激動の人生を体験できる『風と共に去りぬ』
マーガレット・ミッチェル原作の『風と共に去りぬ』
80年近く経った今こそ観ていただきたい名作を紹介します。
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4時間弱の圧倒的世界観
舞台は奴隷制が残る1860年代のアメリカ南部・ジョージア州。
気の強いスカーレット・オハラという主人公の半生を描く、誰もが知っている不朽の名作です。
アメリカが南北戦争へと突入していく激動の時代を描いた231分(!)の超大作で、上映当時は前後編に分かれており、映画の途中で休憩が入りました。
映画の公開は1939年公開ですが総天然色で、当時の上流階級の着る服の色の美しさや調度品などの輝きには見とれてしまいます。
今回は時代背景や名言など、『風と共に去りぬ』を観る上でのポイントをご紹介します。
戦争の現実をそのまま表現
南北戦争とは、1861〜1865年に奴隷制存続を主張するアメリカ南部諸州と、合衆国にとどまった北部23州との間で起こった戦争です。
『風と共に去りぬ』に出てくる登場人物は南部に住んでおり、家では多くの黒人の奴隷が働く姿が映されています。
当時北部の人口は約2200万人、それに対して南部は900万人、しかもその900万のうち400万は奴隷の人数だったと言います。
この数字だけ見ても、当時の南部の異様な奴隷の数の多さが分かります。
映画では主人公の恋愛を焦点に置きながらも戦争の様子も細かく描かれており、南部の戦況がだんだんと厳しくなり人々が疲弊していく姿がとても生々しく表現されています。
戦争の混乱の中で飢餓、暴行、殺人などが日常にあった様子は衝撃ですが、150年前の生活を疑似体験できるような感覚を味わうことができます。
特に、上の画像にある戦火の中を逃げ出すシーンは圧巻で、上映していた当時の映画館ではこのシーンが前編の最後になっておりその後休憩が入りましたが、観ている人が現実に戻ってくることができず、休憩になっても誰も席を立たなかったという話もあります。
魅力的な女優俳優陣
この作品の魅力と言ったら、主人公スカーレット・オハラを演じるヴィヴィアン・リーの美しさ抜きには語れません。
最初のシーンで純白のドレスに赤いベルトをしている彼女の姿を見ただけで、作品に引き込まれてしまうこと間違い無しです。
一つ一つの仕草や表情が本当に可愛らしく、色気のある視線は画面を通して見てもドキッとします。
そしてヴィヴィアン・リーと同じくらいに色っぽいのが、クラーク・ゲーブル演じるレット・バトラー。
ちょび髭、くわえ煙草での流し目で、バトラー役がハマりにハマっています。
自由恋愛主義で結婚はしないと公言していたバトラーがスカーレットに恋をして、情熱的に求婚するシーンでは鼻血必須です。
スカーレットが映画の中で
「私を裸にするような目つきをしている人だわ」
と言っている台詞がありますが、確かに納得の独特の目つきをしています。
数々の名言
As God is my witness, I'm going to live through this and when it's all over,I'll never be hungry again. No,nor any of my folk. If I have to lie,steal,cheat or kill.
「神様…私は二度と餓えません。
私の家族も飢えさせません。
その為なら人を騙し、人の物を盗み、人を殺してでも生き抜いてみせます」
ースカーレット・オハラー
戦争の為その日食べる物にも困り、畑の痩せた大根を泥ごとかじり言い放つ台詞。
人を殺してでもという言葉はこの時代に嘘では無い重みを持っており、とても印象に残る台詞です。
Frankly,my dear,I don't give a damn.
「俺には関係ない」
ーレット・バトラーー
スカーレットへの愛が醒めてしまい、引き止めるスカーレットに対して言い放つ台詞です。
実はこの台詞は、アメリカ映画の中の名台詞100の中で堂々の一位を獲得しています。
何故このようなあまり印象に残らない台詞が一位になっているかと言うと、「damn」という単語が鍵となっているのです。
「呪う」「神のバチが当たる」などの意味を含む「damn」は、当時厳格なキリスト教信者が多かったアメリカ人にとってはタブー中のタブーの言葉でした。
「そんな言葉を今まで愛していた女性に言うなんて!」
「というか映画で台詞として使っちゃうなんて!!」
という当時のアメリカ人の衝撃は、恐らく現代人には理解し難いものであったのでしょう。
Tara! Home. I'll go home. And I'll think of some way to get him back.After all... tomorrow is another day.
「タラがあるわ!
故郷に帰ろう。
そして彼が戻ってくる方法を考えればいい。
明日は明日の風が吹くわ。」
ースカーレット・オハラー
これは誰もが知る有名な台詞でしょう。
バトラーへの愛に気付いた時にはバトラーの気持ちは醒めており、もうどうにもならないのかというラストシーンでスカーレットが言った台詞です。
ただ、「明日は明日の風が吹く」というのは有名な訳ですが、映画のこの状況では実はあまりそぐう言葉ではありません。
字幕では「明日に希望を託して」としている事の方が多いようです。
観ていただければ分かるのですが、明日は明日でなんとかなるでしょ!
と言えるような楽観的な状況ではどう考えてもないのです…
濃縮された激動の半生
戦争を生き抜き、3回の結婚をし、激動の半生を送ってきたスカーレットですが
映画の最後のシーンでまだ28、9歳の設定だそうです。
濃い…濃すぎる…
この映画を見始めると、出演者達が「演技をしている」という感覚がすぐになくなってしまいます。
その時代にタイムスリップしたような、本当に人の人生をのぞいているような、他の映画には無い感覚を味わうことができます。
ちなみに、日本でこの映画が公開されたのは第二次世界大戦後ですが、
日本のお偉い方々は戦時中にこの映画を極秘に鑑賞し、日本の敗戦を確信したんだそうです。
なぜなら、日本が資源が足りず極貧の状態だった中で、アメリカは石油を大量に使いこの作品の大爆発のシーンを贅沢に撮っていたからです。
日本にとってはそんな絶望を与えるという意味も持っていた映画でした。
自分が抱えている悩みの小ささを実感するのもよし
自分の愛の表現のレパートリーの少なさを実感するのもよし
是非、150年前の特濃の半生を味わってみて下さい。
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この記事のライター
1987年生まれ。