フランス文学の有名作家おすすめ15選
フランス文学初心者でも気軽に手に取れる作品、押さえておきたい必読の作品をご紹介します。フランス文学に興味があるけど、何から読めばよいのか分からない方も、そもそも難しそうで敬遠している方も、純文学から推理、冒険小説、児童文学まで幅広いジャンルを集めましたので、まずは試しに一冊手に取っていただければと思います。
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フランス文学への入り口
フランス人有名作家の簡単な来歴と、おすすめ作品をご紹介します。
18世紀末から発達した啓蒙思想の中心地であり、哲学的思索の発達した国内では、緻密な心理分析や科学的な観察によって、「人間」を描き出そうとする作品が多く生まれました。一方、世界的な知名度を誇る怪盗アルセーヌ・ルパンシリーズや、ヴェルヌの空想科学小説など、気楽に読める娯楽文学も有名どころが多々揃っています。「文学」などと銘打つと堅苦しくなりますが、入門編として、取っ付きやすい入口を見つけていただければと思います。
シャルル・ペロー(1628年 - 1703年)
来歴
ルイ14世に仕えた、フランスの詩人です。古代ローマの文学より現代のそれの方が優れていると延べ、反対意見を唱える詩人の二コラ・ボアローと真っ向から対立しました。ペローとボアローはその後和解しましたが、古代人と現代人、どちらが優れているか、というある意味不毛なこの命題は「古今闘争」と呼ばれ、その後もヨーロッパ各地で少しずつテーマを変えながら取り沙汰されることになります。
1695年より、民間伝承をまとめて教訓を加えた詩や散文を続々と発表し、これが後に『ペロー童話集』と呼ばれるようになりました。子どもを意識して書かれた初めての児童文学である、とも言われています。
『ペロー童話集』
『グリム童話』や『マザー・グース』よりも古い時代の童話集で、民間伝承をまとめただけでなく、物語の「教訓」を脚注として付けているところに特徴があります。猟師が登場せず、少女が食べられて終わってしまう『赤ずきん』や、百年の眠りから覚めて王子さまと結婚したものの、姑が実は人喰い鬼だったため、再びピンチに陥る『眠りの森の美女』など、耳馴染みのあるタイトルながら、「王道」とはまた違った物語がちらほらと。どちらかといえば、やや陰惨なストーリー展開が多いのですが、大人になると、逆にそんなダークな話が読みたくなることもあるはず。「本当は恐ろしい」と言われるグリム童話と重なる話もあるので、両者を読み比べてみるのも面白いかもしれません。
スタンダール(1783年 - 1842年)
来歴
フランス南東部のグルノーブル出身、スタンダールはペンネームで、本名はマリ・アンリ・ベールです。
7歳の時に最愛の母を亡くすという悲劇、そしてその反動か、父に対して抱いた強烈な反発の感情、これが、スタンダールの生涯の方向性を決定づけた強烈な原体験となったのかもしれません。母方の親類の口利きで軍人となった彼は、17歳の時ナポレオンのイタリア遠征に参加して、母のルーツでもあるイタリアを訪れると、以降この地を第二の故郷と見なすほどに深く愛するようになりました。程なく軍を退職してからは、官僚として職を得、順調に出世していきます。しかし、31歳の時にナポレオンの没落によって失職してしまいます。その後はフリージャーナリストとして旅行を繰り返しながらミラノに逗留します。この間、社交界に出入りしながら多くの自由主義者、ロマン主義者と知り合いった彼は、スタンダールのペンネームで『ナポレオン伝』の着想にかかるも挫折、バツイチの子持ち女性、メチルドに猛アタックを掛けるも失恋し、さらにフランスのスパイを疑われてイタリアからの退去命令を受け、失意のうちにフランスへ帰国すると、39歳で初めての商業出版である随筆『恋愛論』を発行しました。その後46歳で小説『赤と黒』を発表した後は、ローマの教皇領内にフランス領時に任命されると、59歳で亡くなるまで、終生この職に留まりました。
彼の人生は多くの女性への求愛、失恋の繰り返しで彩られ、その墓碑銘は「生きた、書いた、愛した」、と刻まれています。代表作『赤と黒』、『パルムの僧院』など。
『赤と黒』
立身出世の野望を抱き、軍人から聖職者を目指す主人公、ジュリアン・ソレルは、家庭教師として雇われた先のレナール家夫人と不倫関係に陥り、故郷を追われますが、その先で貴族の娘マチルドの心を射止めます。万事が思惑通りに進むかと思われたのですが、結婚直前に届いた一通の手紙が彼の運命を一変させます・・・。作中では明示されない題名の「赤」と「黒」が何を意味するのか、そんなふうに考察しながら読み進めるのもおもしろいと思います。
オノレ・ド・バルザック(1799年 - 1850年)
来歴
フランス中部のトゥールに生まれたバルザックですが、父の転勤で一家は一時期パリへ引っ越し、その後郊外へと引き揚げ、20歳のバルザックは市内に一人留まり、屋根裏部屋に下宿しながら創作活動を始めました。当初は文筆家一筋でやっていくつもりではなかったようで、出版業、印刷業など、文学に関わる事業に次々に手を出すも、ことごとく失敗してしまい、借金まみれの背水の陣の中、30歳の時に『ふくろう党』を発表し、次第に文筆家としての頭角を現し始めます。
その後発表した『ふくろう党』を第一作目として構想された《人間喜劇》は、自身の著作の中であらゆる階層のあらゆる人間を描き、19世紀のフランス社会全てを書き切ろうという壮大な計画でした。以降、彼はそれに連なる中・長編小説を次々に執筆していきます。残念ながら彼は51歳で亡くなり、《人間喜劇》は完成に至りませんでしたが、その間に書き上げた作品は90篇にも上りました。
一方、私生活では多くの、それも大半が既婚の女性と関係を持ち、数々の浮名を馳せた人物でもありました。代表作は『ゴリオ爺さん』、『あら皮』、『谷間の百合』など。
『ゴリオ爺さん』
パリのみすぼらしい下宿に住むラスティニャックですが、富と名声への野心を燃やす彼がなんとか潜り込んだ社交界で出会った貴婦人は、なんと同じ下宿に身を寄せる、ゴリオ爺さんと呼ばれるみすぼらしい老人の娘でした。
うらぶれた下宿屋度と煌びやかなパリ社交界を行き来しながら、純真と野心との狭間に苦悩するラスティニャックは、己の全財産を投げ打つほどに、二人の娘に愛情を注ぎながらも、あまりにも報われない末路を迎える内容となってます。巧みな言葉でラスティニャックを誘惑し、とある企みに加担させようとする謎めいた男ヴォ―トランなど、細部まで作り込まれた多彩な登場人物が交錯する重厚な人間ドラマに仕上がっていて、「文豪」バルザックと称されるのも納得の、読み応えのある作品です。
アレクサンドル・デュマ(1802年 - 1870年)
来歴
『三銃士』で有名なアレクサンドル・デュマは、北フランスエーヌで生まれました。
父はナポレオン軍の将軍でしたが、デュマが幼いころに亡くなったため、幼少期は貧しい生活を余儀なくされ、15歳で働き始めました。しかし、17歳の時に劇作家を志してパリへ上京しました。27歳の時に発表した戯曲『アンリ三世とその宮廷』の成功を皮切りに一躍売れっ子劇作家となりました。続いて手掛けたのは歴史小説です。新聞連載という形で発表された『モンテ・クリスト伯(巌窟王)』や『三銃士』などが続々とヒットし、彼の下には莫大な印税が転がり込みました。
瞬く間に一財産を築き上げた彼は、豪邸「モンテ・クリスト城」を築城、夜な夜な女優や著名人を招いてはパーティーに明け暮れる贅沢な生活を繰り広げます。さらに、自身の作品を上映させるための劇場を建設してこちらも軌道に乗せ、巨額の収入に巨額の浪費と、派手な生活をほしいままに続けました。
しかし、1848年、二月革命による国政の転換とその後の混乱から、客足の遠のいた劇場が経営困難に陥ってくると、状況は一転、長年の浪費生活も祟って資金繰りは悪化の一途を辿り、49歳の時にはとうとう破産してしまいます。そして、債権者たちから逃れるため、ベルギーへと逃亡しました。その後、和解を成立させてフランスへ帰国しますが、以後は細々とした生活が続き、亡くなった時にはほんの僅かな資産しか遺っていなかったということです。波乱万丈、まるで自身が小説の主人公のような一生でした。
『三銃士』
銃士を夢見てガスコーニュの片田舎からパリに出てきた青年ダルタニャンが、三銃士として名を馳せるアトス、ポルトス、アラミスと友情を結び、フランス-イギリス間の政治的陰謀に巻き込まれながらも、次々にそれを解決してゆく物語です。合言葉の「一人はみんなのために、みんなは一人のために」、は、どこかで耳にしたこともあるのではないでしょうか。
物語自体はフィクションですが、バックボーンに実在の人物や事件を取り入れており、痛快なヒーロー活劇と壮大な歴史ドラマのいいとこどりを楽しむことができます。また、本作を語る上で避けて通れないのがダルタニャンの宿敵、謎の女性ミレディーの存在です。憎むべき役どころではありますが、智謀と美貌を駆使したその活躍ぶりは、まるで陰の主人公のように妖しい魅力を放っています。
ヴィクトル・ユーゴー(1802年 - 1885年)
来歴
長編小説『レ・ミゼラブル』などで知られるユーゴーは、17歳でアカデミー・フランセーズの詩のコンクールで優勝するなど、早くから文才を開花させていました。
1848年、二月革命後の第二共和政体制下では議員として政治活動でも活躍していましたが、3年後にルイ・ナポレオンが独裁権を握り、反対派の弾圧を始めると、弾圧対象だったユーゴーは国外に逃亡し、以後49歳の時から19年間、ベルギーやイギリス領を転々とする亡命生活を送ることになります。『レ・ミゼラブル』はこの間に発表されたものでした。ちなみに本作に関しては、有名な逸話があり、出版直後、本の売れ行きを懸念したユーゴーが海外の旅行先から出版社に宛てて手紙を出したのですが、その文面にはただ「?」とだけ書かれていたそうです。「売れ行きはどうか?」と、いう意味です。そして、対する出版社からの回答は「!」、つまり、「大成功です!」、というわけです。
1870年、ナポレオン三世の失脚と共に帰国したユーゴーは英雄として迎えられ、その後も多くの著作を送り出し、83歳で亡くなった際には、国葬でもって葬られました。
なお、ここまで紹介した三人の作家、バルザック、デュマ、ユーゴーは、お互い盟友として交友関係があったそうです。
『レ・ミゼラブル』
ユーゴーの代表作で、『ああ無情』の邦題も有名ですね。
革命後の不安定な情勢が続くフランスのパリ、姉の子供に食べさせるパンを盗んだがために、19年間牢獄に入れられ、荒んだ憎悪を人々に持っていたジャン・バルジャン。しかし、司教ミリエルとの出会いにより改心し、その誠実さと人望を買われてやがては市長を務めるまでに至ります。しかし、無実の男を救うために自らその素性を明かしてからは、執念深い警部らから再び執拗な追跡を受けるようになりました。数々の迫害に晒されながらも、ジャン・バルジャンは、手元に引き取った孤児の少女コゼットを実の娘のように慈しみ、育てていきます。最期は彼女とその恋人に見守られ、二人の幸福を確信しながら、彼は自身の幸せを噛みしめて天国に旅立っていきました。
ジャン・バルジャンの数奇な半生に、革命以降続くフランスの激動時代の描写が重なり合う、壮大な大河ロマンです。
シャルル・ボードレール(1821年-1867年)
来歴
五感に絡みつくような退廃的、官能的な表現で、後世の文人たちにも大きな影響を与えた詩人です。
幼いころに実父を亡くし、母は再婚しています。この出来事の衝撃が、彼の中に生涯鬱屈とした感情を抱かせたと言われています。
高校の頃までは義父の望みに沿おうと優等生を貫いてきた彼でしたが、やがて引き継いだ亡父の遺産を遣い込み、放蕩な生活を送るようになります。20歳の時、心配した親族らから強制的にインド旅行へと送り出されるも、途中で帰国しています。その後23歳の時には禁治産者として弁護士の監視下に置かれ、以降貧窮に苦しむ生活が続くようになりました。
36歳の時、それまで書き溜めていた作品を詩集、『悪の華』として出版。しかし、その内容が風紀紊乱に当たるとして、発禁処分になり、さらに、罰金と詩編6篇の削除を言い渡されました。該当詩編を削除し、新たに32の詩編を追加して第2版が出版されたのは1861年です。その後も詩作を続けましたが、その作品を生前に発表することなく、梅毒による合併症により46歳で世を去りました。書き溜めた作品集は、没後『パリの憂鬱』と題して出版に至っています。
『悪の華』
発表当時は発禁処分まで言い渡されたという曰く付きの詩集です。「憂鬱と理想」、「巴里風景」、「酒」、「悪の華」、「叛逆」、「死」、と、これらの章立てからも窺い知れるどこか退廃的な憂愁を帯びた雰囲気です。娼婦や死、腐敗など、およそ詩的なものの対極にあるテーマから艶めかしい美しさが引き出されており、詩の持つ可能性を存分に堪能できる一冊です。
ギュスターヴ・フローベール(1821年 - 1880年)
来歴
「写実主義」を確立させた大家と目される作家です。幼いころから創作活動に興味を抱いていた彼は、一時は法学を学ぶためにパリの大学へ進学しましたが、神経症の発作で昏倒してからは、父の判断によりルーアンの別荘地へ隠棲しました。怪我の功名というべきか、家族公認の下、憧れの文筆活動に専念できる環境を手に入れることになりました。28歳の時、3年間構想を練り続けた『聖アントワーヌの誘惑』を書き上げて友人たちの前で満を持して発表するも、評価は散々でした。「もっと身近な題材を」、と、勧められて取り掛かった次回作が、彼の代表作でもある『ボヴァリー夫人』です。4年半の執筆期間を経て完成したこの作品は、雑誌『パリ評論』に掲載されることになりました。しかし、既婚女性の不倫物語、という、当時としてはあまりに先鋭的な内容に、当初から編集とフローベールとの間で、掲載章の一部削除を巡る激しいやり取りが展開されました。挙句の果てに、時の公安から「公衆道徳を著しく害する」として、裁判まで起こされます。しかし、これがかえって世間の注目を呼び、翌年に『ボヴァリー夫人』が刊行されると、たちまちベストセラーとなったのでした。
寡作の作家であったフローベールは、その後、歴史に題材をとった『サランボー』、自伝的要素の強い『感情教育』など、数えるほどの作品しか遺しませんでしたが、長い推敲を経て一つの作品を書き上げるスタイルには、彼がいかに「文章を書く」ことについて強いこだわりをもっていたかが見て取れます。
『ボヴァリー夫人』
田舎の医師夫人として生活するエマ・ボヴァリーは、凡庸な夫との結婚生活に満足できず、ロマンスを求めて若い書生や紳士風の遊び人らと不倫を重ねますが、現実に待っていたのは裏切りや借金の果ての、身の破滅でした。
あらすじだけ書き連ねると、今や新鮮味の無いただの不倫物語となってしまいそうですが、そこで、注目してみたいのが、作品の表現技法についてです。
たとえば、作中の台詞に続く地の分が、『「(台詞)」、夫人には聞こえていないようだ』、と、する場合と『「(台詞)」、夫人には聞こえなかった』、とする場合、前者は作中人物の視点、後者は物語の語り手の視点(いわゆる「神の視点」)であることが分かるでしょうか?フローベールは、『ボヴァリー夫人』夫人の中で「自由間接話法」と呼ばれる前者の技法を意図的に多用して、作中人物と読み手の視点を徹底的に同質化させようと試みました。題材だけでなく、技法的にもまた、革新的な作品であったというわけです。
ただの不倫小説と切り捨てず、少し視点を変えた読み解き方に挑戦してみると、意外な興趣が見えてくるかもしれません。
ジュール・ヴェルヌ(1828年 - 1905年)
来歴
子どもの頃、『海底二万マイル』、『十五少年漂流記』などのタイトルに馴染みのあった方も多いのではないでしょうか。これらの作者にして、SFの開祖としてジョージ・ウェルズと共に知られているのが、彼、ジュール・ヴェルヌです。
港町に生まれ、幼い頃から船乗りたちの冒険譚に触れてきたヴェルヌは、10歳の頃、自分も海に冒険に出ようとして家出をし、こっぴどく叱られますが、このとき、「これからは頭の中だけで冒険をします」、と、母に語ったとか。その言葉通り、彼は34歳の時に発表した『気球に乗って五週間』を皮切りに、地底、月世界、海底、無人島と、あらゆる場所を舞台とした冒険小説を執筆します。
彼の「SF」は大半が同時代を舞台にしたもので、その中で展開される技術も、当時の最先端科学にほんの少し、想像力で補った「あと一歩先の未来」を付加したものでした。それゆえ、作中の世界観は妙にリアリティがあり、その魅力「当時の最先端」から100年以上経ってしまった今日でもなお失われることなく、多くの読者を惹き付けています。
後年、彼は拳銃による襲撃で脚を撃たれ、車椅子での生活を余儀なくされましたが、それでも執筆の手を止めることはありませんでした。77歳で亡くなるまでの40年程の間に書き上げた作品の数は、実に60以上に上るということです。
『海底二万マイル』
謎の海洋生物を調査する博物学者アロナクスは、乗り込んだ軍艦で海の怪物に襲撃され、助手のコンセイユ、銛打ちの名人ネッド・ランドと共に大洋に投げ出されます。しかし、幸運にも技術の粋を結集した高機能潜水艦ノーチラスと、その艦長でネモと名乗る男に救助され、共に海底の旅に出るのですが…。
異形の生物や失われた古代文明、底知れぬ神秘を内包した深海の世界と、博物学から最新技術まで、あらゆる知識に精通しながら、どこか人類への不穏な感情を漂わせるネモ船長をはじめ、二つの謎が並行する冒険の旅に、ページを捲る手が止まらなくなる長編小説です。
ジャン・コクトー(1889年 - 1963年)
来歴
コクトーが生まれたのはパリ郊外、10歳近く年の離れた姉と兄を持つ、三人兄弟の末っ子として母親に溺愛されて育ちました。9歳の時に父親がピストル自殺で亡くなります。コンドルセ中学に入学し、同高校に進学しますが、学業怠慢のため退学となり、別の高校に再入学しますが、大学入学資格試験であるバカロレアに二度失敗し、大学進学を諦めます。やがて母の導きで社交界にデビューした彼は、マルセル・プルーストらと出会い、次第に文学に傾倒していきました。20歳の時に処女作である詩集『アラジンのランプ』を刊行した後、『ポトマック』で小説家としてもデビュー、また、バレエのポスター制作や台本作成など、総合的に芸術活動を広げていきました。30歳の時、14歳年下の小説家、レーモン・ラディゲに傾倒し、共に仕事をするようになります。しかし、ラディゲは4年後にわずか20歳で腸チフスのため夭逝、その悲しみから、コクトーは阿片に溺れるようになりました。以降、彼は10年以上、4度にわたって阿片中毒による入院退院を繰り返し、その合間に作品を発表していきます。次に紹介する代表作『恐るべき子供たち』も、二度目の入院治療中に書き上げられたものでした。40代になってからは代表作『美女と野獣』など、映画監督にも活動の幅を広げたコクトーは、74歳で心臓発作により亡くなるまで、詩人、小説家、評論家、映画監督など、多方面で精力的に活動を続けました。1936年には世界旅行の道中日本へも訪れており、相撲や歌舞伎などの見物も行ったそうです。また、俳優のジャン・マレーとの同棲など、私生活では男色の嗜好があったようです。
『恐るべき子供たち』
中学の同級生、ダルジュロスに憧れる14歳のポール、弟に肉親への敬愛以上の想い寄せる2歳上の姉エリザベート、その崇拝者であるジェラール、アガートにおけるお互いの禁忌の感情は、時の止まった「子供部屋」での共同生活によって危うく均衡を保っていたのですが、ある事件をきっかけに、そのバランスは崩れ、やがて悲劇が訪れます。
子供部屋という閉塞空間での停滞したやりとりが作品の大半を占めながら、終幕は階段を転落するように、一挙に訪れます。熱に浮かされたように一気読みしてしまう、手に取りやすい中編の小説です。
ジュール・ルナール(1864年 - 1910年)
来歴と『にんじん』
『にんじん』の作者である、といった方が通りが良いかもしれません。
学生時代より文学者を志していたルナールは、兵役や新聞記者として働く傍ら創作活動に励んでいましたが、30歳の時、文筆活動への専念を決意して新聞社を退社し、同じ年に代表作『にんじん』が発表されます。実の母による強烈な継子いじめを扱ったこの作品は、作者の半自伝的作品であるといわれ、彼と母親の間に強烈な確執があったことを窺わせるのですが、後年の日記の中で、彼はそれを「お互い、口の使い方を心得ていなかったから」、と語っています。不器用すぎて、互いに愛情を伝えあえないもどかしい母子だったのかもしれません。3年後に戯曲『別れも愉し』が好評を博すと、次第に演劇作品も手掛けるようになっていき、『にんじん』もまた、彼自身の手で戯曲化されました。後に父親と同じく、シトリー村村長を務めましたが、1910年、動脈硬化により46歳の若さで亡くなりました。複雑な感情を抱いていた母親が、井戸に転落して死亡した翌年のことでした。
『博物誌』
彼自身の身の回りの自然、とりわけ、動物たちに関する「観察記」です。
本のタイトルからは、自然科学の本かと勘違いしてしまいそうですが、まぎれもなく文学小説のジャンルです。
各項長くても2ページ、短いものはたった一言(例えば、「蛇」についての項は、ただ「長すぎる」とだけ!)の表現に、思わずクスリとしたり、考えさせられたり。ルナールの魅力である鋭い観察眼と簡素な文体が、存分に発揮された小品集です。
モーリス・ルブラン(1864年 - 1941年)
来歴
おそらく世界一有名であろう大泥棒、アルセーヌ・ルパンの生みの親です。早くから小説家を目指してはいたものの、作家としては遅咲きで、大衆紙に掲載された『ルパン逮捕される』で一躍名が知られるようになったのは、実に40歳近くになってからのことでした。
しかし、ルブラン自身はこの作品の成功に当初は戸惑いを持っていたようでした。元来、彼が小説家として志していたのは、娯楽性の高い「ルパンもの」のような冒険活劇ではなく、知識階級に向けた純文学だったからです。けれども、周囲の熱烈な声に後押しされて、ルパンシリーズの執筆は結局、以後30年近くにわたって続きました。晩年には「国民的英雄、ルパンの創造」を理由にフランス国内で最高位の勲章、レジオンドヌール勲章すら授与されています。そんなルブランは晩年、死の数週間前に、「自分の近所にルパンが出没して悪さをする」と、警察署に被害届を出したそうです。その訴えに、署長は一名の警官を派遣して、偉大なる作家の最期の日々の平穏を守らせたということです。
ルパン無しでは語れない、ルブランの一生で、彼自身の人生は76年で幕を閉じましたが、彼の生み出した「アルセーヌ・ルパン」は、今日まで人気シリーズとして読み継がれるばかりか、あらゆる創作のジャンルで、「ルパン」にインスピレーションを得たと思われる作品、或いはキャラクターが生み出され続けています。
『アルセーヌ・ルパン』シリーズ
神出鬼没の怪盗アルセーヌ・ルパン。楽天的で快活な性格と、豪胆で冒険心に溢れた行動力、さらに虐げられた女性や子供には優しい義賊的な精神性も持ち合わせ、多面的な魅力で今も世界中の人々に愛されています。
作品として初めて発表されたのは、1905年に大衆紙『ジュ・セ・ドゥ』誌上で発表された『ルパン逮捕される』ですが、単行本では続いて発表された『獄中のアルセーヌ・ルパン』、『ルパンの脱獄』など、初期の九つの短編(版によって若干相違あり)をまとめた『怪盗紳士ルパン』が第一作目となります。その後、『ルパン対ホームズ』、『奇岩城』でイギリスの誇る名探偵シャーロック・ホームズと勝負したり、『水晶の栓』で、悪徳代議士や警察を相手に大立ち回りを演じたり、怪盗としての面目躍如の大活躍を果たしながら、現実世界で第一次世界大戦が勃発すると、『金三角』で金塊の国外流出を食い止めたり、『三十棺桶島』でドイツのスパイと対決するなど、救国の英雄的な側面も見せるようになります。また、変装の名人でも知られるルパンはいくつもの顔を持ち、『女探偵ドロテ』の青年ラウール、『バーネット探偵社』のジム・バーネットなど、直接本人の名は出てこないものの、その正体がルパンであることを窺わせる作品も複数発表されています。
作者のルブランの構想では、ルパンシリーズは、50代近くになったルパンが宿敵カリオストロと最後の対決を果たす『カリオストロの復讐』で最終章となるはずでしたが、その後、ルブラン没年の1941年に、一部の章が欠落した状態であったものの、『ルパン最後の事件』が、2012年、新たに発見された遺稿から『ルパン最後の恋』が刊行されています。
怪盗紳士ルパン
ルパンシリーズの序章とも呼べる『ルパン逮捕される』を手始めに、自身の身は獄中にありながら、狙いを付けた美術品を見事巻き上げて見せた『獄中のアルセーヌルパン』、人を喰った手口で遂に囚われの身から脱する『ルパンの脱獄』など、怪盗紳士の初期の活躍を収めた9編の短編集。大胆不敵でどこか茶目っ気のある彼の魅力は、この一冊でも十分に堪能できると思います。
棺桶島
ベロニックは、過去にドイツ人貴族ボルスキーと結婚し、一人息子をもうけるも、とある事情で独り暮らしを送る女性です。あるとき、彼女は旅先で、奇妙な死体と、自身のイニシャルが記された磔刑に処される4人の女性の薄気味悪い絵に邂逅し、通称「棺桶島」と呼ばれる孤島へ渡ることになりますが…。
ドルイド僧や石の祭壇など、古代ケルトの伝承を背景に、「棺桶島」での凄惨な出来事が中心となる恐怖小説風の第一部と、ドン・ルイス・ペレンナことアルセーヌ・ルパンの助けにより、無事に謎の解明と事件の収束が図られる痛快な第二部。前後編でがらりと趣向の変わる作品。怪盗としてではなく、悪党を打ち倒し、弱者の窮地を救う「正義の味方」としてのルパンの姿が色濃く描かれています。
ガストン・ルルー(1868年 - 1927年)
来歴
『オペラ座の怪人』が有名なガストン・ルルーはパリ生まれ。大学で法学を学んだ後、パリの新聞社ル・マタンに入社し、海外特派員としてヨーロッパや中東諸国を駆け巡って活躍しますが、30代半ばで発表した『テオフラスト・ロンゲの二重生活』をきっかけに職業作家に転じます。数年後には新聞誌上で連載した推理小説、『黄色い部屋の秘密』で、一躍人気作家となり、その後も主に新聞連載小説という形で作品を発表し続けますが、中でも42歳で発表した『オペラ座の怪人』は、何度も映画化、舞台化されるなど、現代にいたるまで高い評価を受けています。邦訳作品は『黄色い部屋の謎』、『オペラ座の怪人』、『ガストン・ルルーの恐怖夜話』など。代表作から、ホラー、推理小説作家とみなされることが多いですが、実際はSF、歴史、政治小説など、幅広いジャンルの著作を手掛けていました。
オペラ座の怪人
舞台はパリのオペラ座で、この場所に、いつの頃からか密かに棲み付いていた「オペラ座の怪人」が若手歌手のクリスティーヌに度を越した恋心を抱いてしまったことから、彼女とオペラ座の周辺で恐ろしい事件が引き起こされることになります。
実際にオペラ座周辺で噂されていた幽霊伝説を下地に組み上げられたというこの物語は、仮面の下に悍ましい正体を隠す「怪人」の存在に、非日常を演出する「オペラ座」という舞台装置が見事に掛け合わさって、迫真に迫る怪奇小説となっています。
何度も映画化や舞台化もされていますので、そちらから入った方にもぜひ原作として手に取っていただきたい作品です。
アンドレ・ジッド(1869年 - 1951年)
来歴
ジッドはパリの生まれで父は大学教授、叔父は経済学者のインテリ家系でしたが、幼年期の彼は引っ込み思案で成績もあまり振るわない子供だったようです。26歳の時母を亡くした(なお、父は11歳の時に死別)彼は、4年前に求婚して断られた従姉のマドレーヌに再度熱烈な求婚を行い、同年結婚するに至ります。ジッドはマドレーヌを深く愛しており、『狭き門』のアリサを始め、彼の著作に登場する女性キャラクターにも彼女の存在が色濃く影を落としているのですが、ジッドの同性愛的嗜好もあって、二人の夫婦生活は肉体関係を持たない「白い結婚」に終始していました。
40歳で出版した『狭き門』で世間一般にも名を知られるようになり、文芸誌『新フランス評論(NRF)』の創刊にも関わるなど、次第に文壇界で存在感を増して行ったジッドは、次第に社会問題の分野へと目を向けていくようになりました。きっかけは50代後半のアフリカ旅行で原住民たちが置かれている悲惨な実態を目の当たりにしたことで、帰国した彼は、その旅行を『コンゴ紀行』『チャドからの帰還-続コンゴ紀行』として発表し、植民地支配のあり方に疑義を提するなど、世間に議論を巻き起こしました。その後、一時期は共産主義への転向を発表して世間を驚かせましたが、実際にソヴィエトを訪問してその実態を目にすると、今度は『ソヴィエト紀行』でスターリン体制への反対を明確にし、第二次世界大戦前には反戦・反ファシズム運動を展開しました。彼の根底を貫いていたのは、不正や抑圧に反発し、人間性の自由を追求する心でした。
1947年、ジッドは「人間の問題や状況を、真の大胆不敵な愛と鋭い心理洞察力で表現した、包括的で芸術的に重要な著作に対して」ノーベル文学賞を受賞し、4年後に82歳で亡くなっています。代表作は『狭き門』、『贋金つかい』、また、長年にわたって書き記された彼自身の『日記』も、日記文学として高く評価されています。
主人公ジェロームは、2歳年上の従姉アリサに恋心を抱き、二人は相思相愛の仲になります。しかし、アリサの敬虔な信仰心は、彼女にに最後の一歩を踏み出すことを許さず、結局、二人は悲しい別離を果たすことになります。打ちのめされたジェロームは、後にアリサの日記を垣間見て、信仰と地上の愛との狭間で葛藤するアリサの痛切な心の叫びを知ることになるのでした。
単に美しい悲恋物語として楽しむこともできますが、別の見方では、強烈に人の心を縛り付ける宗教、あるいは思想信条が持つ残酷さを突きつけられる物語とも受け止められるのではないでしょうか。文章も読みやすく、物語自体もそれほど長くありませんが、読後に多くを考えさせられる作品です。
サン・テグジュペリ(1900年-1944年)
来歴
リヨンの貴族の家系に生まれたテグジュペリは、幼いころから空に憧れ、兵役で航空隊へ入隊した後、民間の会社で郵便飛行のパイロットとして働きました。パイロット勤めの傍ら、『南方郵便機』、『夜間飛行』、『人間の土地』など、自身の体験を元にした作品を次々に執筆して、作家としての名声をも獲得していきます。35歳の時、フランス‐ベトナムの横断飛行中に機体トラブルでサハラ砂漠に不時着、生存が絶望視される中、徒歩でカイロに生還しました。この時の体験が、後に『星の王子さま』にも反映されることになります。
やがて第二次世界大戦が始まると、彼は偵察飛行部隊のパイロットを務めましたが、ヴィシー政権がドイツと講和をすると、アメリカへ亡命しました。この亡命生活の間に代表作である『星の王子さま』が執筆されています。その3年後、テグジュペリは自由フランス空軍の志願兵として戦線に復帰しましたが、1944年、コルシカ島での偵察飛行を最後に行方不明となりました。
彼の最期は長い間謎に包まれていましたが、2000年代になって、マルセイユ沖で引き揚げられた軍用機が、テグジュペリのものであったと判明、その後、元ドイツ軍パイロットが「テグジュペリを撃墜したのは自分である」、と公言、世間を沸かせました。彼もまた、テグジュペリのファンであり、「長い間あの操縦士がテグジュペリでないことを願い続けていた」、とも語ったということです。
『星の王子さま』
操縦士である「ぼく」は、不時着したサハラ砂漠で一人の少年に出会います。話すうちに、その少年は、ある小惑星からやってきた王子であったことが分かり、「ぼく」は、王子が旅に出たきっかけと、今まで渡り歩いてきた星々の話を聞くことになります。
「大切なことは目に見えないんだよ」、「もし君がぼくと絆を結んだら…(中略)…ぼくは、君にとって、世界でたった一人の友だちになる」など、大切なものとは、人を愛するとは、本当に美しいものとは…なにかを問う、作中には、素朴な言葉で深く心に突き刺さる名言がちりばめられています。童話の体を為しながら、そのメッセージは間違いなくかつて子供だった大人たちにも向けられたもの。
何度でも読み返したくなる名作です。
フランソワーズ・サガン(1935年 - 2004年)
来歴
本名はフランソワーズ・コワレで、サガンのペンネームはマルセル・プルーストの小説、『失われた時を求めて』の登場人物にちなんだそうです。 フランス南西部のロット県で、裕福な家庭に生まれたサガンですが、18歳の時に出版されたデビュー作、『悲しみよこんにちは』が発売と同時に各国でベストセラーになり、若くして作家としての名声と、莫大な収入を獲得することになります。
しかし、早すぎた栄誉と富とが彼女の人生を歪ませてしまったのか、以後、彼女の人生はスキャンダルの連続となっていきます。手に入れた金で連日友人たちと豪遊し、乱れた私生活を続ける彼女は21歳の時、自動車事故で重傷を負いますが、原因は自身の無謀運転でした。続いて2度の結婚をするも、いずれも早々に離婚しました。その後もギャンブルに嵌り、薬物依存に陥り、脱税で起訴されたりと、ゴシップ誌に恰好のネタを提供し続けてきました。このような乱れた生活が祟ったのか、晩年に近いおよそ12年間は、預金を差し押さえられ、薬物中毒の後遺症に苦しむなど、困窮した生活を送ったようです。彼女の人生は2008年、『サガン‐悲しみよこんにちは‐』、というタイトルで映画化もされました。自身が小説の世界から抜け出してきたかのような、波乱万丈の人生を歩んだ作家です。
悲しみよこんにちは
母を亡くし、父レエモンと二人暮らしの少女セシルですが、18歳の夏、二人はコート・ダジュールの別荘地にやってきて、父は愛人エルザと、セシルはその地で知り合った大学生の青年シリルと、思い思いに気楽な夏を楽しんでいました。そんな彼らの別荘に、亡き母の友人アンヌが現れます。大人の女性として完璧に見えるアンヌに、初めは彼女を慕っていたセシルでしたが、父が彼女との結婚を臭わせ始め、またアンヌ自身も母親然とした厳格な態度をセシルに向けるようになると、彼女の中には次第にアンヌに対する反感が生まれるようになります。やがて、セシルは父の再婚を阻止するために、シリルとエルザも巻き込んでとある計画を企みました。そして、その結果、残酷な結末が招かれることになります。
憧憬、反発、そして嫉妬といった、揺れ動く微細な感情や、周りの大人たちに向けられる時に情熱的で、時に冷徹な眼差しは、間違いなく18歳の少女の目を通した世界。作者自身が同世代の少女であったからこそ、ここまで瑞々しくリアルに描けたのだろう、と納得する反面、その世界を読者の眼前に再構築して見せる作家としての力量に、尊敬の念を抱かざるを得ません。舞台となった日差し眩しい南仏の別荘地の如く、気怠い夏の午後のお供にページを繰るのが似合いそうな中編の小説です。
終わりに
純文学から冒険小説まで、懐の深いフランス文学です。文学を通して思索を深めたい方にも、ただただ娯楽の一環として読書を嗜みたい方にも、気になるタイトルがあればぜひ手に取ってみてください。