一方、妻の郁子も同様の日記を付け始めるようになりました。「私は夫の日記の盗み見などしない、けれど夫が私の日記を盗み読んでいるのは知っている」
さて、不倫を通じた郁子は夫の思惑通り、淫蕩さを増してゆきました。性欲に溺れ、嬉々として不健全な生活に耽溺し行く夫はやがて・・・。
夫と妻、二人の日記を交互に並べて夫婦間の秘め事を赤裸々に描き出したストレートな官能小説・・・と思いきや、終盤に至って、実は恐るべきサスペンスドラマであったことが明かされるこの作品。夫パートの日記はカナ漢字交じりの文体になっており、慣れるまでカタカナの羅列に若干読み辛さを感じるかもしれませんが、ぜひ最後まで読み進めて頂きたいと思います。
『瘋癲(ふうてん)老人日記』
卯木督助77歳、既に性的機能は衰え、度々襲われる身体の不調は確実に人生の晩節に差し掛かった身空です。
いつ死んでもよい覚悟はできていますが、だからといって委縮した日々を送るつもりは毛頭ありません。
歌舞伎を愉しみ、美食を愉しみ、果ては息子の嫁である颯子に入れ上げ、金品を貢いで「おさわり」の許しを請うてみたり。
一方では自身の最期に向き合って、死後の墓選びにも赴くのですが、ここでもまた、己が性癖の命ずるままに、とんでもないアイディアを思いつくのでした・・・。
カタカナ文がびっしり羅列された老翁による日記・・・というと、思わずお堅い内容なのかと身構えてしまいそうですが、その実態は、ちょっぴり変態嗜好のあるお茶目なおじいちゃんによる徒然ブログ。
「生」も「性」も、老いを理由に投げ出したりするものか!
発表時に既に齢75歳を超えていた、作家自身のそんな気概が伝わってくるような作品です。
おわりに
どれをとっても作者の「美学」が全力で注ぎこまれた谷崎潤一郎作品。
美しい言霊と、妖しい魅力に満ちた作品の数々を、ぜひ手に取っていただければと思います。