短編の天才!芥川龍之介名作おすすめ10選
芥川龍之介といえば「芥川賞」が今でも実在するほどの有名人ですね。彼は「ストーリー性」というものを否定し、「話らしい話のない」小説を肯定しました。これぞまさしく芥川賞です。そんな彼が手掛けた有名な短編を10作品紹介します!
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アイキャッチ画像出典:designroomrune.com
「芥川龍之介」ってだれ?
芥川龍之介は日本の作家で、短編小説を得意とした人です。「芋粥」や「藪の中」「地獄変」などは『今昔物語集』『宇治拾遺物語』のような古典から物語が作られました。また、「蜘蛛の糸」や「杜子春」などは児童向け作品としても有名で、国語の教科書にも載りやすい作家となっています。
日本で最も有名な賞である「芥川賞」に名前を残したりと、日本作家として特に有名だったことが分かります。
彼の作品を、彼の生涯と共に紐解いていきましょう!
「羅生門」
芥川龍之介の作品の中で最も有名なものではないでしょうか?
教科書に載ったり、授業で扱うことが格段に多い作品です。授業でこれをやったことがある!という方は分かると思いますが、普通に考えたらよくわからない変な話です。テストもやりづらくはなかったですか?やはり中身のないように見える作品こそ芥川龍之介の特徴だったからでしょう。
あらすじ
平安時代。数日前解雇された下人は羅生門の下にいました。盗賊になろうか、とも考えていた下人でしたがそれにはどうも「勇気」が足りず羅生門の下で途方に暮れていたのです。
ふと、羅生門の二階に人の気配を感じ、下人は上へと登っていきました。楼閣の上には遺体が数多く転がっており、その中で一人の老婆が若い女の遺体から髪の毛を引きぬいていました。その行為に下人は苛立ち老婆に刀を向けますが、老婆は「この女も生前は生きるために悪いことをした。それならば自分も生きるために悪いことをしても許される」と言い始めるのです。下人の心に、この一言である「勇気」が生まれます。それは彼の正義を覆すほどの威力をもっていました。
最後の文章のゆくえ
最後の結びの文章は、かなり変えられていることを知っていますか?最初、最後は「下人は、既に、雨を冒して、京都の町へ強盗を働きに急ぎつつあつた。」となっていました。それが「下人は、既に、雨を冒して京都の町へ強盗を働きに急いでいた。」となって、最後「下人の行方は、誰も知らない」と今の形になったのです。この変化に一番敏感になるべきところは「強盗」という文字がすっかり最後の改変には抜け落ちている、という点です。それに注目するときに見つけておくべき言葉は本文中の「勇気」という言葉です。これは下人の強盗をする覚悟と直結しており、芥川龍之介がなぜ最後の文章をわざわざ変えてこの「強盗」という文字を消したのか、というところへも繋がっていきます。読者へ簡単に答えを与えるやり方を避けたかったのか、下人が強盗をしたのか否かを考えさせたかったのか、もう一度「羅生門」を読んで読み取ってみてください。
「羅生門」は1950年に日本映画として公開されています。監督は黒澤明。芥川龍之介の「羅生門」「藪の中」を原作として、人間のエゴイズムをより追及する形で描いています。撮影の仕方にも十分こだわっている作品です。羅生門という舞台にもこだわり、冒頭の雨のシーンも、水に墨を混ぜてホースで降らせたりしています。たくさんの賞を受賞した、こだわりたっぷりの作品になっています!
「鼻」
この「鼻」という作品は、芥川龍之介が夏目漱石から絶賛されたものです。
他人の不幸に同情して、他人の不幸を食べて生きる人間という存在を、この鼻に例えて表した作品になります。他人の反応に覚える作中に登場する僧の心はきっと、社会に生きている人なら誰しも感じたことのある身近なものではないでしょうか?きっと共感するはずです。
あらすじ
僧である禅智内供は、約15から18センチほどの長さのある滑稽な鼻をもっていました。これは当たり前のように人々にからかわれる対象となり、陰口を言われ続けていました。内供は自尊心を傷つけられながらも、鼻をまったく気にしていない風を装い続けます。
ある日、内供は弟子によって鼻を短くする術を知ります。この方法を使い、見事鼻を短くすることに成功した内供は、もうこれで自分を笑うものはいなくなる、と自尊心を回復させていきました。しかし、短くなった鼻は、またしても人々の笑いものになります。それが長かった頃よりも馬鹿にされているような気がして、内供は鼻が短くなったことを逆に恨むようになりました。
他人の不幸を食べる
この作品は『宇治拾遺物語』の「鼻長き僧の事」を題材として作られました。ある教訓が芥川龍之介の作品にはどこにでも隠されているのですが、ここでは「他人の不幸」というものがポイントになります。私達人間は自分よりも不幸な人がいると、自分の立ち位置に半ば安心を覚えてしまいます。この「鼻」はその心理をうまく利用した作品であると言えるでしょう。自分よりも幸福な人は嫌だけれど、自分より不幸な人を見ていると安心する。人間の本心が丸まる作品にあらわれています。そして周りの人間にも注目ですが、この僧自身にも注目ですね。自分の不幸をなんとかしようと鼻を短くして、それすらも馬鹿にされるので今度は鼻を元の長いものに戻したいと思います。これは人間のエゴにも繋がっているのではないでしょうか?人間の痛い部分を見事に突く作品です。
「芋粥」
この作品は『今昔物語集』の第26巻を元に書かれた作品です。
ただ一つ芋粥を食べたいという欲求が物語を転がしてゆくというこれぞ短編といった話になっていますが、おそらく大抵の方が「中身がなくない?」と感じるのではないでしょうか。そこが芥川龍之介の作品の魅力であり、正しい感じ方ですが、もう少しだけ掘り下げて作品を感じてみましょう。
あらすじ
主人公は40過ぎの小役人です。彼は才覚もなく見た目も貧相という良いところの何ひとつない男で、同僚からも馬鹿にされ、道で遊ぶ子供たちにも罵られる情けない日常を送っていました。しかしそんな彼の中にもある一つの「いつか芋粥を飽きるほど食べてみたい」という欲求が生まれていくのでした。
ある集まりの際、その欲求を偶然耳にした藤原利仁が男に「それなら私がご馳走してあげましょう、北陸の私の領地までいらっしゃい」と言います。彼は戸惑いつつその申し出に応じて彼の領地まで向かい、目のまえに出された大鍋にいっぱいの芋粥を目にするのでした。
「飽きるほど食べたい」の意味
芥川龍之介の「芋粥」はテレビドラマとして放送され、1959年に一回、1962年にも一回放送しています。
この「芋粥」はNHK『こども名作座』で放送されたことからも、何か教訓となるべき事柄が作中に盛り込まれていると考えることができます。芥川龍之介の特徴の一つでもあるこの「教訓」ですが、この「芋粥」ではまさしく子供に向けてメッセージを送っているのではないでしょうか?「飽きるほど」という言葉の意味を軽々しく使っていたりはしませんか?言葉の綾だとは思いますが、このたった一言がこの男のような結果を招くことにもなるかもしれません。芥川龍之介の教訓をしっかり掴みつつ読んでみてください!
「蜘蛛の糸」
芥川龍之介の作品の中で一番と言ってもいいほど有名な作品ではないでしょうか?
よく子供番組などでもアニメーションになって放送しています。これこそ子供に見てほしい作品なのかもしれません。教訓盛りだくさんの一作をぜひ、大人の目線で読んでみてはいかがですか?
あらすじ
釈迦はある時、ふと下の地獄を覗き込んでみました。そこには罪人たちと一緒に苦しんでいるカンダタという男がいて、そのカンダタという男が生前一匹の蜘蛛を踏みかけて止め、きまぐれに命を助けたという善行があることを釈迦は知っていました。それを思い出した釈迦は、よし、彼を救ってやろうという気持ちで、一本の蜘蛛の糸をカンダタめがけておろしていきました。
「この糸を登れば地獄から出られる」そう考えたカンダタは目の前におろされた蜘蛛の糸にしがみつきました。ずんずん登ってゆくとふと下を見てカンダタはぎょっとします。そこには他の罪人たちがカンダタの後を追ってどんどん一本の蜘蛛の糸にしがみついて登っていたのです。
深まる「釈迦」の気持ち
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「青い文学シリーズ」というアニメーションが2009年に放送していました。その中に「蜘蛛の糸」はあります。キャラクターデザインを漫画「BLEACH」の原作者久保帯人が手掛け、マッドハウスによってアニメ化されました。アニメならではの美しい背景と、蜘蛛との出会いのシーンは印象的です。カンダタという中心人物を追ってアニメは作られていますが、ここで気になるのは「釈迦」の存在です。アニメでは完全に釈迦を遮断してカンダタの人生にスポットライトを当てていましたが、小説では釈迦によって話が展開していきます。釈迦は「散歩中」に気まぐれでカンダタを助けてやろうと思ったと書いてあります。つまり、釈迦にとって、このカンダタという存在はそれほど大きくなく、ただの暇つぶしであったともとれるのです。釈迦に慈悲がある、という根底を覆す話であるとも考えられるのではないでしょうか?
「地獄変」
芥川龍之介の作品はどれも教訓めいたものが盛り込まれているように感じますが、この「地獄変」はその中で少し異質な作品かもしれません。江戸川乱歩のような不気味さも含まれています。天才と名のつく者の究極を描いたものですが、あまりのリアルさに目が離せません。
あらすじ
絵仏師だった良秀は天下一の腕前を持ち、その能力は随分と評判がよかったのですが、その容貌はひどく恥知らずで高慢な性格でした。彼の似顔絵には魂を抜かれるなどという怪しい噂さえありました。ですが彼には美しい容貌と優しい性格をもつ娘が一人いました。彼女は大殿に気に入られて屋敷に入りましたが良秀はこれが気に入らないのでした。
ある時、良秀は大殿から「地獄変」の屏風絵を描くよう命じられます。引き受けた良秀でしたが、彼は「見たものしか描けない」と言い、絵を描くのに苦戦します。そうして牛車の中で焼け死ぬ女の姿を描きたいと大殿に訴えるのですが、大殿が用意したのは、牛車と良秀の娘でした。
究極の天才を描く
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「地獄変」は映画化、歌舞伎、テレビドラマなど数多く展開しており、やはりこれは映像化がされると迫力があります。文章の中からも狂気的な天才な絵師の、限界に臨む姿勢などが読み取れますが、これが文章から飛び出して実際に人間が演じてみるとさらにその狂気さは増していきます。天才が求めた限界のその向こう側が、派生作品で見てみるとよりリアルに感じることができます。特に映画化は炎の演出が素晴らしく、芥川龍之介の文章をそのままに映像化しているのでオススメです。
「杜子春」
『赤い鳥』に発表された作品で、中国のものを童話化した短編になります。
原作との相違点もあり、芥川龍之介オリジナルのより児童向けの作品に仕上げています。原作よりも人間味のあふれた作品に変えられていて、より芥川龍之介を感じることのできる作品になっていると言えるでしょう。
あらすじ
杜子春という男が遊び暮らしているうちに乞食のようになり、老人に「ここを掘れ」と言われて掘ってみるとそこからは黄金が現れ、杜子春はその度に遊んでくらしました。それを繰り返すうちに、一文無しになってしまえば冷たくなる人間たちに嫌気がさし、そして老人が仙人だと見破り自分にも仙術を教えてほしいと頼み込みます。仙人に「では、何があっても口をきいてはいけない」と言われて杜子春はどんなことがあっても口を開きませんでしたが、目のまえで苦しむ両親の姿に杜子春は思わず「お母さん!」と叫んでしまったのです。
人間の心のありかたを説く
原作との違いは、最後の「お母さん!」というシーンにあります。ここは原作では、女に生まれ変わった杜子春が結婚しても喜びの声一つあげずにいたことで夫が怒り、子供をたたき殺してしまうという、あまりにも残酷な話になっているのですが、ここを芥川龍之介は童話として両親という存在に変え、両親が目の前で責め苦にあっている状況の中で、杜子春はどうするのか、と子供にも考えさせる内容になっています。アニメーションや漫画にもなっており、多くの子供に質問を投げかけるような作品になっていると言えるでしょう。テレビアニメは1979年に『赤い鳥のこころ』で映像化され、1981年にもスペシャルアニメとして放送されています。
「藪の中」
最後まで読んでも答えが見つからない、そんな話が読みたい方はこちら!
藪の中は本当にすべてが謎に包まれていて、この話が解読できた方はいないのではないでしょうか?文学の世界でも研究対象となりやすい作品ですが、芥川龍之介の本心に近づくことはやはり難しいように思います。最も難解な作品として有名です!
あらすじ
藪の中で一人の男性の死体が見つかるところから物語は始まっていきます。検非違使に尋問された証人たちの食い違った言い分と、それに続いてなんと当事者の告白までもがなされていきます。木樵や旅法師、放免、媼たちの証言が続いていき、「男を殺したのは私だ」という多襄丸の白状まで話は続いていきます。次の清水寺に来た女の懺悔では、夫を殺し自分を後を追うはずだったが死にきれなかった、という証言があり、最後に死霊となった当事者の話へと続いていきますが、当事者の話が終わった後も、犯行の全貌は結局見えてこないままなのです。
現代版「藪の中」
森見登美彦さんの手掛ける新釈シリーズの中に「藪の中」はあります。これは芥川龍之介の「藪の中」をなんとも大胆に現代版として再現した物語となっており、映画をとる三人の事を何人かが証言をしていく、という形をとっています。これは、実に私達現代人にはわかりやすくさらに青春小説へと早変わりしているために、読みやすい一作となっています。芥川龍之介の「藪の中」では少し気が引ける……という方は、まずはこちらの青春「藪の中」に手を出してみて、本作を読んでみてはいかがでしょうか?だんだんと事件の真相を突き止めてみたくなるはずです。
「猿蟹合戦」
日本の有名な民話である「さるかに合戦」を見事短編に落とし込んだこの作品。
日本人が知るさるかに合戦の、見事仇討ちを成し遂げたその後の様子を描いたものになっていて、民話の中ではけして描かれることがないであろう現実味を含んだ話となっています。
あらすじ
蟹は、臼、蜂、卵と一生に握り飯を奪った猿を殺して仇を取ったのですが、彼らはその後警察によって取り押さえられてしまい投獄されます。なんと主犯の蟹は死刑という結果になり、他の共犯者は無期徒刑の判決を受けます。
世間の目は蟹たちに厳しく、批判的でした。死刑は滞りなく執行され、残された蟹の妻は売娼婦となり、長男は株屋で働き始め、次男は小説家になりました。三男は蟹以外になれるはずもなく、やがて握り飯を食っていると木の梢には一匹の猿がいたのです。
巡る因果をあらわす蟹と猿
さるかに合戦という民話では、必ず猿=悪者、蟹たち=正義としてあらわされます。これはより子供たち分かりやすい勧善懲悪を表そうとしているからです。そこに芥川龍之介はもう一歩の教育的指導を盛り込むことに成功しました。それは必ずしも正義が正しいとは限らないという現実的思考です。ここまでいってしまうと児童文学としては少しやりすぎな部分もありますが、民話から一歩飛び越えてただ幸せに終わることはないことと、蟹たちが完全にいいことをしたわけではないことも示しています。そして気になるのがあらすじの最後、蟹と猿が再び出会うことを匂わせるシーンです。これはすべては繰り返す、という社会そのものを芥川龍之介が示しています。現代の社会と、そして民話とも比べてごらんください。
「蜃気楼」
芥川龍之介が自殺する半年前に書かれた作品で、「筋」というものがまったくない作品として有名です。芥川賞の基本ともなる「話のない話」を芥川龍之介はここで完成させたのではないでしょうか?彼の求めた文学の傑作をぜひ!
あらすじ
主人公「僕」は友人とともに蜃気楼を見に出かけます。しかしそこには蜃気楼は見えず、ただ青いものが揺らめいているだけです。どこか陰鬱な空気を感じた「僕」はなぜだかそこらにいる男女も不気味に感じ、日の光さえも不気味なものに感じます。友人が木札を拾いますが、それは水葬した亡骸につけられる十字架で、彼らはそれを見ながら亡くなった人々へ思いを巡らせてゆきます。彼らはそれきり分かれて、「僕」は次の日友人と妻を連れ浜辺へと出かけた。海の暗さと星のない空を見て、僕はまた何か「不気味」さを感じます。彼らの中に何かが起こるわけでもなく、ただ「僕」が違和感を感じて、すべてに「不気味」さを見出していくのです。
「蜃気楼」という曖昧なキーワード
この作品ではやはり「蜃気楼」がキーワードとなっていきます。ですが一体蜃気楼とは何なのか?気になるところです。蜃気楼というものはその存在自体があやふやなものであり、それは「生と死の境」とも言われます。この物語は確かに何事もなく過ぎていってしまってストーリーというものは何もないのですが、やはりその中で主人公の「僕」がこの蜃気楼に何かを感じて「不気味」さを覚え続ける。このことに重要な芥川龍之介のメッセージが隠されているのかもしれません。芥川龍之介が自殺する半年前になぜこれを書いたのかも合わせて考えてみると面白いかもしれません。
「河童」
雑誌『改造』に発表した作品で、芥川龍之介の自殺を考える上で欠かしてはならない一作です。当時の日本社会、人間社会を批判し、芥川龍之介の命日の7月24日が「河童忌」と呼ばれるきっかけにもなりました。芥川龍之介の晩年の代表作として有名なので、ぜひ一度手にとって読んでみてください。
あらすじ
精神患者が語ったものである、という前置きがあり、物語は進められていきます。彼は登山をしている最中に河童と出会います。河童を追いかけていくうちに河童の国へ迷い込み、そこでは人間社会とはまるで逆に雌の河童が雄の河童を追いかけ、胎児が生まれたくないと言えばすぐに中絶されます。河童の世界ではガスで安楽死させられた河童の肉を食用にして食べると言います。精神患者はあっけにとられてその様子を見ていました。ですが彼は河童の世界から人間の世界へ戻った時、この出来事を振り返り、河童は人間よりもよっぽど「清潔な存在」であると思い、対人恐怖は激化していくのです。
人間社会への批判と自殺
映画「河童」は2006年に公開されています。河童という実物しないものを映画で表したことで、芥川龍之介の求めた人間社会との乖離がより現実のものとなったような気がします。晩年、芥川龍之介はこのように社会を否定していって最後自殺という方法を選び社会からの別離を実現させましたが、この作品が2000年代に映画化されたという事実にはもっと価値があるのではないでしょうか?芥川龍之介が生きていた頃にはできなかったことが私達の社会ではこうして実現できているという証明にもなっているように思います。晩年に芥川龍之介が感じていたすべてがつまった「河童」という作品。映画からでも覗いてみませんか?
短編の魅力
いかがでしたか?芥川龍之介の短編を10作品紹介してきましたが、どれも本当に有名な作品ばかりです。特に芥川龍之介は誰もが知る作家なので知っていても損することは絶対にありません!短編ですのですぐに10作品読めてしまいます。芥川龍之介のその時の心境とともに作品を考えてみると、より深い読み方ができます。他の有名な作家も認める芥川龍之介の作品に、ぜひ触れてみてください。
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この記事のライター
太宰治、三島由紀夫を愛する本の虫武蔵野大学文学部所属フランス映画にハマっていますフランス語3級とるため勉強中