シアトルと日本の不思議な縁
アメリカ西部のワシントン州シアトルは、マイクロソフト創業者のビル・ゲイツが生まれ育った都市として知られています。
そのシアトルと日本、そして日本企業との間には、浅からぬ不思議な縁があるのです。
(本文中、敬称は略しました)
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シアトルと日本の深い関わり
シアトルは夏の平均気温が25度を超えることがなく涼しくて過ごしやすく、冬の寒さも平均気温が氷点下になることはなく、緯度から想像するほどには厳しくない都市だと言われています。
シアトルという言葉から思い出されるのは、シアトル・コーヒーですね。
シアトルを中心にアメリカ全土、そして世界に広まったため、このように呼ばれます。シアトル・コーヒーの代名詞的存在であるスターバックス・コーヒーもシアトルから開業しました。
現在、参議院議員の松田公太は、スターバックスとはライバル関係にあるタリーズコーヒーに日本での店舗展開を交渉し、タリーズコーヒージャパンの創業者となりました。現在では伊藤園がタリーズコーヒージャパンの筆頭株主となっています。
このように見てくると、シアトルは日本に関係があるとお感じになられるでしょうが、実はシアトルに本拠地を置くメジャーリーグ球団、シアトル・マリナーズも日本と大きな関わりがあるのです。
タリーズコーヒージャパンの創業者・松田公太
シアトル・マリナーズと日本人選手との関係
今季マリナーズに所属していた岩隈久志は8月12日に自身初のノーヒット・ノーランを達成しました。日本人選手としては2人目の快挙です。
メジャーリーグにおける日本人選手のノーヒット・ノーランは、野茂英雄以来2人目、3度目の達成となります。というのも、野茂は1996年と2001年の2回、達成しているからです。
マリナーズには、かつて佐々木主浩やイチローが所属していました。
岩隈は来季、ロサンゼルス・ドジャースへの移籍が決定しましたが、それと入れ替わるように、今季サンフランシスコ・ジャイアンツで活躍していた青木宣親がマリナーズに移籍することが発表されました。
青木はかつてのイチローの背番号51も用意してあると、マリナーズから告げられましたが、イチローに敬意を払って背番号8を選びました。
ノーヒットノーランを達成し、チームメイトから祝福を受ける岩隈久志
セーフコ・フィールドで来季の背番号8のユニフォームを掲げる青木宣親
こんな経営者がバブル期の日本にいた!
1992年に経営危機に瀕したマリナーズを救ったのが、任天堂の社長を務めていた山内溥(ひろし)でした。
当時の日本はバブルの真っただ中。世界の名画や有名なビルなどを日本企業が買収し、ジャパン・マネーが世界を席巻していた時代でした。
このように書くと、マリナーズを買収したのは任天堂のように思われるかもしれませんが、山内は個人資産を売却して費用を捻出、ポケットマネーというかたちでアメリカ投資家グループと共同でマリナーズを買収し、筆頭株主として日本人初のメジャー球団オーナーとなったのです。
元々、この買収話はアメリカの上院議員から、シアトルの任天堂アメリカ法人の社長に持ちかけられたものでした。山内は、任天堂がお世話になったシアトルに球団がなくなってしまうのはさびしいと、シアトルという都市に恩返しの積りでマリナーズを買収したと言われています。買収後も山内は、カネは出しても口は出さないと、球団経営には口を挟もうとしませんでした。
山内は2004年までオーナーを務め、その後は現在に至るまで任天堂アメリカ法人が筆頭株主としてマリナーズを共同経営しています。
13年9月、山内が死去すると、本拠地・セーフコ・フィールドでは試合開始前に黙祷がささげられ、マリナーズの恩人としての山内の人となりが紹介されました。
マリナーズ・ナインはシーズン終了まで喪章を付けてプレーをしました。
それから、わずか2年後の今年7月、山内の後継社長となった岩田聡が55歳の若さで急逝しました。
時代の趨勢がスマートフォンに移っていくことに乗り遅れ、経営再建半ばでの逝去でした。
マリナーズ、任天堂、そして日本メジャーリーガーに今後どのような影響が起きるのか注視が必要です。
任天堂社長を務め、シアトル・マリナーズのオーナーにも就任した山内溥
山内溥と佐々木主浩
マリナーズの本拠地・セーフコ・フィールド
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フリーライター。歴史・文学からビジネス、スポーツ等、幅広い分野において執筆を行う。