太宰治の名作厳選おすすめ10作品を映画とともに紐解く
日本人なら誰もが一度は耳にする「太宰治」。
ですが、教科書でしか知らない、名前だけ知っていて作品はよくわからない、という方が多いのではないでしょうか? 作品の数だけ色合いがコロコロと変わる太宰治の言葉を、映画という媒体とともに生きているうちにその心に刻み込んでみませんか?
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アイキャッチ画像出典:pbs.twimg.com
「太宰治」ってだれ?
太宰治は、1909年に青森県金木村に生まれ、本名は津島修治と言います。「晩年」を刊行し、石原美知子と結婚すると平穏な生活を得、「富嶽百景」や「女生徒」「走れメロス」などを執筆。「斜陽」でベストセラー作家となりますが「人間失格」を発表した後、「グッド・バイ」執筆中に玉川上水で入水し、自殺します。
とても有名な彼ですが、どうしても印象として「自殺した」「暗くて重い」というものが付きまといがちです。しかし彼の作品は非常に緩急があり、それぞれの作品によってカラーが随分と変わってきます。今回は、映画化というものを加えて太宰治の10作品を集めてみました。ぜひ、キーワードとともに太宰治のそれぞれの雰囲気を感じ取ってみてください!
「人間失格」
太宰治といえば、やはり「人間失格」。
かなり多くの人が手に取ったのではないでしょうか。いつまでも人の心に確かな想いを訴える、そんな本になっているからこそこの「人間失格」という本は人から人へ繋がってゆき、現代にまでその名を轟かせているのかもしれません。
そんな「人間失格」のおすすめポイントをお教えします!
あらすじ
「恥の多い生涯を送って来ました。自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです」
魅力的な一文が有名なこの「人間失格」は、人の皮を被ることで人間社会に溶け込もうとする一人の青年が主人公として話が始まります。学生生活を送る葉蔵でしたが、ついにその道化に気が付く人間が現れ葉蔵はこの存在に恐怖し、それを紛らわすべく酒や煙草、淫売婦などにずぶずぶと落ちてゆきます。「心中事件」を起こしますが自分一人だけ死ねず、葉蔵は子持ちの女性、バーのマダムにも手を出してゆくこととなります。唯一の救いであった一人の女性との出会いにより、葉蔵は一度「幸福」というものを知りますが、彼女は商人に犯されたと知り、葉蔵は自殺未遂を起こします。葉蔵は、もはや自分は「人間失格」なのだと称し、モルヒネを求めて薬屋へと通い詰め、引受人の男や悪友堀木によって脳病院へと入院させられた後、葉蔵は今までの自分の人生を振り返って自白を終えるのです。
映画で「人間失格」見事葉蔵を演じきった生田斗真
生田斗真さんの演じる映画版「人間失格」。
活字のものを演出によってうまくカバーした作品です。
本では分からなかった葉蔵の細かい表情や、セリフの裏に隠れた真の感情が、葉蔵を演じる生田斗真さんによって視聴者により多く伝えられています。活字の人間失格を読んだ人は、さらに奥深くの部分を知ることができ、まだ読んだことのない人も映画という分かりやすいものを見た後に、必ず太宰治の世界に浸りたくなるはずです。太宰治のメッセージが、作品の雰囲気に乗せて伝えられてくるものとなっています。
「人間失格」を読むうえでのポイントである、「幸福」とはなんであるか、「人間の一生」とはどこにあるのか、葉蔵の心の内側を活字より、より分かりやすく視聴者に伝えてくれます。
「駆け込み訴え」
短編集の一つである代表作でありますが、読んだことのある人は太宰治のファンの方ぐらいではないでしょうか。「人間失格」は知っていてもこの作品は読んだことがない、そんな人にも短く分かりやすい作品になっています。宗教的な作品でユダの内面が非常によく表れている作品なので、イエスやユダについての話は興味がある、という方には非常におすすめです!
あらすじ
ある男、ユダが駆け込んできて訴える、まさにタイトル通りという展開から物語は始まっていきます。
ユダは師であるイエスを売り、彼を死刑台にまで送りますが、この作品ではその死刑の日までのユダのイエスのぶつかり合いを描いています。
イエスはユダの心の中に裏切りの炎があることを見抜き、あの有名な「最後の晩餐」では、一人一人の弟子の足をイエス本人が拭き、そうしてユダの心に気が付いていることをほのめかします。ユダはイエスをだんだんと本心から愛することができなくなっていきます。そうして二人は最悪の別離を迎えるのです。
「DEATHNOTE」と「駆け込み訴え」を重ねて
キラとLの攻防をえがいた作品「DEATHNOTE」ですが、
この「駆け込み訴え」では映画とは少し離れてアニメでともに見てみましょう。
アニメ「DEATHNOTE」26話「沈黙」の一部分には、イエスがユダの足を拭き、彼の心を見定めていくシーンがそのまま使われています。キラとLという敵同士でありながら仲間を装い、騙しあっていく、その姿が見事イエスとユダの関係性とマッチし、「裏切り」というこの作品のテーマにも深く繋がっています。
また、反対にユダはイエスを心の底から愛し、その愛が裏返ったという意味を持つ二つ目の「裏切り」も、同じように含まれているのかもしれません。この歪んだ「愛」という部分にも注目です。
「走れメロス」
「人間失格」などの暗い作品とは一味違ったテイストのこの作品。「太宰は暗くて重いから読みたくない」
そう言っていた友人も、この本を読んで太宰治嫌いを克服しました。暗くて重い太宰治の作品が苦手な人でも大丈夫です、この「走れメロス」ならば明るく、そしてユーモアたっぷりの部分に楽しんで読むことができるはずです。
あらすじ
「メロスは激怒した」
有名な一文ですね。メロスという男は正義感にあふれた青年で、ある日ある町の暴君ディオニス王と対峙します。人を疑うことしかできない暴君王とメロスは言い合いの末、ある約束をします。それはセリヌンティウスという友を人質に、三日後の日没までに妹の結婚式を終わらせて町まで帰ってくることでした。メロスはこの約束を果たすべく、たった二本の足で走ってゆくのです。
旅の最中、メロスには数々の苦難が襲い掛かります。山賊に出会ったり、自分の弱い心と対峙したり。しかし人質にしてきた竹馬の友であるセリヌンティウスの命を救うため、王の失われた心を取り戻すため、メロスは走ります。そうして、ぎりぎりの場面、約束通り日没までに帰ってきたメロスの姿を見て、王の心は疑うことを終わらせ、町はメロスによって平和を取り戻していきました。
さらにユーモアな新釈「走れメロス」
ここでも少し映画から離れて、少し寄り道をしてみましょう。
前代未聞の新釈「走れメロス」が出ていることをご存知ですか?こちらを手掛けたのは「太陽の塔」や「四畳半神話大系」を手掛けたあの森見登美彦さんです。彼の持つユーモアさが太宰治と
ちょうどいい科学反応を起こしたのでしょうか。太宰の「走れメロス」が何倍にも膨れ上がってさらに面白おかしいお話になっています。ただ、これはかなりのパロディ化がされているので、一度しっかりと太宰の「走れメロス」を読んだ後で読むことをおすすめします。かなりのパロディ化がなさえているとはいえ、さすが森見登美彦さんです。太宰治の伝えたかったメッセージをしっかりと汲み取って話を構成させています。
「走れメロス」の中にある「一つの熱い信念」とその裏側に存在する「自己陶酔」この二つがより分かりやすく全面に出ているのが、この新釈「走れメロス」になっています。
ぜひお手にとってみてください。
「ヴィヨンの妻」
まさに「罪」の一言で語ることのできるこの作品。サイコパスな男と、その男を夫に持つ妻を主人公に描かれた作品ですが、この歪さがどこか癖になり思わず抜け出せなくなってしまいます。一度手に取ったら最後、何度も読んでしまう、そんな中毒性のある作品です。
あらすじ
サイコパスとも呼べるダメな夫を持つ妻が主人公として登場し、物語は始まります。収入もなく、細々と生活をしていた妻と子供のもとにある日突然夫が帰ってくると、玄関からある老夫婦が入り込んできて夫に向かって「泥棒」という言葉をぶつけ始めます。夫が窃盗をはたらいていたのだと分かると、妻はこの小料理屋で働くと決め、そこから妻の充実な毎日が花開いていくのです。今までに感じたことのない充実した日々が過ぎさり、彼女は満足げでしたが、そんな彼女の周りには多くの罪が渦巻いていたことをある日彼女は知ってしまいます。そんな中で、彼女は確実に周りに影響されて変わっていき、しかしそれでもしたたかにそして強く成長していく様が描かれていきます。
映画「ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ~」
根岸吉太郎監督が手掛けた映画「ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ~」は、2009年に日本で公開されました。
松たか子さんと浅野忠信さんの演技による、二人の真逆の生命の在り方がより濃くより強く伝わってきます。死ぬことを願う夫と生きることに執着する妻の、それぞれを願う文章中からは見えづらかった距離感が、映画では実際に目で見るだけでわかります。妻がどうしてこのどうしようもないサイコパスな男のもとに逃げ出すことなく傍にい続けたのか、妻の本当の気持ちをぜひ、映画でも確認してみてください。
「斜陽」
様々な人の死の中で生きるかず子という女の物語ですが、太宰治の女の物語の中でも「社会と女」というところにスポットを当てた作品となっています。とくに終戦というキーワードもここでは光っていて、子供を身籠ってしまった母親、という視点からも考えさせられる作品です。
太宰治の長編作品の中でも特に人気があり、テレビドラマもしていた作品です。
あらすじ
戦争が終わり、没落貴族となったかず子と母。父は亡くなり生活が苦しくなる中、弟の直治が帰ってきます。社会に反抗的な意思をもつ直治と、かず子と上原の交際など、母のもとで日々は穏やかに静かに流れていきますが、そんな中で母はかず子を置いて結核で命を落とします。そうして愛する上原の子を宿したかず子からとうとう上原も距離を置くような態度をとり、かず子は上原とは別の道を歩むことを決め、戦後社会の中お腹の子とともに強く生きることを誓い、上原へ書簡をしたためるのです。女の強く、理不尽な戦後社会の中を生きていく様を見せつけられます。
映画では表せなかった、斜陽の世界観
秋原監督の映画「斜陽」は2009年に公開され、原作と比べると少し間が長く、物足りないという意見の多い作品となっています。原作が異常なまでに愛されている作品であるからこそ、その世界観をうまく表すことのできなかった作品だったのでしょう。戦後という設定の原作と違い、携帯を使ったりする場面もあり現代に持ち込んだ表現も含まれているので、原作派の方には少し謎めいた部分もあったのかもしれません。この「斜陽」では社会の中で滅んでいく人間たちの様子、というテーマがあります。その中に愛があり別れが含まれているのでこの映画でもその部分を読み取ることは不可能ではないと思います。この映画を通じても「滅び」という部分はしっかりと読み取れるのではないでしょうか。太宰治のしっかりと整った斜陽の世界観というものがいかに緻密に構成されているのか、この映画化で証明されたように思います。ぜひ「斜陽」を読んで、その独特の世界観に触れてみましょう!
「女生徒」
若い女性の一人称告白体で語られるこの作品は「斜陽」と似通ったつくりになっています。「斜陽」で太宰治が好きだ!と感じた方にはこの「女生徒」も比較的すらすらと読めてしまうかもしれません。自分もまるでこの作品の女生徒本人になったかのような中毒性のある作品です。
代表作の一つであり、太宰治の得意な作風で仕上げられていてさらに短編なのでそこまで硬くならずに読むことができます。とても読みやすい一作です!
あらすじ
女学校に通う少女が朝目覚めた瞬間から物語は始まっていきます。亡くなった父について考え、はたまた不思議な気分に浸り、時にパリの街角を妄想し、その現実との落差に自分を「なんてみじめでかわいそう」と形容します。途中、労働者に絡まれ、少女は「強くありたい」と願い、教師に自身を偽る自分を見て、「自然になりたい」と願います。どんどん大人になっていく少女の、どこか中途半端な考え方にも少女は少しずつその中の一つ一つに希望を見出していきます。
すべてが日記風にすすんでいく物語です。
「女」と「理想」のキーワード
太宰治が女性の語りで執筆した名作の短編四編を映画化したものです。福間雄三さんが監督を務め2013年に公開されました。少女たちの姿を、太宰治の文体の雰囲気そのままに描き、さらに四編の名作を一つにまとめるという大作を成し遂げた傑作です。その中にもしっかりと太宰治のメッセージである「女」と「理想と現実」の差や、女の心に隠れた未来への思いがこの作品の中からもにじみ出ています。これらのキーワードをしっかりとポイントポイントで掴みつつ、本編を見てみるとより、太宰治の女性像に近づけるのではないでしょうか。
「きりぎりす」
「女生徒」とともに女性の語りで紡がれる一作です。短編となっているこの「きりぎりす」は女性の「告白」という部分が全面に出ています。「女生徒」とは「女性の一人語り」という部分では非常に似通っていますが、「女生徒」のような理想を語るのではなく、しっかりとした告白をメインにしています。その影響でかなり現実的な、「女生徒」の中には見られなかったしっかりとした世界観が現れている作品です。
あらすじ
貧乏画家へと嫁入りをした女の独白で話は進んでいきます。
ある男の画を見た時に、女は強く衝撃を受け、どうしてもこの男の妻になりたいと強い想いを抱いて彼の元へと嫁いでいきます。妻は貧乏であることを強く望んでいました。彼女は世の中の声よりも、男が俗世に染まらず自分の思うままに生きる男の背中を好きになり、そんな男を夫にできたことに誇りをもっていました。しかし、妻の心とは裏腹に男の画は次第に評判を得るようになります。名声を得たことにより、破局を迎えた夫婦でしたが、それによる告白と、夫への深い憎しみを妻が淡々と語っていきます。
「女生徒」とのつながり
「女生徒」という一冊の中にこの「きりぎりす」は短編として収録されています。これは、女性の告白形式としてまとめられており、太宰の好きな文体であったと思われます。「女生徒」はかなり日記という印象を受けますが、「きりぎりす」はそれとは少し違っていて、日記というよりかは手紙という印象を受けます。私達読者に向けられた、この一人の女の抱く想いを綴った手紙のように感じられると思います。
映画「女生徒」も、この「きりぎりす」の部分を含みつつ作られていて、一つの映画で、約四つの短編を一気に見られる、というお得なものとなっています。「女性」の訴えを多量に含んだ映画になっています。ぜひ、「女生徒」単行本とともに映画も見てみてください。
「十二月八日」
これも「女生徒」の単行本の中に含まれている一作。
やはり女の視点で語られていきます。しかし、これは「女生徒」「きりぎりす」よりももっとリアルにある一日の日常を語っている作品です。女の想いを垂れ流すのではなく、いつもと変わらない一日を映し出すことで、そこに潜む「戦争」という一つの恐怖が見え隠れし、それが作品に緊張感を持たせています。
少し読んでいてドキドキするような短編になっています。
あらすじ
昭和十六年十二月八日に、日本の貧しい家庭の主婦はどのような一日を送っているのかを書いた日記になっています。主人と客がくだらないことを話し合っている様をいつものように馬鹿馬鹿しく思ったりと、変わらぬ一日を鮮明に映し出していきます。戦争で日本は勝てるか、という少し踏み入った話を妻は主人と一言交わしますが、主人の「大丈夫だからやったんじゃないか。必ず勝ちます」という言葉に妻は夫を信じていよう、と強く思うのです。ラジオが常に鳴っていて、その中で戦争の話がずっとされています。そんな中で、妻はいつもの日常の中の変わらぬ一日を当たり前のように、今日も過ごしていきます。
映画「小さいおうち」と重ねる「十二月八日」
2014年に公開された「小さいおうち」という作品があります。こちらは戦争が始まる前と昭和十六年、戦争中の時代を描いた作品になります。ここで「十二月八日」を重ねながら考えるときに、一つは「女性」という部分です。戦争の最中、女性たちがどのように日常を過ごしていたのか、どうしても戦争の中で変わっていく世界を見ながら、この女性たちがいかにいつもと変わらない一日を暮らしていたのか、という部分にあります。そして「十二月八日」と同じ昭和十六年の時代に、この「小さいおうち」の女性たちも生きているというところが第二のポイントになります。おそらくラジオで戦争のことを放送していたでしょうし、この二つの環境は実に似ています。「十二月八日」を考えるとき、この「小さいおうち」を映像として見ることでより想像が広がると思います。ぜひ合わせてチェックしてみてください!
「富嶽百景」
太宰治そのものを主人公として書いたとされる作品です。
これは彼が執筆に悩み、富士山近くの旅館に滞在したことを始まりとして、実際にあったであろう出来事を事こまやかに書いています。この作品は太宰治を知る、という点においてはかなり重要となる作品の一つです。ここから太宰治という一人の一生が始まり、そして彼のもった心の葛藤や、人間たちとの出会いを通して穏やかさを取り戻していった乱れた精神状態など、数多くの情報がここには盛り込まれています。太宰治の真実を、この作品を通して探ってみましょう!
あらすじ
昭和十三年に、富士河口湖町にある旅館に滞在していた太宰治の出来事を綴った「私」を主体とした物語になります。太宰は思いを新にするため旅に出て、天下茶屋という所へ滞在することに決めます。そこで一人の老婆の持ってきた富士山の写真を眺めながら、「これはいいなあ」と感嘆し、その富士を背景に様々な人間と交流していく中で、太宰の乱れ切った心はだんだんに穏やかさを取り戻してゆき、友人の紹介によって結婚をしたい、と思わるような女性とも出会います。執筆から一度離れて、富士山という絶景の中で出会う人間たちとの中で彼の心の方向が次第に変わっていく様を描いた物語です。
富嶽百景 遥かなる場所
2006年に公開された、映画「富嶽百景 遥かなる場所」。
富士山という美しい場所を映画で見ると、太宰治がどのように富士山を眺めていたのかよく分かります。文章となった富士山の描写と、映画に映った富士山を交互に見てみる。この鑑賞方法が特におすすめです!この話の中心が何といっても「富士山」にあるので、ここの描写と「私」の心の中の描写も照らし合わせて、平穏を取り戻していく様を、ぜひ映像と文章の二つで確認してみてください。どうして太宰治が富士山にそこまでこだわったのか、彼の心の何を変えたのか、それが同時に見えてくるはずです!
グッド・バイ
未完のまま絶筆となったことで有名な作品です。太宰治が死ぬ間際に何を考えて執筆を続けていたのか、
太宰治は自殺という形をとってこの世から去りましたが、彼が何を思ってそのような方法をとったのか、
この本を読むことで何か一つでもヒントが得られるかもしれません。
太宰治の最後の文章を紐解いてみましょう。
あらすじ
雑誌の編集長を務める田島という男がいます。この男は疎開先の埼玉に妻子を残していて単身で東京にて仕事をしていました。しかしそんな彼には愛人がなんと十人ほどもいたのです。戦後三年になり、彼はこんなことではだめだとすべての愛人と別れ、しっかりと妻子とともに東京にて生活をしていこうと決めます。そのために、どうやってすべての愛人と別れるか。田島はある作家の助言により、誰よりも麗しい美女を妻として愛人に紹介すればいいのではないかという考えにたどり着きます。そうして仕事仲間である永井キヌ子という女を、偽の妻として愛人に紹介することになります。
未完の作品を舞台化へ
太宰治の自殺により十三回で中絶されたこの「グッド・バイ」を、KERAさんの脚本・演出の舞台として現れました。「グッド・バイ」は映画化も1949年に島耕作さんが監督として公開していますが、私はこの舞台化をぜひ見てもらいたいと思います。なによりこの未完である作品を、コメディに描き、魅力的な作品中のキャラクターであるキヌ子を小池栄子さんが演じます。太宰治の作品の中でも、異様なまでに明るく、ストレートに面白い、まるで最後の作品ではないかのようなこの「グッド・バイ」の中に舞台化
というものを持ってきて改めて完成させたことに感謝と感動を感じさせます。この作品には本当の最後というものが存在しません。それがまさしく「太宰治」という存在そのものを表しているようにも思います。自殺という形をとってこの世から去ってしまった彼ですが、この「グッド・バイ」という作品のように、中途半端なまま他人の心に住み着きつつグッドバイしたかったのかもしれません。
様々な雰囲気を持つ太宰治10選
いかがでしたか?
太宰治、名作10選をご紹介しました。どの作品を読んでみても、新たな心持ちで読むことのできる作品ばかりです。そんな太宰治の名作はどれも映画や舞台など本以外の媒体で数々紹介されています。太宰治の作品をぜひ映画などで鑑賞してその世界観にどっぷりと浸かってみてください!
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この記事のライター
太宰治、三島由紀夫を愛する本の虫武蔵野大学文学部所属フランス映画にハマっていますフランス語3級とるため勉強中