【 建築探訪 最新版 】隈研吾の代表建築40選(東京都編)

2020年の東京五輪・パラリンピックの主会場となる新国立競技場のデザインを手掛ける建築家の隈研吾氏。世界を代表する建築家として、亀老山展望台やアオーレ長岡など、数多くある建築の中から、2016年までに東京都内に建設された作品をご案内します。隈建築案内の完全版、これを観ずして建築好きとは言えません。

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建築家・隈研吾

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出典:www.asahi.com

隈研吾(くま けんご)
1954年、神奈川県横浜市生まれ。75年、東京大学大学院建築学科修了。1990年隈研吾建築都市設計事務所設立。コロンビア大学客員研究員、慶應義塾大学教授を経て、2009年より東京大学大学院教授。

初期の主作品に、亀老山展望台(1994)、水/ガラス(1995、全米建築家協会ベネディクタス賞)、森舞台/登米市伝統継承館(1997、日本建築学会賞受賞)、馬頭広重美術館(2000、村野賞)。
近年では根津美術館(2009)、梼原木橋ミュージアム(2010)、浅草文化観光センター(2012)、長岡シティホールアオーレ(2012)、銀座歌舞伎座(第五期、2013)など。日本国内のみならず、海外にも多くの作品を残しています。

「和の大家」となるまでの設計理念

隈研吾の建築の特徴は、著書「負ける建築」に記されているように、環境と建築の一体化、利用する人と建物の関係性を重視した設計理念をもっています。
この設計手法に至るまでには、転換期があり、大きく分けて3つの時代があります。

■ポストモダン建築(建築理論) 1991年〜1994年
初期の頃はデザインするよりも理論をもとに、モダニズムを批判する「ポストモダン」運動と一部脱構築主義要素を加えた建物に傾倒していました。このころの建築理論を前面にだした作風は、バブルが崩壊する1994年ころまで続いていきました。

■負ける建築 1994年〜2008年
ポストモダン時代では、権威的な建築をつくっていた隈氏ですが、バブル崩壊以降大きな仕事が全くなくなった時期がありました。その時に、地方で小規模の作品を現地の棟梁や職人との協働で設計し、檮原町雲の上のホテル、亀老山展望台など数々の名作を生み出していくことになります。この時の設計思想が、2004年に刊行した自著「負ける建築」へとつながっていきました。

■自然な建築(和の大家) 2008年〜現在
負ける建築時代で確立した地場の素材を活かした建築手法をもとに、さらに考え方を昇華させていきます。自然さとは素材や景観だけの問題ではなく、水、石、木、竹、土、和紙などの素材を、それぞれの場所に活かす試みを2008年に「自然な建築」を刊行しまとめています。これ以降、和の大家として国内外で数々の作品を生み出しています。

こうした時代背景のもと順を追って、隈研吾の建築作品を紐解いていきます。
最後のページには東京都の隈建築だけをまとめたマップも掲載しているので、それを手にしながら見て回るのもオススメです。

1. ドーリック南青山(1991年|東京都港区)

まずはポストモダン時代の代表作「ドーリックビル」をご紹介します。この建物は、鉄骨鉄筋コンクリート造、地下1階、地上7階、延べ床面積約1130㎡の複合ビルです。

目を引く外観のギリシャ建築のドリス式オーダー(柱)にはエレベーターが組込まれ、そこに各階フロアが扇状に広がっている構成です。エレベーターの設置されたエントランスホールの壁面は御影石で仕上げられ、1、2階のの仕上げは同一で、3階より上部はコンクリートで仕上げられています。

古典主義建築を引用したポストモダンに対する隈建築の原点であり、様々な批評を浴びましたが、この作品以降大きな転換を図り自然素材を生かした日本建築の要素や素材等を巧みに使った作品を創り続けています。

2. M2ビル・東京メモリードホール(1991年|東京都世田谷区)

次に、同じくポストモダン時代の作品として有名なM2ビル(エムツービル)をご紹介します。地上4階、地下1階の建物は、1991年の当初にマツダの東京拠点のひとつとして建設されましたが、現在では特徴的な外観には一切手を加えず内装の改造を行い、2003年に「東京メモリードホール」の名称で斎場としてリニューアルオープンしました。

M2ビルでは古代ギリリシャ建築の「円柱」を「モニュメンタル」に中央に配し、その周囲をアーチを特徴とす中世の建築様式や、ガラスを素材とする現代の建築様式で取り囲むことによて、「建築の歴史」を一つの建物で表現しようとしています。

M2の柱はイオニア式

古代ギリリシャ建築の円柱はイオニア式と呼ばれるもので、印象的な表現は当初より賛否両論ありました。ポストモダンは建築コストなどの合理性に劣るため、バブルの遺産とも言えます。今もなお、見学することができる建物ですので、一見の価値があります。

3. Plastic House(2002年|東京都目黒区)

負ける建築時代の中でも、2001年に建設された「Plastic House」は、森舞台での日本建築学会賞、馬頭広重美術館の村野藤吾賞という名誉と設計手法を確立した後に、東京都内で初めて設計された作品になります。

この建物は、4mm厚のFRP(ガラス繊維補強プラスティック)二枚の間に、光を透過する断熱材を挟み、障子のような半透過性の外壁をつくっています。FRPを用いて、日本の伝統的空間がもつやわらかな光を現代の都市の中で再生しようと試みをしています。

FRPという新しい素材への挑戦

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出典:kkaa.co.jp

階段やバルコニーの床にはFRPでできた既製品のグレーチングを用い、手摺にもFRP製の角パイプ、丸パイプを用いています。FRPの持つ柔らかさ、やさしさを活かし、都市と共に呼吸するような生物的住宅をつくりたいと考えていました。プラスチックのような工業製品を用いても、人間の身体となじむや空間がつくられています。

4. 銀座松竹スクエア・旧ADK松竹スクエア(2002年|東京都中央区)

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出典:kkaa.co.jp

この作品は晴海通り沿いにあるオフィスとマンションの複合高層ビルです。低層部が店舗とオフィス、高層部が住居になっています。設計は三菱地所設計が行っており、隈氏はデザインパートナーという位置付けで建設されています。建設当初、オフィスフロアには広告代理店3位のアサツー ディ・ケイ(ADK)本社が入居していましたが、2014年に虎ノ門ヒルズへ移転しました。 以降はテナントとして電通デジタル・ホールディングス4社が入っています。

特徴的なのはエントランスを入るとすぐに見える木製の大階段で、人々がここに座ってくつろぐことが出来るように計画されています。階段に面した壁を木のルーバーにし、開口部側に竹を設けることによって高層ビルのエントランスホールにはない開放的で落ち着きのある暖かな空間を生み出しています。

施設内のカフェもデザイン

施設内の大階段を登りきったところには、カフェ・セレが併設されています。「自然と光」をテーマにした店内は、天井高は7mの開放感溢れる空間がひろがっています。この松竹スクエアを皮切りに、隈氏が手がける大型の施設が増え、2013年には同じく松竹が運営するGINZA KABUKIZAへと続いていきます。

5. 梅窓院(2003年|東京都港区)

「梅窓院」は、正式名を「長青山宝樹寺梅窓院」といい、寛永20年(1643年)に開山されました。青山という地名はここからとられたもので、まさに青山発祥の地といえます。この由緒ある「梅窓院」では、かねてから本堂の建替えを計画しており、都市型寺院の再生プロジェクトとして文化ホール機能、教育機能、集合住宅機能を併せ持つ、都市型寺院を提案しています。

構成は瓦の大屋根にかわって、強い陰影をもつ「金属板葺き」の屋根を提案し、壁ではなく屋根によって都市景観を構成するという日本の都市デザインの伝統を再生させています。金属板のルーバーは光の方向と強さによって色と形が変化するように見え、傾いたルーバーの壁の着地点に建物のエントランスがあります。ルーバーは地上レベルから延び、かつての寺院や境界が都市のオープンスペースとして機能したように、都市と寺院が一つの空間に融合するように計画されています。

お堂も巡る回廊もない新しい寺院

歴史と現代性の両立を目指す梅窓院再生事業では、前面の交通量の多い青山通りからのアプローチには気持ちが静まり仏様と対話ができる様に、竹(孟宗金明竹)を用いてデザインしています。寺のもっている「静寂」を建築の形にしています。

6. JR渋谷駅改修計画(2003年|東京都渋谷区)

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2003年に竣工した渋谷の中心となるターミナルステーションに、透明性を与えようという試みです。もともと設置されていた不透明な外壁を取り払い、ガラスに置換することで、前面のハチ公広場と駅のプラットホームとを一つに接合しています。

ガラスは、現地でデジタルカメラを使って撮影した雲の映像をセラミックプリントを用いて転写し、実際の雲の写り込みが判別できないような曖昧な状態を作った。ガラスへのセラミックプリントは、白とグレーの2色のイメージを6mmのディスタンスをあけて2重にプリントし、一種の立体視の効果をねらっています。

2019年には「渋谷駅地区駅街区開発計画」が竣工予定

2019年には「渋谷駅地区 駅街区開発計画」として、貸床面積約7万平方メートルのオフィスと店舗面積約7万平方メートルの商業施設の開業とともに、東西駅前広場をつなぐ自由通路の拡充やアーバン・コアの整備、駅街区と宮益坂上方面、道玄坂上方面をつなぐスカイデッキの整備といった全ての利用者にとって安全で快適な街の実現を目指しています。

デザインアーキテクトに隈研吾氏と建築ユニット妹島和世と西沢立衛によるSANAA事務所を起用して、大規模ターミナル駅を中心とする都市再生のモデル的プロジェクトの構築を進めています。

7. One 表参道(2003年|東京都港区)

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この作品は、世界のラグジュラリーブランドを率いるLVMHグループ(ルイ・ヴィトン・ジャパン・グループ)のファッションビルとして計画されました。ビル名の「ONE 表参道」とは、ビルが表参道のスタート地点に建てられたことから名づけられています。

外壁は全て、カラマツ集成材のルーバーを60cmのピッチで覆い、表参道のケヤキ並木と木製ルーバーとが響き合うようなデザインとしています。木製ルーバーは室内を直射日光から守ることで省エネルギーに貢献し、また二酸化炭素を固定することで温室効果の低減にも貢献しています。

外壁に木材を使用する試み

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日本の建築基準法では、大規模な都市における建築の外壁で木材の使用は禁止されていますが、この作品では外壁にドレンチャー(火災の延焼を防ぐ装置)を設置することで特別に許可を得ています。もう一度木材などの「やわらかさ」を都市に復活させたいと考え、内部は壁、天井、家具などをガラスクロスで構成し、「負ける建築」の設計思想が現れた作品になっています。

ONE 表参道
東京都港区北青山3-5-29

■アクセス
表参道駅 (銀座線・千代田線・半蔵門線: A2出口)

8. 分とく山(2004年|東京都港区)

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この作品は、日本料理でミシュランの星を獲得し、野崎洋光氏が腕を振るう一軒家レストラン「分とく山」の本店になります。建物の設計を隈研吾氏、内装設計をスーパーポテトの杉本貴志氏により、現在の地に建てられました。

打ち水のある涼しげなエントランスを入ると、木と石とガラスを効果的に使った開放的な空間が広がっています。100mm厚のセメント板を200mmにスライスし、道路と建築の間の壁面に用いることで、都心部に静寂の空間を作り出しています。安価な工業製品が、スライスという操作一つによって、高級和食レストランの空間を生成するという素材への探求をしています。竹や和紙や土壁という和風レストランの既成概念に対する批評でもあります。

ミシュラン2つ星の日本料理を堪能できる空間

ミシュラン2つ星を獲得した「分とく山」は、旬の素材を使用した感動的な料理の数々を明るい店内でゆったりと楽しめる空間は一見の価値があります。ぜひ、一度足を運んでみてはいかがでしょうか。

9. 東京農業大学「食と農」の博物館・進化生物研究所(2004年|東京都世田谷区)

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東京農業大学の敷地内に、地域に開かれた新しい時代の博物館と研究所として計画されました。展示空間と実験場とカフェとが合わさることで、地域の人々と研究者との交流が自然に発生するような空間を目指しています。

馬事公苑のケヤキ並木に面した場所につくられたため、外観には、時とともに美しく色合いが変化する自然素材(「石の美術館」でも使用していた白河石)の縦ルーバーを60cmピッチで並べたものとなっています。このルーバーは壁に対して45度に振っているため、外部から見ると石の側面を美しく見ることができ、農業大学にふさわしい「生物的建築」つくりをめざしているそうです。

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九州からはるばる東京にでてきた、典型的な田舎者。未だに人ごみにも慣れず、家から外にでることをためらうことも多々。地元に想いを馳せながら書いています。

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