【プロ野球の歴史】埼玉西武ライオンズ ~常勝軍団への道~
前身の西鉄ライオンズは、西日本パイレーツを吸収して以降、九州唯一のプロ野球球団でした。西鉄が球団経営から撤退すると、ゴルフ場開発の太平洋クラブ、続いてクラウンライターを経て、西武グループの国土計画が球団経営に乗り出し、埼玉県所沢に本拠地を移しました。西武球団誕生からその黄金時代を見ていきます。
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チームの基礎作りの名人・根本陸夫
新生・西武ライオンズの初代監督に就任したのは、福岡ソフトバンクホークスの記事でも述べた根本陸夫でした。根本はオーナーの堤義明とともに、阪神タイガースの田淵幸一、ロッテオリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)から山崎裕之、監督経験もある野村克也といった積極的な補強を行います。
西武ライオンズ初年度の1979年は最下位。しかし、この年を最後に2014年シーズンまで、西武が最下位に沈んだことは一度もありません。
80年、81年は4位(通算成績。73年から82年までパ・リーグは2シーズン制を採用)に終わり、根本は81年限りで退団しますが、後の黄金時代を支える松沼博久・雅之兄弟、森繁和、杉本正といった投手陣、前述の田淵、山崎に加えて石毛宏典、秋山幸二、さらに外国人選手のスティーブ、テリーなど打撃陣も整い始めていました。
広岡達朗の管理野球によって日本一を達成、常勝軍団へ
1982年、広岡達朗が監督に就任した西武は前期に優勝を果たします。後期は広岡がプレーオフ(前後期の優勝チーム同士が争い、勝利チームがリーグ優勝となり、日本シリーズ進出権を得る)を見据えて力を温存したとも言われ、3位にとどまりますが、日本ハムファイターズとのプレーオフに勝利すると、セ・リーグの覇者・中日ドラゴンズを降し、日本シリーズを制覇しました。
西鉄時代から実に24年振り、西武が球団経営に乗り出してからはわずか4年目の快挙です。主力メンバーで西鉄時代を知るのは投手の東尾修と野手の大田卓司の2人だけでした。
広岡はペナントレース、日本シリーズ2年覇を果たした後、84年に3位となりますが、85年に再びリーグ優勝、日本シリーズに阪神に敗れると辞任します。
後任にはヘッドコーチとして広岡を支えた森祇晶が就任、94年までの9年間で実に8回のリーグ優勝、6度の日本一に輝き、常勝軍団を形成します。
その中でも記憶に残るのは、87年の読売ジャイアンツとの日本シリーズです。
85年オフのドラフトで巨人入りを熱望していた清原和博は巨人から指名されず、西武に入団しました。日本シリーズ最終戦の9回、一塁守備についていた清原は涙を流しました。試合を観戦した人々は清原の涙に様々な思いを想像しました。
1987年11月1日 巨人との日本シリーズ最終戦の9回 涙を流す清原和博
森管理野球の限界
黄金時代を形成した西武ですが1993・94年と2年連続で日本シリーズに敗れると、森は辞任します。契約満了の年でもありましたが、球団の思惑と森野球に乖離が生じたためとも言われます。
ひとつには観客動員数が91年をピークに減少し始めたことです。森の目指す野球は勝利至上主義と呼べるものでした。強力投手陣によって失点を最小限に抑え、AK砲と呼ばれた秋山・清原の長打と辻発彦ら小技のできる選手を使い、確実に勝利を呼び込む地味な野球を貫き通したのです。
また、西武の黄金時代とほぼ重なる時期に、仰木彬が近鉄バファローズとオリックス・ブルーウェーブ(現バファローズ)の監督を歴任し、仰木マジックと称される劇的な試合を展開しました。仰木の近鉄時代には野茂英雄、オリックス時代にはイチローが現れ、新しい時代が開かれようとしていました。
セ・リーグでは野村克也がヤクルトスワローズ(現東京ヤクルト)の監督を務め、ぼやきと称された独特の言い回しでマスコミに取り上げられました。
森が体現した野球は時代に合わなくなっていたのです。
西武グループの戦略と時代の流れ
球団経営に乗り出した直後から本拠地を所沢に移した西武ですが、グループ内の建設会社による球場建設、球場の営業権も掌握し、球場への交通手段は西武鉄道にほぼ限られるなど、予め計画されていた節があります。
また、このスタイルは阪神グループの百貨店・球団・球場・鉄道のビジネスモデルに非常に似ています。
創設時の西武は、オーナーである堤義明が創業者である父から受け継いだ西武鉄道と国土計画(旧コクド)、プリンスホテルなどを経営し、名義上の親会社は国土計画でした。
一方、現在のセゾングループにあたる西武百貨店などは義明の兄である清二が継いで、パルコやロフト、西友、無印良品などを系列会社に組み込み一大流通グループを形成していました。
義明は豊富な資金力を背景に有望な選手を集め、ライオンズの黄金時代を築きました。ライオンズが優勝すると西武百貨店などでは優勝セールが行われました。
しかし、2004年にコクドと西武鉄道の不正会計が明るみに出ます。一方、兄・清二の経営する西武百貨店などもバブル崩壊に伴う不況と保有していた不動産が不良債権化するとたちまち経営難に陥ります。
現在では義明の事業は西武ホールディングス(以下HD)に引き継がれ、ライオンズもこの配下にあります。清二の事業は現在セブン&アイHD傘下に入っています。
13年に西武HDの筆頭株主であったアメリカの投資会社サーベラスが、採算の悪い一部の鉄道路線の廃止やライオンズの売却に動いた時期がありました。最終的には、西武側の強い反対や沿線の住民、ライオンズファンからの反対もあり、サーベラスは構想を断念、西武HDの株を大量売却するなどして影響力は弱まり、ライオンズは存続することになりました。
(文中、敬称は略しました)
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フリーライター。歴史・文学からビジネス、スポーツ等、幅広い分野において執筆を行う。