ドビュッシーのおすすめ名曲15選【彼の生涯や逸話と合わせてご紹介】
『耳に心地よい音楽』を唱えたドビュッシー。伝統的基準に頼らない独自な音楽で音楽史に新たな風を吹かせました。
彼は典型的な印象派だと言われることが多いですが印象派と呼ばれることを嫌いました。
彼はどのようなことを考えどのような生涯を送ったのでしょう。この記事では、ドビュッシーの生涯を辿りながら代表曲をご紹介します。
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アイキャッチ画像出典:www.78rpm.net
ドビュッシーの生涯
幼少期
ドビュッシーは1862年フランスで小さな陶器店を営む父と母の元に生まれました。ドビュッシーは額が少し突き出ていたため前髪をおろして隠そうとしました。その容貌のためか、少し内気な少年だったようです。
8歳のとき伯母のいるカンヌに赴き、そこでピアノを習います。その時の講師であるヴァイオリニストも、彼の並外れた素質には気がついていたようです。またドビュッシーも、後年その時のことを「鮮烈な印象を残した」と手紙で語っています。幼少期のドビュッシーについては、後年本人が語ろうとしなかったため、どのように過ごしたのかは不明な部分が多いです。
パリ音楽院(コンセルヴァトワール)入学
10歳で音楽院に入学したドビュッシー。この時の合格者はわずか33人でした。音楽院では作曲、ピアノ演奏、和声学などを学びピアニストを目指しました。
学内のコンクールで健闘しいくつかの賞を取りますが、1878年・1879年と2年連続して賞を取ることに失敗してピアニストとしての才能に自ら見切りをつけてしまいます。そしてその年にピアノ科を去ってしまうことになるのです。
泥沼の恋愛
彼は死ぬまで不倫に結婚、二股を繰り返しました。音楽家など芸術家に多いようですが、なかなかの女性遍歴でした。
まずフォン・メックという資産家の未亡人に雇われてピアニストをしていた時、そこの娘と恋愛関係になっていきます。この時、年上の人妻と不倫しながら同世代の女性とも付き合っているということです。さらに数年後同棲しつつ別の女性と浮気し、同棲していた女性が自殺未遂に追い込まれます。
しかしその翌年、全く別の女性と結婚してしまいます。ここまで浮気を繰り返して結婚相手が見つかるのが不思議ですがそれだけ魅力的だったのかもしれません。結婚5年目にまた浮気をして、結婚相手をまたもや自殺未遂に追い込みます。その翌年離婚し、3年後、別の相手と再婚します…。音楽にせよ恋愛にせよ、自分の気持ちに正直すぎたのかもしれません。
ラヴェルとの親交
1898年初期、ラヴェルの『耳で聞く風景』の初演にて出会います。その後2人は、互いの私的な演奏会に招待するなど友好的な関係を築きました。しかし沢山の些細な理由によって友情は壊れてしまいます。
その理由としては、2人の作品の一部が似ていることや、ラヴェルがドビュッシーの道徳観に批判的であったことなど本当に些細なことばかりです。芸術家のプライドがぶつかり合った結果でしょうか。簡単に友情は壊れてしまいました。
2人の曲を聴いたことがあれば、2人が同じ時代に生まれて親交があったことは大変興味深いでしょう。
ドビュッシーのおすすめ名曲15選
さて、恋多き人生送ったドビュッシーですがここでおすすめの名曲を紹介します。やはり彼の音楽も関わった人物や私生活から多大なる影響を受けていました。
亜麻色の髪の乙女(1910)
ピアノの発表会などで一度は耳にしたことのある方も多いでしょう。またBGMでも使われることが多く、聴いたことが一度もない人は存在しないのではないか、と思えるほど有名な曲です。
この曲は彼の未発表の歌曲を編集したものであり、フランスの詩人ル・コントリドールの詩をもとに作曲されました。
その柔らかな曲調は万人に受け入れられ、愛される結果となりました。ところでこの曲のタイトルにある亜麻色とは、何色のことを指すのでしょうか。
日本では概念的に親しまれていない色ですが、フランス語の原盤で『白に近い金髪』と書かれています。白人の柔らかそうな金髪をイメージすると分かりやすいでしょうか。
夏の美しい情景を思い浮かべて作られた作品です。
喜びの島(1904)
「シテール島への巡礼」という絵画の影響を受けて作られました。
暗く内気な性格だったドビュッシーがここまで喜びに満ちた音楽を作った理由は、恋に夢中だったからであると言われています。ドビュッシーは決して一途な人ではありませんでしたが恋をするときは作品にも影響が出るほど、夢中になるのですね。
映画『のだめカンタービレ』にも登場する曲で、こちらも大変有名な曲です。
中盤に登場する不思議なメロディーが、それでも明るく表現されていてドビュッシーの感性の繊細さを感じさせます。
雨の庭(1903)
この曲は彼の母国フランスを思って書かれた曲です。
曲の序盤から、小さな雨粒がたくさん降ってくる様子を連想させます。雨の粒を音の粒で表現しているようです。
この曲はフランスの有名な童謡である『ねんねよ坊や』と『もう森へは行かない』の2曲をモチーフに書かれた曲であると言われています。そのため初めの頃から観客の受けが良く、なんと初演からアンコールを求められたそうです。
長調、短調が混在しており絶妙なバランス感覚の作品です。
牧神の午後への前奏曲(1894)
『夏の昼下がり好色な牧神が昼寝のまどろみの中で官能的な夢想に耽る』という内容のマラルメの詩、『牧神の午後』に感銘を受けて書かれました。
牧神の象徴である『パンの笛』をフルートで表現しているところがこの曲に欠かせない重要な表現となっています。音を「実際に存在するもの」に例えるドビュッシーらしい作風です。この曲はドビュッシーの出世曲であると言われており、1912年には振り付けも伴ってバレエとして上演されています。
小組曲より『小舟にて』(1889)
ドビュッシーが敬愛していた詩人、ポール・ヴェルレーヌの詩集『艶やかなる宴』に着想を得たと言われています。もとは2台ピアノのために作曲されましたが、菅弦楽器でも演奏されています。そしてピアノでは可憐さ、菅弦楽器は優雅さを感じ、それぞれに違う楽しみ方があるように感じます。
穏やかな小川を流れる小舟をイメージさせるような曲調で初めに流れるハープの分散和音(アルペジオ)がこの曲の全体像を象徴しているようです。
夢(1890)
美しく、タイトルの通り甘美で幻想的なメロディが曲の世界観を作り出しています。ですがそんな曲の印象とは裏腹に、まだ駆け出しの作曲家であった時代に経済的困窮から必要に迫られて書いたと言われています。
そのため彼はこの曲をとても嫌っていました。しかも出版社は楽譜を受け取ってから何年も経ってから、それも勝手に出版していました。
そんなドビュッシーにとって何の思い入れもない生活苦から逃れるための手段であったこの曲ですが、作曲者の作品への気持ちとは裏腹に世間からの評価は絶好でした。
月の光(1890)
この曲はドビュッシーが28歳の時に作曲されたベルガマスク組曲の3曲目です。ベルガマスク組曲とは音楽の作風や派閥のことではなく、ドビュッシーが気に入ってつけた名前です。「ベルガモの」という意味のこの言葉はやはり、敬愛していた詩人ヴェルレーヌから影響を受けてつけました。
今の時代、ドビュッシーのピアノ曲で最も有名であろうこの曲。その当時好きだった人のために作られたとも言われています。また当初は「感傷的な散歩道」というタイトルだったのがのちに「月の光」に変わりました。悦楽の後の虚しさを表現する詩人ヴェルレーヌの世界を、音楽で表現しようとした曲です。
ドビュッシーは作品つくりにおいて、恋人や尊敬する人物からの影響を受けやすいですね。
2つのアラベスク(1888)
練習のために作る曲を除けば、これがドビュッシー作曲の最初のピアノ曲です。『アラベスク』といえばイスラム美術の装飾文様で、唐草模様とかアラビア風を思い浮かべますよね。この曲で用いられている分散和音(アルペジオ)は音符同士が交互に重なり合い、まるでアラベスク模様を織っているところが目に見えるようです。
また、ドビュッシーの言葉に『バッハの音楽において人を感動させるのは、旋律の性格ではなくて旋律の曲線である。』というものがあり、この曲は正にバッハを意識した曲なのではないかと言われています。
子供の領分より『グラドゥス・アド・パルナッスム博士』(1908)
この曲はドビュッシーが溺愛した1人娘シュシュに向けて書かれた作品です。ところでグラドゥス・アド・パルナッスム博士とは誰なのでしょう。
これは実際に存在した人の名前ではなく、19世紀前半にクレメンティーが作曲した『グラドゥス・アド・パルナッスム』という練習曲集に由来しています。練習曲集なので単調でつまらないものばかりで、それに飽き飽きした子供の様子を描こうとしたのでしょう。音がコロコロ踊っているような可愛らしい曲で、子供らしい自由さといい加減さを表現した作品です。
美しい夕暮れ(1880)
ほとんどがピアノ曲である作曲家ドビュッシーが、珍しく作った歌曲です。ピアノの深い低音が耳に響き、続いて優雅なバイオリンの旋律が聴こえてきます。この曲は彼が18才の時に書き上げた歌曲で、ポール・シェルジェの夕暮れを歌った詩に作曲したものです。元は歌曲ですが器楽曲に編曲されたものも頻繁に演奏されています。美しい夕暮れを見ながら聴きたい曲です。
交響組曲 春(1887)
こちらは主にオーケストラに演奏される楽曲でドビュッシーが20代の時に作曲したと言われています。ボッティチェリの名画『プリマヴェーラ(春)』にインスパイアされて作曲しました。やはり絵画をはじめとする芸術作品にインスパイアされることが多い作曲家です。
この『プリマヴェーラ』という絵画、日本語では『春』と訳されていますがなぜ『春』なのでしょうか。
それは、絵画の中に沢山の神話の登場人物が出てくるのですが、それらが春に急成長するからです。そのためこの絵画は、春に急成長する世界の比喩であります。
原版の編成は管弦楽に2台のピアノ、そこに女声合唱が加わるものでしたがのちにフランスの音楽家アンリ・ビュッセルが編成したオーケストラ版で演奏されることが多くなりました。
子供の領分より『人形へのセレナード』(1908)
冒頭からギターの音色を連想させるスペイン風の曲調です。
ドビュッシーはこのようなギターの音色を連想させる曲を他にも作っており、例えば『とだえたセレナード』などがあります。
こちらも『子供の領分』の中の一曲であり愛娘シュシュのために作ったと言われます。しかし子供が演奏するための曲ではなく、あくまでも演奏の技術力・表現力を持った大人が演奏する曲とされています。
また大人が演奏する際、子供心を思い出すための曲であるとも言われています。この『人形へのセレナード』は『子供の領分』という曲集で最も早くに作られた作品です。
夜想曲 雲(1899)
こちらは3曲の曲集の中の一曲であり管弦楽曲です。
ピアノ曲が圧倒的に多いドビュッシーの管弦楽曲ですが、彼が37歳の時に作られました。享年55歳なので比較的晩年に作られた曲ですね。
曲の中間には1オクターブに5音が含まれる音階、「五音音階」も用いられていますが、これは1889年のパリ万国博覧会でドビュッシーが聴いたジャワのガムランの影響を受けていると言われています。
このジャワのガムランによる演奏はその後のドビュッシーの作品に絶対に欠かせないと言えるほど彼に多大なる影響を与えた出来事となりました。
夜想曲 祭(1899)
祭りの盛り上がりと、祭りの後の静けさを表現した作品がこの曲です。現代でも祭りの儚さ、祭りの前の気分の盛り上がりなどを感じる瞬間が多くあります。ここに趣を感じるのは、時代が変わっても共通の心理なのですね。
ところで夜想曲とは「ノクターン」と同義です。「ノクターン」、どこかで聞いたことのある響きですよね。この言葉の意味は、『夜の情緒を表す叙情的な楽曲』です。祭りの盛り上がりとその後の静けさを『ノクターン』で表現するなんて粋ですね。
夜想曲 シレーヌ(1899)
セリーヌとは、ギリシャ神話に出てくる怪物です。
上半身が人間の女性で下半身が鳥の姿の、人魚に似た見た目をしています。また後世には魚の姿をしているとされました。
怪物なので基本的に悪者なのですが、海の航路上の岩礁から美しい歌声で人を惑わし航行中の人たちを遭難や難破に遭わせる怪物なのです。
美しい歌声で人々を惑わし難破に遭わせる怪物…悪者であり自らの才能を武器に人を感動させるこの怪物は、存在自体が芸術的ではありませんか。
スターバックスのロゴもこの怪物をモチーフにして描かれたものです。人の心に訴えかけてくる悪者は厄介ですね。
最後に
この記事ではドビュッシーの人生と彼の作品15選を紹介して参りました。
ここまで暗鬱として内気な性格のドビュッシーでも、急に人が変わったかのように希望に満ちた明るい曲を作ることもあったということがわかっていただけたかと思います。
彼の心のうちは彼にしかわかりませんが、その才能を生かして世に多くの作品を残してくれたことに感謝します。是非、彼の作品を聴いたり演奏してみてはいかがでしょうか。
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この記事のライター
音楽好き、特にクラシックはピアノからオケまでなんでも好きです。