冒頭で読む三島由紀夫の名作おすすめ10選

三島由紀夫の名作を簡単に、冒頭の一行を使ってご紹介します。三島由紀夫の作品を最初の一行でぜひ感じてみてください。きっと読んだことのない作品も読みたくなるはずです!

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三島由紀夫って、だれ?

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出典:pds.exblog.jp

三島由紀夫は日本の小説家でもあり劇作家でもあり、その他随筆家、評論家、政治活動家としても活動しました。本名を平岡公威と言います。日本文学界を代表する作家であるとともに、ノーベル平和賞候補にもなるほど世界でも広く認められていた作家です。
そんな三島由紀夫の代表作は「仮面の告白」や「潮騒」「金閣寺」などですが、今回はその中でも選りすぐりの10作品を、年代順に冒頭から内容を読み取る形でご紹介していきます!

1949年 「仮面の告白」

三島由紀夫の有名な長編作品の一つです。
同性愛をテーマに描かれているのがポイントですね。他の文学と少し違う色合いに仕上がっているこの「仮面の告白」は、三島由紀夫をわずか24歳で一躍著名作家にしました。日本文学の中で「異質」とされている一作をどうぞ。

あらすじ

ある一人の少年が一生をたどっていく物語となっています。少年の記憶の中にある数々の風景を思い出しながら話は進んでいきます。その中で少年はとうとう13歳の頃に「聖セバスチャン」の絵に引き付けられる、という場面に遭遇します。ここからが彼の「悪習」のはじまりでした。愛した相手は野蛮な級友である近江という男でしたが、自身の特異さを少年は知り、この恋心をどうしてよいのか分からず苦悩していく様が赤裸々に語られていきます。女性にはまったく興奮しない自分に頭を悩ませるなど、同性愛について考えさせられる作品となっています。

同性愛という特殊性の効果

「生まれたときのことを覚えている」
最初の一行から、かなり不思議な空気が漂っていますね。「一体どういうこと?」と疑問を覚える人も多いかと思います。しかし三島由紀夫本人をかぶせたようなこの主人公はかなり特殊な人間であり、生まれた時のことをそれほどまでに印象的に覚えていられる人だったのでしょう。その普通ではない特殊性が、同性愛に悩む、という結果にも繋がっているのではないでしょうか?誰にも分ってもらえない浮かんだ気持ち、というものが冒頭の一文に表れています。

1985年に「Mishima:A Life In Four Chapters」という日本では未公開の映画を公開しました。監督はポール・シュレイダー。第一部「美(beauty)」内の回想部分で、一部分の挿話のみをモノクロで映像化しました。

1950年 「愛の渇き」

女性主体で書かれた一作です。儚いながらもどこか芯が強く、自分の考えをけして曲げない一人の女性が田舎町で気づく青年への一つの恋の物語。どことなく不穏な空気と、さまざまな人からの嫉妬の渦が絡まりあって、すべてが衝突するラストシーンが特に印象的ですが、ここではあくまで冒頭に絞って物語を考えてみましょう。

あらすじ

夫をなくした悦子、という女性が大阪、梅田へ買い物をする様子からまずは描かれています。そうして夫の看病中、夫を一人独占していた頃の自由さを思い出し、夫の父親である弥吉の元へと帰っていきます。弥吉の元で、夜な夜な体を自由に許していた悦子はいつしか、ふと下男の三郎へと心が惹かれていっていくのが分かります。しかし三郎には美代という女中の影がありました。美代と三郎と悦子と弥吉という四角い関係の中で、悦子は自分の世界へと身を投じてゆき、結果自分を苦しめた三郎の存在をこの世から消すという手段を取ります。女性のエゴが多分に含まれた一作です。

単純な恋、でも苦しみしかない恋

「悦子はその日、阪急百貨店で半毛の靴下を二足買った」
かなり平凡な書き出しで、まさか衝撃的な内容が始まるとはとても思えないほど穏やかなものですね。しかしこの一文から主人公悦子の、幸福の中のどうしようもない虚無感を見つけることができます。彼女は夫を亡くしていながらもそこに悲しみは見ず、夫の父親弥吉の元へ身を寄せ、平和の中に浸り続けています。ですがそれは悦子にとって少しも平和ではなく、精神と肉体の求める別々の幸福との葛藤こそが、悦子の本質であるのだと、この靴下を買う平凡な一文から見つけることができるのです。

1967年に「愛の渇き」は映画化されました。監督は蔵原惟繕。作風が当時の「青春・アクション路線」と合わなかったことから公開が延びたりと、苦難もありましたが三島由紀夫からの映画化による評価もよく、のちに世間に認められるものとなりました。悦子の苦悩する表情がとても印象的です。

1951年 「夏子の冒険」

まず夏子がかわいい、という魅力性で読者を引き寄せてしまう作品です。
そして一度決めたら絶対に考えを曲げない、そんな女性に憧れる人も多いのではないでしょうか?憧れと夢の詰まった一冊をぜひどうぞ!

あらすじ

20歳の松浦夏子は当然「あたくし修道院へ入る」と言い出します。情熱のない男たちから離れるために、神に仕えることに決めた夏子でしたが、彼女は上野駅で運命の出会いを果たします。それが熊を殺すためにやってきていた井田毅でした。彼の熊殺しに同伴しながら、夏子の熱い想いに毅は圧倒され、二人は結婚をすることに決めますが、夏子の選んだ最後の選択に誰もが驚き、毅さえも腰を抜かすでしょう。夏子という女の波乱のあるわがままな人生に注目です。

女性ならば憧れる!夏子の生き方

「或る朝、夏子が朝食の食卓で「あたくし修道院へ入る」と言い出した時は、」
最初の一行で読者の興味をそそり、そのまま読み進めるしか方法がありません。夏子は一体どうするのか、その先が気になってしょうがないのです。修道院という隔離された世界へ行く夏子の真意をぜひ聞きだしたいと思ってしまいます。
夏子の求めるものは、三島由紀夫の作品の中では比較的わかりやすく書かれています。彼女は情熱のない出世しか見えていない男性を「つまらない」と思い、井田毅という別の輝きをもつ男性へと引かれていきます。パワフルで危なっかしい夏子の姿に読者はハラハラとし、彼女の最後の言葉であっと驚くことになります。彼女は最後、熊を殺し終えた毅を見て言うのです。「あたくし、修道院へ入る」最初の一行に再び返ってくるこの言葉。どこかぞわっとしませんか?

1953年に「夏子の冒険」は映画化されました。監督は中村登。日本製カラー劇映画として注目を浴びました。他にもラジオドラマ化がされており、これは1952年の全25回でラジオ東京より、文化放送では1953年に連続物語として放送されました。ラジオ小説として1962年にも放送されています。

1954年 「潮騒」

海というポイントをもっている作品です。海の表現を特に注意して読んでみてはいかがでしょうか?海の表現の中に人の心の内面が乗っかっていたりするので、注意して読めば読むほど作品の深読みにつながって楽しく読むことができます。一冊がそこまで重たくなく、初心者の方でもすらすらと読めてしまうはずです!これを機会にいかがですか?

あらすじ

漁師をしている久保新治という青年が、見覚えのない少女に心惹かれていく物語。少女はじっと砂浜の上で西の海の空を見つめています。その少女は初江といい、新治は初江と知り合いになるとだんだんに、なんだったか分からなかった自身の心の答えにたどり着いていきます。彼らはある時お互い裸となって心を確かめ合います。お互いに同じ気持ちだった二人は両想いでハッピーエンドなの?と思われますが、そう簡単にもいきません。千代子という女の嫉妬や、安夫のたくらみの中で初江と新治が引き離されてゆく様が描かれます。そんな中でも清らかに恋をすすめていく様子が読者の興味を引いて放しません。

嘘のない清らかな恋愛

「歌島は人口千四百、周囲一里に充たない小島である」
主人公新治の住む島の情報から始まるのがポイントです。登場人物の考えていることや容姿ではなく、自然のことから書き始めるのは珍しくもないことですが、この「潮騒」ではやはりこの歌島の描写がポイントとなってきます。自然という清らかな大きな存在に囲まれた新治と初江もやはりその心にはとても純粋な「好き」という純粋な気持ちが根付いています。彼らの美しい心にぜひ触れてみてください!

映画「潮騒」は全部で五回も公開されているとても人気のある作品です。第一作は1954年。1985年には第五作を公開し、これはカラーとなっています。カラーになるとより、自然の描写が分かりやすく美しいものとなり人気を呼びました。アニメ化も数多くされており、ラジオドラマで連続放送するなど、「潮騒」はたくさんの人から愛される作品となっています。

1956年 「金閣寺」

今や誰もが知る、京都にある有名な寺、金閣寺。その金閣寺を燃やす、という一度聞いたら驚いて読まずにはいられないこの一作。寺院へ入った少年の、とても不安定な心をそびえたつ金閣寺という建物と対照的に描き、少年の気持ちを表現していきます。
京都が好きな方、お寺が好きな方、ぜひお手にとって三島由紀夫の京都を味わってみませんか?

あらすじ

吃音として描かれる溝口は、女性に精神的な壁を感じ、青春を知らずに生きていました。金閣寺に入った溝口は、戦況が激しくなるにつれて、焼け死ぬかもしれないという自分と同じ状況に陥った金閣寺という儚げな存在に次第に美しさを見出していきます。ですが突然伝えられた友人の死と、女を目の前にしてふと浮かんでくる金閣寺の幻影に、その美しく思う心が憎しみへと変わってゆき、彼はとうとう金閣寺に火を放つ、という結論に落ち着いたのです。

憎き金閣

「幼時から父は私によく、金閣のことを語った」
書き出しとタイトルにあるように、この作品のポイントはすべて「金閣寺」という存在にあります。幼い頃から金閣の事を教えられた青年の心にはもはや金閣が強く根付いている、ということがこの冒頭から読み取れます。溝口が女との間にたびたび金閣寺を見るのもそれがどこか心のひっかかりとなっているからでしょう。彼の吃音であるという情報にも注目です。彼には多くの開くべき扉が待ち構えていて、それがすべて「金閣寺」という形で目の前に現れています。それを焼くことで彼がどこに向かおうとしているのか、注目です。

「金閣寺」は1958年に映画化されています。その他に話題を呼んでいるのがなんとオペラです。こちらは1976年から始まっていますが、その熱は冷めることなく2018年にもなんと上演がフランス国立ラン歌劇場で予定されています。何年たっても続く三島由紀夫の物語に、世界中が注目していることが分かりますね!

1956年 「鹿鳴館」

舞台やテレビドラマ、映画化、オペラ化と幅広く展開したこの作品は三島由紀夫の名作の中の名作に入るかもしれません!まずは原作を読んで、それから派生したものも見てみる、そうすることでより理解が深まるような気がします。いろいろな派生の中でやはりオペラ化というのは珍しく、見ごたえもあるのでオススメです。ぜひ文庫本片手にどうぞ。

あらすじ

新橋の芸者であった朝子が、影山伯爵邸・庭内に集まった華族夫人たちの前に現れます。朝子は華族たちに崇拝されていて、大徳寺伯爵夫人・季子もその中の一人でした。この時季子は娘の恋人の件で助言を求めていました。その恋人は清原久雄。その場に来ていた久雄に朝子は実の息子であることを告げたが、久雄は今夜、父親である清原栄之輔を暗殺するつもりであると言います。この久雄の暗殺の様子を時間の経過とともに緊張感をもちながら進めていく作品となっていて、息子と夫の間で揺らぐ朝子の想いと、息子の命を張った健気さが涙を誘います。

涙を誘うドラマチック性

「第1幕-午前10時。影山伯爵邸・庭内にある茶屋潺湲亭。」
全4幕からなるこの作品。冒頭から、しっかりと時間を追っていく作品であるということを提示しています。これは初めから何か舞台化や映画化されるために書かれているのでは、と思えるほど舞台的な話になっています。なによりセリフまわしや舞台が華やかですし、随分と詩的で「演技」という文字が思わず出てきます。そのキャラクターの演技に魅せられて、最後の息子を追う朝子のシーンでは涙を誘います。政治と恋、陰謀と愛憎、男と女、夫と妻、妻と息子、比較するものを多分に含みつつ、ドラマチックに話を進めていく、今もなお人気の止まらないこの「鹿鳴館」に注目です!

1956年、「鹿鳴館」は舞台化されています。その後も日本各地で上演され、人気を呼びました。映画化やテレビドラマ化はもちろん、この「鹿鳴館」もオペラ化がされています。2010年、最近になって上演されたものです。三島由紀夫が死してなお、新しい試みもなされる作品になっています。文章の表現からも、この作品はオペラ化がかなり雰囲気と合っていて、ぜひこの「鹿鳴館」を知った人は一度オペラ化もどうぞ!

1956年 「永すぎた春」

永すぎた春=永すぎた婚約期間を指しています。タイトルからは想像ができないこの婚約という文字ですが、婚約期間が長いというのは男にとっても女にとっても緊張感のある時間です。そんな男女の紆余曲折とハラハラする危機を描いたこの作品。「金閣寺」と同時に連載されていましたが、「金閣寺」のようなどっしりと重いものはなく、どちらかというとポップな青春小説です。主人公たちの小さな恋の長い12か月を一緒にたどってみませんか?

あらすじ

法学部に通うまじめな大学生である宝部郁雄。古本屋の娘である木田百子と春に出会って恋人になった後、親の了承を得て婚約者となりました。最初は接吻だけの二人。郁雄が大学を卒業すると、四月、30歳ほどの美人画家本城つた子という女性を知人から紹介され、郁雄は軽い気持ちでつた子と喫茶店へと入ってしまいます。この時、百子は初めて嫉妬を覚え、郁雄に体を許してもいいと言うのです。そのあとも百子の兄が結婚したいと言った看護婦の女の母による横暴な策略に、二人の清らかだったはずの青春は荒らされていきますが、それを乗り越えて結婚までこぎつける様が見事に描かれています。

一度しか味わえない青春の永さ

「永すぎた春」冒頭よりもこの作品はタイトルにすべて詰まっているような気がします。淡い恋の香りがしますね。婚約までの長い青春を、波乱の中で過ごす二人を見守る形で読んでもらいたいです。三島由紀夫の重たさは一切なく、「金閣寺」のように感覚に頼るような作品でもありません。こんなにポップにも書ける三島由紀夫、天才ですね。百子の嫉妬と郁雄のハラハラする行動、そしてつたという女の場を騒がせる行動に、読んでいるこちらも終始ドキドキしっぱなしです。しかし二人の固く結ばれた心の繋がりにも注目。主人公たちと同じ時間を過ごしている、そんな感覚を軽めに体験できる作品となっています。小説を普段読まない、という方にもおすすめです。まずは他と比べて優しめなここから入ってみてはいかがでしょうか?

1957年に映画化された「永すぎた春」。こちらは初めからカラーで上映されました。監督は田中重雄。ポップな小説の雰囲気をまるでそのまま画面に映し出したかのような作品になっています。撮影している最中も楽しく行っていたようです。その楽しさがそのまま作品となっているようで観ている方も楽しくなります。三島由紀夫作品の中では一番といっていいほどの、軽く愛おしく観られる映画となってるのでオススメです!永い春もついやみつきになってきて止まりません。

1957年 「美徳のよろめき」

少し大人な作品です!人妻の姦通を描いた作品になっていて、少し時代を感じるところもあるかもしれませんね。官能に目覚めたヒロインの妊娠から中絶までをリアルに描き、その先に待っていた苦しみを通じて別れを決心するまでの一年をまとめています。映画化やテレビドラマ化、ラジオドラマ化までされていて、こちらも幅広く展開した作品となっています。

あらすじ

しつけの良い家庭に育った28歳の節子。親の決めた男と結婚をし、子供も一人生んでいました。同い年の土屋という男と結婚前に一度接吻をしたことがあり、節子は時折そのことを思い出しました。そうして結婚後に再び出会った土屋と接吻をすると、それは以前したものとはくらべものにならないぐらい上達していました。節子の心はそれから土屋へと傾き、夫との間にできたもう一人の子供を中絶する、という決意をします。土屋と共に行動するにつれ、身体的な快楽も知っていく節子は、土屋を中心にすべてを考えるようになりますが、土屋との子も中絶します。土屋の奴隷となっていく節子でしたが、再び土屋との子を妊娠し、みるみる衰弱していきます。激しい恐れに背中を押され、別れを切り出し、最後土屋に書いた自分の愛を綴った文書を、節子は破って捨てるのです。

官能すぎる大人の要素

「いきなり慎しみのない話題からはじめることはどうかと思うが、倉越夫人はまだ二十八歳でありながら、まことに官能の天賦にめぐまれていた」
これは非常に大人な部分を含んだ作品です。三島由紀夫の作品は意外と「仮面の告白」や「潮騒」のように官能的な作品も多いですが、そのどれもにどこか純粋な気持ちが含まれています。どれも穢れのないまっすぐな気持ちなのです。ですがこの作品は、まさかの人妻、という設定で土屋という男の子供まで作ってしまいます。現代で言えば完璧な不倫状態にありますね。まさしくタイトル通りのよろめき具合が読者にもヒロインの心を通じて伝わってきます。冒頭にもあるように「官能」という言葉がヒロインを苦しめ別れの時間までも長引かせることになっていくのです。この絶妙な狭間に取り残されたヒロインの気持ちを、ぜひ読みながら感じてみてください。

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出典:pds.exblog.jp

1957年に映画化された作品「美徳のよろめき」。こちらはあまりに原作と離れすぎたために、三島由紀夫が「愚劣な映画」と言っています。なのでテレビドラマ化の方が成功したと言っていいかもしれません。しかしこの作品はあまりに官能すぎたために映像化が難しかったという結果もあります。文章で自分の想像を広げていくほうがこの作品を理解するには早いでしょう。

1962年 「美しい星」

三島由紀夫の作品の中でもこれはまさしく「異色」の作品です。
まさかのSF、まさかの宇宙人、まさかのUFO。読み進めていくうちに謎が謎を呼び、一体三島由紀夫はどうしてしまったの?となりますが、やはりSFを書かせても素晴らしいことは変わりません。見たことのないはずのUFOの描写や、宇宙人の設定がしっかりとしているので読者も巻き込みながら話がどんどん進んでいき、気が付くと読み終わっています。星新一が好き、SFが好きという方はぜひ一度お手にとってみてはいかがでしょうか?

あらすじ

大杉一家は人間ではなく、円盤を目撃した時から父は火星、母は木星、息子は水星、娘は金星から来た宇宙人であることに目覚めます。自分たちが宇宙人であるという事実を世間に隠しながら、一家は人類を世界の破滅から救うために尽力していきます。水爆の開発により、現実のものとなった世界滅亡の危機や核兵器の恐怖から人類を救うため、一家は人間へ語りかけていきますが、そこに水爆戦争による「人類全体の安楽死」という使命をもった真逆の考えの宇宙人たちが姿を現します。二つの勢力がぶつかり合い議論を繰り広げた後、父は倒れ入院しますが、病院を抜け出して一家は再び円盤を見るため集います。そうして一家は渋谷界隈の雑踏を見つめるのです。

円盤は本当にいたか?

「十一月半ばのよく晴れた夜半すぎ、埼玉県飯能市の大きな邸の車庫から、五十一年型のフォルクスワーゲンがけたたましい音を立てて走り出した」
まるでSFなど感じさせないこの冒頭の文章。これは彼らが宇宙人であると目覚める前の文章なので完全に自分たちは当然人間であると思っているのです。本当にある土地を文章中に盛り込むことで、リアルさをわざと演出させています。ですが本当に家族が円盤を見たのか、その真実は最後まで分かりません。一家が全員そろって円盤を見ることはないので、彼らは果たして本当に宇宙人なのか定かではありません。しかしここで出てくる「人類を救う」宇宙人と「人類を安楽死させる」宇宙人がいるということが大切です。人間という殻から抜き出て外側から人間を見つめてみることで、新しい真実が見えてきます。あなたも一度宇宙人視点となって人間を外側から見てはみませんか?

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太宰治、三島由紀夫を愛する本の虫武蔵野大学文学部所属フランス映画にハマっていますフランス語3級とるため勉強中

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