日本人が大活躍!ショパンコンクール第十回から第十二回の覇者
ショパンコンクール第十回から第十二回は1980年から開催されましたが、日本人が多数入賞しています。また、それぞれ現在中堅のベテランピアニストとして活躍している人たちです。中にはとても個性的な「あの」ピアニストも入っています。その5人をご紹介いたします。
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毎回日本人ピアニストが入賞
出典:pixabay.com
フレデリック・ショパン国際コンクールはショパンの出身国であるポーランドで行われており、初回からだいたい旧ソ連とポーランドのピアニストが多数入賞しています。しかし、第六回あたりから外国勢が1位を獲得するようになりました。特にポーランドのピアニストは苦戦しているようですが、反対に日本人が毎回入賞するという好成績です。
第十回では5位に「海老影子」、第十一回では4位に「小山実稚恵」、そして第十二回では3位に「横山幸雄」が受賞しました。他にも入賞はしなかったものの日本人ピアニストが多数本選まで勝ち残ったのです。この現象はその後も続きますが、日本の景気後退と共に受賞者も減っていることは何を意味するのでしょうか。
国際情勢との関連性はさておき、それぞれの1位(1位なしの2位も含む)は、現在はもっとも落ち着き脂の乗ったピアニストとなっています。もちろん演奏のことですが、技術力に加え表現力や柔軟性なども加味したベテランとなったのです。
第十回 1位 ダン・タイソン
第十回は1980年に開催されました。1位のダン・タイソンは1958年ベトナム生まれです。アジアのピアニストが1位を獲得したことは初めてであり大変なニュースとなりました。タイソンはベトナム戦争などの国内の内政が混乱している中で、ピアノを弾くことができない環境の中、「紙に書かれた鍵盤」で練習をしていたということです。その情熱と努力は、ショパンコンクールでみごとに開花したといえます。
また、技巧的なピアニストとして知られており、ラフマニノフなど難曲を得意としています。 録音は「ショパン全集」など、ショパン中心のものが多いようです。
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第十回 入選外 イーヴォ・ポゴレリチ
イーヴォ・ポゴレリチは1958年ユーゴスラビア生まれですが、モスクワ音楽院でピアノを学んでいます。学生当時から「異端児」として見られていたようで、教師との対立により停学退学処分などを経験したということです。ポゴレリチほど個性的なピアニストは近年では珍しいのですが、芸術的には「人とは違う」ということは「優れている」と同義語であるといえます。
変わったところでは、20歳以上歳の違うピアノ教師と結婚したことが話題となりました。また、このショパンコンクールでも波乱があり、後世まで伝えられるものとなった出来事が「ポゴレリチ事件」です。元々ショパンコンクールは、「こういう風に弾くべき」というスタイルがあり、その枠からはみ出るような個性を評価しない傾向にあるといわれます。
明らかにポゴレリチのスタイルは審査員の評価対象ではなかったため、10位内の入賞からもはずされたのです。このことは審査員のひとりである名ピアニストのマルタ・アルゲリッチを憤慨させ、「彼こそ天才」という言葉と共に審査員を辞退する結果となりました。その言葉は30年以上経った今、正しかったと言わざるを得ません。ポゴレリチは、現在精力的に世界的なピアニストのひとりとして活躍しています。
彼の演奏は非常に情熱的で激しく、鍵盤の奥底から音を根こそぎ出させようというかのようです。通常の演奏と違う解釈で個性的、そして型にはまらない演奏という点では、グレン・グールドと似通っているかもしれません。
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第十一回 1位 スタニスラス・ブーニン
第十一回は1985年に開催されました。栄えある1位は1966年ロシア生まれのブーニンです。彼はいわゆる「サラブレット」であり、モスクワ音楽院で数々の名ピアニストを輩出した名門ゲンリヒ・ネイガウスとスタニスラス・ネイガウス親子の血を引いています。
由緒あるピアニストの家系で、作曲家シマノフスキは母方の血筋です。また、ネイガウス一族は父親には縁が薄く、祖父であるゲンリヒも父親のスタニスラスも離婚し、ブーニンは2人のピアニストからピアノの指導を受けてはいません。したがって演奏スタイルはネイガウス親子とは違います。
ブーニンは1位になってから主に日本で人気となりましたが、本人も親日家として知られています。演奏は高い技術力があり、粒の揃った速度の速いスタイルが特徴ですが、「機械的で冷たい感じがする」というような情緒的な表現力について疑問視する人もいるようです。
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第十一回 5位 ジャン・マルク・ルイサダ
ルイサダは5位入賞ですが、世界的なピアニストとしてはもちろん教育者としても活躍しています。1958年チュニジア出身ですが、パリに出てパドゥラ・スコダとマガロフに師事したということです。 日本ではNHKテレビ番組「スーパー・ピアノレッスン」の講師として出演して知名度も高く、好感が持てる人柄のようです。演奏の特徴は音色の美しさにあり、強烈な個性を発するタイプではなく柔らかな温和な演奏にあるといえます。
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第十二回 1位なしの2位 ケヴィン・ケナー
第十二回は1990年に開催されました。ケナーは1963年アメリカ出身ですが、この第十二回は「1位なしの2位」という奇妙な結果となりました。本人によりますと「体調が悪く1位を逃した」ということなのですが、いわゆる「本番に弱いタイプ」のようで、後の「チャイコフスキーコンクール」も体調不良が原因で実力が出せず、3位入賞という結果なのだそうです。
ポーランドのピアニストに師事し研鑽を積み受賞となりましたが、その後の活躍は目覚しく、世界中のオーケストラとの協演、演奏録音やコンクールの審査員など多忙をきわめる世界的ピアニストとなっています。
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コンクールはピアニストの起点であり観客の歓び
いかがでしたでしょうか。ショパンコンクールの第十回から第十二回までのピアニストをご紹介しましたが、入選しなかったポゴレリチも1位の人も現在世界的に活躍していることから判断すると、その差はあまり関係ないように感じます。個性を表現することこそが「芸術」であるのですから、コンクールという点数での評価は本当はあまり意味がないことといえるのでしょう。
ですが、本選での「しのぎを削る戦い」によるピアニストたちの興奮は、演奏にも影響を与え「人生最高に素晴らしい演奏をした」という奇跡も起こることがあります。その熱気が観客にも伝わり、コンクール会場は5年ごとに沸き立つということです。
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この記事のライター
検査技師をしておりました。現在は家庭に入り、ライター、アンティークドールのディーラー、人形関連の制作と売買、ピアノ講師などをしています。趣味の薔薇や犬、鳥の世話と夫と子供の世話に忙しい毎日です。