司馬遼太郎の生涯とおすすめ15作品
『竜馬がゆく』、『坂の上の雲』などの歴史小説で有名な司馬遼太郎。多くの作品が大河ドラマなどで映像化されており、読んだことはないけど作家名、作品名は知っている、という方も多いのではないでしょうか。この記事では、司馬遼太郎の経歴と、そのお勧め作品をご紹介します。
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司馬遼太郎ってどんな人?
講談社『週刊現代』10月1日号(1964)より司馬遼太郎近影
司馬遼太郎は大正時代に生まれ、戦後昭和から平成の世までを作家として活躍しました。
『関が原』、『竜馬がゆく』、『坂の上の雲』、『関が原』など、丹念に積み上げられた史実研究を基に創作された歴史小説を数多く執筆し、坂本龍馬や新撰組など、後の世の人々が思い描く歴史上の人物イメージにも、彼の作品が強く影響を与えていると言われています。その作品には映像化されたものも多く、NHKの大河ドラマでは最多の6作品が原作として取り上げられました(2019年現在)。
また、『街道をゆく』シリーズなどの紀行文、対談・随筆集なども多く残しています。
司馬遼太郎の文学碑。
作品『世に棲む日日』にちなみ、奇兵隊高杉晋作が眠る東行庵に置かれたものです。
司馬遼太郎の経歴
生い立ち
司馬遼太郎は1923年(大正12年)、大阪市に生まれました。「司馬遼太郎」はペンネームで、本名は福田定一。ちなみに、司馬遼太郎は、『史記』で知られる中国の史家、「司馬」遷に、「遼(はるか)」に及ばざる「太郎(つまり、日本の者)」という意味が込められているそうです。幼少時から「世の中には本屋と図書館さえあれば良い」、と考えるほど大の読書好きだった彼は、自身は「世の習いだから」仕方なく通っていたと語っていますが、博識と明るい性格とで、周囲にはいつも人が集まっていたそうです。
戦時下の青年時代
福田少年が中学に入学した頃から、日本は暗い時代へとひた走っていました。
1939年(昭和14年)には満州国とモンゴル人民共和国との国境をめぐり、宗主国である日本とソ連が武力衝突する、いわゆるノモンハン事件が発生し、多くの死者を出したこの紛争を引き起こした「日本」という国に、彼は疑念を抱き始めるようになりました。
やがて、彼は大阪外国語学校蒙古語学部(現在の大阪大学外国語学部)に入学しましたが、翌年の1943年(昭和18年)、太平洋戦争のただ中に、学徒出陣のため仮卒業させられます。福田青年は軍隊へ入隊。戦車部隊に配属されて満州へと渡った後、本土決戦のため国内へ戻されて、栃木県の佐野市で終戦を迎えました。
多くの犠牲者を出した末の敗戦は、彼に強烈な衝撃を与えました。「こんなばかな戦争をする日本とはいったい何だろう」。そんな思いが再び頭をもたげ、これが、彼の日本史に対する関心の原点になりました。
新聞記者時代
終戦とともに新聞記者として働き始めた福田青年は、大阪の新日本新聞、産経新聞と、新聞社を渡り歩きました。記者活動を通して重ねた取材や人との出会いは、後の歴史小説の糧に繋がっていきます。
こうして、記事作成以外にも文筆活動に裾野を広げた彼は、「司馬遼太郎」のペンネームで発表した『ペルシャの幻術師』で1956年(昭和31年)に講談倶楽部賞を受賞。ここから小説家として名が知られるようになっていきます。
歴史小説の大家へ
1960年(昭和35年)に『梟の城』で直木賞を受賞した翌年、司馬は産経新聞社を退職して、作家活動に専念することになりました。
当初は『果心居士の幻術』、『飛び加藤』など、伝奇的色合いの強い時代小説を多く手がけましたが、1966年(昭和41年)に『竜馬がゆく』、『国盗り物語』で、菊池寛賞を受賞するなど、次第に歴史小説家として名を成して行きます。また、1971年(昭和46年)より、生涯にわたって書き続けた紀行文、『街道をゆく』の連載を始めました。
こうして、40以上の長編、20以上の短編と、多くの随筆、論評を世に送り出した司馬遼太郎は、72歳になった1996年(平成8年)1月に、突然の吐血と共に倒れ、入院先の病院で亡くなりました。
この時連載中であった『街道をゆく 濃尾参州記』は未完に終わっています。
没年の翌年には司馬遼太郎財団が発足し、2001年(平成13年)には、彼の自宅と隣接する敷地に「司馬遼太郎記念館」が設けられました。また、命日である2月12日は「菜の花忌」と呼ばれ、今日までその足跡が偲ばれています。
司馬遼太郎記念館では、これまでに出版された司馬遼太郎作品の文庫本をすべて取り揃えている他、作品に関連した企画展も随時開催されています。作家の書斎を窓越しに眺めることも可能です。
『梟の城』
原作
直木賞受賞により、司馬遼太郎の名を一躍知らしめた作品。
架空の伊賀忍者、葛籠重蔵(つづらじゅうぞう)が、かつての師より豊臣秀吉の暗殺を命じられたところから物語が動き出します。
伊賀や甲賀、抜け忍にくノ一など、敵味方が入り乱れるハードボイルドな忍同士の争いに、色恋沙汰を含めた人情噺が程よくミックスされた、手に汗握る忍者小説です。
また、物語に奥行きを出しているのが、豊臣秀吉や徳川家康といった実在の人物なのですが、中でも核心に居るのが石川五衛門。どこに出てくるかは、ぜひご自身でページをめくって確かめてくださいね。
映像作品
この作品は1963年と1999年の2度にわたって映画化もされていますが、特に2度目の作品、『梟の城 Owl's Castle』では、主人公を演じた中井貴一が主演男優賞を受賞しています。興味を持った方はこちらも併せてチェックしてみるのはいかがでしょうか。
『尻啖え孫市』
原作
戦国時代、鉄砲の技能集団として名を馳せた雑賀党。その党首である雑賀孫市(鈴木孫市)を主人公とした物語です。
織田信長が治める岐阜城下にふらりと現れた、真っ赤な陣羽織に八咫烏紋の長身の男。彼の名は雑賀孫一、紀伊の国の鉄砲集団、雑賀党の頭目でした。天衣無縫な行動を繰り返す孫市の存在は、たちまち信長の関心を買うことになりました。信長は彼を麾下に加えようと部下の秀吉に接触を命じますが、懐柔は失敗。けれども、秀吉と孫市の間には、奇妙な友情が育まれることになりました。
やがて、惚れた女性の愛を得るために本願寺一向宗の総大将を引き受けた孫市は、鉄砲隊を率いて信長軍との合戦に挑むことになりました・・・。
最新兵器である鉄砲の扱いに長け、卓越した軍才も持ち合わせながら、追い求めるのは天下でも功名でもなく、理想の女人との出会いだという傾奇者。そんな、雑賀孫一の自由奔放な生き様を描いた痛快な物語です。
映像作品
1964年に中村錦之助主演で映画化もされました。
『国盗り物語』
原作
下剋上に満ちた乱世を描いた、これぞ「戦国時代」の物語。
第一部『斎藤道三編』と、第二部『織田信長編』の二部構成となっていますが、第二部では、道三の甥である明智光秀から見た信長の姿が多く語られており、実質、主人公は斎藤道三、織田信長、明智光秀の三人と言っても過言では無いでしょう。
かつては僧門に身を置き、「知恵第一の法蓮房」とも呼ばれた若者、松波庄九郎。一国領の、やがては天下の主となるべく野心を滾らせ、僧院を飛び出した彼は、油商人として身代を立てながらも、大望を果たす好機を着々と窺っていました。
やがて、後継の途絶えていた守護代、斎藤家の名を継いで、斎藤道三と名を改めた庄九郎は、智謀、陰謀の限りを尽くして美濃の国を盗み取ることに成功しましたが、天下取りへと次の一手を進めるには、既に齢を重ねすぎており、長良川の戦いで、かねてから不仲だった息子竜興の前に敗死します。
道三の野望は娘婿であった織田信長に引き継がれました。天下布武を掲げ、
乱世の収拾を目論む信長は、合理的な戦術と統治法によって抵抗勢力を次々に蹴散らしていきます。また、道三にはもう一人、後継として目をかけた男がいました。道三の正室、小見の方の甥である明智光秀です。足利家の臣下として取り立てられた光秀は、その後将軍義昭の推挙で信長に仕えるようになりました。衰退した足利家を再興し、乱世を鎮めることこそが正義と考えていた光秀は、既存の権威を打ち毀し、新たな秩序を生み出そうとする信長の姿に次第に天下人としての資質を認めるようになっていきます。しかし、人を道具のように扱う彼の人間性に反発する中で徐々に心を病み、遂に叛旗を翻すことを決意しました・・・。
映像作品
2度にわたって映像化されており、1973年にNHK大河ドラマとして、また、2005年にテレビ東京のワイド時代劇として、北大路欣也主演で放映されました。
ただし、2005年版は現在、新品での入手は厳しい状況のようです。
大河ドラマ『国盗り物語』
大河ドラマ版は、タイトルは『国盗り物語』となっていますが、その他、『新史太閤記』、『功名が辻』、『尻啖え孫市』、『梟の城』』と言った各作品からも設定を持ってきており、司馬遼太郎の戦国作品総集編といった仕上がりになっているようですよ。
『夏草の賦』
戦国時代の四国の雄、長宗我部元親(作中では「長曾我部」元親と表記)を主人公に描いた作品です。
岐阜城下に美貌で通った美濃斎藤家の姫菜々は、政略結婚により、「鬼の国にも等しき」遠国、四国へと嫁すことになりました。相手は土佐の大名長曾我部元親。自らを「臆病者」と認める彼は、それゆえの思慮の深さから智謀に優れる、稀代の戦上手でした。
権謀術数を駆使し、本山氏、安芸氏、一条氏らを次々に降して土佐一国を平定した元親は、続いて四国統一へと着実に版図を拡大していきます。
彼の胸中には、天下掌握の壮大な野望が渦巻いていたのでした・・・。
好奇心旺盛で、時に突拍子もない行動に出る正室の菜々との絡みを箸休めに、長宗我部による四国統一に向けて邁進する高揚感溢れる上巻と、秀吉、家康ら時の天下人の前に膝を屈し、一族衰退に向かう下巻。
最後には、タイトルの引用元になったであろう芭蕉の有名な俳句、「夏草や つわものどもが 夢の跡」の文句がしんみりと身に染みる、四国の覇者の栄枯盛衰物語です。
『功名が辻』
原作
織田信長の馬廻り役家臣から、徳川の世に土佐二十万石の大名にまで出世した山内一豊と、その躍進をいわゆる「内助の功」で支え続けた妻、千代の物語です。
9歳年上の貧乏侍、山内伊右衛門(後の一豊)に千代が嫁いだのは齢14歳。
臥所で伊右衛門が妻に語ったのは、「一国一城の主」という、知行僅か五十石の貧乏侍には分不相応にも思われる壮大な夢。評判通りの美しさと秘めた賢さとを兼ね備えた千代は、そんな夫に生涯添い遂げて手助けすることを決意しました。
ある時、立派な馬を見出したものの、高値で手が出ないと嘆く伊右衛門に、千代は金十枚の大金を差し出しました。それは彼女が嫁入り時、「夫の一大事にこそ使うように」と、母に持たされた秘蔵の小判だったのです。
後に都で行われた馬揃えの儀で、この時の馬が信長の目に留まり、伊右衛門は出世の糸口を掴み取ります。それからも、千代に巧みにおだて、鼓舞され(上手に転がされ・・・と言った方が正しいかもしれません)、伊右衛門が功名の坂を駆け上がるうちに、時代は織田から豊臣、徳川の世に移り変わっていきました。千代の慧眼で東軍に与した伊右衛門は、ついに宿願叶って土佐太守の地位を手に入れるのです。
司馬作品には珍しく、女性が主役級の活躍をする物語。
戦国の世に剣も槍も使わず、パートナーを異例の立身出世へと導いた恐るべき千代の才覚は、「内助の功」という評価だけでは大人しすぎるかもしれませんね。
映像作品
何度か映像化された作品ですが、現在も視聴可能なのは、2006年、千代を仲間由紀恵、伊右衛門を上川隆也が演じたNHK大河ドラマ版。主演の二人だけではなく、主要な登場人物である信長、秀吉、家康(それぞれ舘ひろし・柄本明・西田敏行)の、肖像画に似せた衣装や風貌が話題になりました。
『関が原』
原作
豊臣秀吉の没後、天下乗っ取りの野心をちらつかせる徳川家康と、それを阻止すべく立ち上がる石田三成。両雄の対立は、政局からやがて武力を伴う戦乱へと激化して行きました・・・。
この作品は、その名の通り関ヶ原の戦いを題材としたものですが、主人公は天下人となった徳川家康・・・ではなく、彼と対峙した西軍の将、石田三成。彼を中心とする武将たちの群像劇と共に、天下分け目の関ケ原へ至る道程と、その終結までを克明に描いた長編です。
統治者としての才覚と熱い正義感を併せ持った石田三成像は、単に徳川と争った敗軍の将、という彼に対するイメージを、きっと良い意味で覆してくれるでしょう。
映像作品
1981年にTBSのスペシャルドラマとして、2017年にはV6の岡田准一主演の映画として映像化もされました。いずれも原作に恥じない圧倒的なスケールが話題を呼んだようです。
『菜の花の沖』
原作
江戸時代後期の海運商、高田屋嘉兵衛の生涯を描いた物語です。
淡路の貧農の子として生まれた嘉兵衛は、11歳で郷里を離れ、義叔父の営む廻船問屋に奉公に出ました。一介の船乗りから雇われ船頭に、そして自前の船を手に入れて「高田屋」の屋号で海運業者として独立するようになった嘉兵衛。やがて、北方開拓を目論む幕府の御用船頭として蝦夷地へと乗り出すと、択捉との航路や周辺漁場の開拓に成功し、苗字帯刀許可の栄誉を授けられます。
こうして、蝦夷地の経営と開拓に勤しむ嘉兵衛でしたが、折しも1811年、北方では、幕府役人が国後に上陸したロシア軍艦ディアナ号艦長、ゴローニンを軟禁する事件が発生します。いわゆるゴローニン事件です。嘉兵衛はロシア側の報復としてディアナ号に捕らえられ、カムチャツカへと連行されました。自由を奪われ、仲間を傷付けられたことに憤る嘉兵衛でしたが、長年の海上生活で培われた「みな人なり」の精神で相対するうち、彼の振る舞いがロシア人たちの心を溶かして行きます。
次第にディアナ号副艦長、リコルドと深い友情で結ばれるようになった嘉兵衛は、こじれ切った二国間の関係を修復するため、幕府を相手にゴローニン解放に向けて尽力することを決意しました。
貧しい農民の家に生まれて商人として財を成し、幕臣の厚い信頼を受けてロシア人との友情を育んだ、快男児高田嘉兵衛の胸が熱くなるような物語です。
映像作品
本作は、2000年度にNHK放送開始75周年記念番組として、竹中直人主演でドラマ化されました。
海上を行き交う北前船や、カムチャツカの雪原など、勇壮な世界観を見事な映像で再現した作品ですが、残念ながら現在は、中古品のみ入手可能な状況となっているようです。
『竜馬がゆく』
原作
土佐藩の次男坊に生まれ、薩長連合や大政奉還など、幕末維新に数々の奇蹟を残して、志半ばで最期を遂げた時代の風雲児、坂本龍馬。彼の劇的な人生を中心に、幕末の動乱時代を描いた長編小説です。
時代を見通す卓越した先見性や実行力、それに天真爛漫な性格といった、世間一般でイメージされる龍馬像を作り上げた作品であるとも言えるでしょう。ちなみに、「龍馬」ではなく「竜馬」となっているのは史実とフィクションとを区別するためなのだとか。
先の見通せない激動の時代に己自身の足で立ち、未来を見据えて荒波に向かう竜馬や維新志士の生き様は、常識がころころと変わってゆくこの時代に生きる私たちにも、背中で多くを語りかけているように思います。愛読書としてこの一冊を挙げる方も多い作品ですよね。
映像作品
大河ドラマや長編時代劇として何度も映像化されています。ざっと見てみますと、
1965年版(MBS系・中野誠也主演)
1968年版(NHK大河ドラマ・北大路欣也主演)
1982年版(テレビ東京ワイドドラマ・萬屋錦之介主演)
1997年版(TBS時代劇スペシャル・上川隆也主演)
2004年版(テレビ東京新春ワイド時代劇・市川染五郎)
これだけでも、『竜馬がゆく』が、どれほど愛されている作品かが分かりますね。
なお、1997年版と2004年版は、同じ脚本を基にしているそうです。
『燃えよ剣』
原作
この作品の主人公は、新撰組の土方歳三。
局長、近藤勇の腹心として裏方、憎まれ役に徹し、ごろつきの寄せ集めに過ぎなかった新選組を幕末最強集団にまで仕立て上げた「鬼の副長」の生涯を、武州石田村のバラガキ(乱暴者)時代から、函館戦争の五稜郭の戦いで最期を迎えるまでを辿っています。
『竜馬がゆく』を、時代の流れを敏感に察知し、新たな時代へと舵を切った開拓者のロマンとするなら、こちらは時代の節目を悟りながらもなお、自身の矜持を貫き殉じた武人のロマンに満ちた作品と言えるかもしれませんね。
映像作品
ドラマ化、映画化の多さから、本作の人気を伺うことができます。
1966年版(テレビ東京系・内田良平主演)
1966年映画版(松竹系・栗塚旭主演)
1970年版(テレビ朝日系・栗塚旭主演)
1990年版(テレビ東京・役所広司主演)
現在、映像ソフトとして入手できるのは、ハマり役と言われる栗塚旭主演の1966年版、1970年版のみのようです。
最新映画情報
一方、このたび没後150周年の節目である2020年に、最新の映画作品が公開予定です。土方歳三を演じるのは映画『関が原』の主人公、石田三成を演じた実績もあるV6の岡田准一さん。
こちらも要チェックですね。
原作:司馬遼太郎 × 脚本・監督:原田眞人 × 出演:岡田准一、柴咲コウ、鈴木亮平、山田涼介、伊藤英明―新選組と副長・土方歳三を描き切る、歴史スペクタクル超大作!2020年公開
『新選組風録』
原作
『燃えよ剣』とほぼ同時期に執筆された、新選組がテーマの作品です。『燃えよ剣』が一貫して土方歳三視点の長編物語であるのに対し、こちらは様々な立場の隊士を主役とした短篇集。
有名な池田屋事件を新選組監察方である山崎烝にスポットを当てて描いた『池田屋異聞』。隊内最後の内部抗争を描いた『油小路事件』。名刀虎徹を欲した近藤勇が僅かな支度金で刀屋を訪れたその顛末を語る『虎徹』。病身の沖田総司が抱いた仄かな恋心と、それを労わる近藤や土方の家族のような情愛を描いた『沖田総司の恋』など15編を収録。
いずれも隊士たちがの息遣いが生き生きと伝わってくるような鮮やかな語り口で、血生臭さ人間臭さの同居する「新選組」という生き方を選んだ男たちの魅力を余すところなく描いています。
映像作品
最初の映像化作品は、1963年公開の『新選組血風録 近藤勇』というモノクロ映画ですが、こちらは入手が困難な模様。
1999年に、エピソードの中から『前髪の惣三郎』と、『三条磧乱刃』を原作にした『御法度』という映画が公開されています。こちらは、新選組を男色の視点から見た異色作となっており、妖艶な美男剣士、加納惣三郎を松田龍平が、土方歳三をビートたけしが演じました。大島渚監督の遺作でもあります。
TVドラマは、
1965年版(テレビ朝日系、栗塚旭主演)
この番組で、栗塚旭演じる土方歳三がハマり役と好評になり、5年後にほぼ同じスタッフ、キャストで映画『燃えよ剣』が製作される運びとなりました。
1988年版(テレビ朝日系、渡哲也主演)
こちらは、DVD等の映像ソフトを入手することは不可能のようです。
2011年版(NHK、永井大主演)
BSプレミアム時代劇の第一作目として放映されたものです。永井大が、本作で初めて時代劇の主演に挑戦しました。
『翔ぶが如く』
原作
明治維新による新体制の樹立後から、国内最後の内乱である西南戦争に至るまで、明治初期の動乱期を、薩摩藩出身の二人の志士、西郷隆盛と大久保利通を中心に描いた物語。
同志として共に倒幕運動に加わり、成功に導いた大久保利通と西郷隆盛。
大久保は、列強諸国による侵略を警戒し、新国家の基盤を盤石にすることを急務と考えていた一方、征韓論争を機に新政府に失望した西郷は、中央を離れて故郷に隠遁を決意しました。
やがて、士族の乱が各地で勃発するようになる中で、西郷を希望の象徴とみなす不平士族たちが徐々にその下に集ってくるようになります…。
西郷や大久保の他、伊藤博文や山県有朋といった明治政府初期の重鎮や、西郷を取り巻く士族の面々など、多岐に亘る登場人物が活躍し、また、文庫本で全10巻と、司馬作品の中でも最大の長編となっています。
破壊は容易く、創造は困難と言いますが、建国期である明治初期の苦難に満ちた道のりは、これだけの紙幅を費やさねば到底語りきれなかったのかもしれませんね。
映像作品
1990年にNHK大河ドラマとして放映された『翔ぶが如く』は、西郷隆盛役を西田敏行、大久保利通役を鹿賀丈史が演じています。
ドラマは西郷・大久保の若年期である幕末から始まっていますが、この頃のエピソードは原作にはなく、『竜馬がゆく』など、幕末期を舞台にした他の司馬作品を基にしたオリジナルの脚本になっています。
また、全編を通してナレーションや台詞を薩摩弁で語り、難解な部分には字幕が入るというユニークな演出も話題となりました。
『胡蝶の夢』
黒船来航前後から幕を開けるこの作品には、3人の蘭医学者が登場します。
一人は松本良順。彼は奥医師(将軍家のお抱え医師)として江戸城に勤務しますが、旧い身分秩序に縛られ、新しい知識に閉塞的な奥医師の世界に疑念を抱いて長崎に渡り、オランダ軍医ポンペを講師に医学伝習所を開設しました。そこで、彼は自身も学ぶとともに、本格的な蘭方医の養成を始めるのです。その傍らで付属の診療所を設け、庶民にも診療の門戸を開くのでした。
二人目は島倉伊之助。かつて良純の弟子だったことがあり、伝習所開設にあたって良順に助手として呼び寄せられた彼は記憶力に優れ、特に語学の習得に驚異的な才能を見せるのですが、社会性に乏しいところがあり、周りから疎まれがちでした。
もう一人は関寛斎。当初は良順の父が開設した順天堂で医学を学び、さらなる向上心を持って伝習所にやって来ました。彼は不思議と伊之助を気にかけ、周囲に馴染めない彼に助言を与えたり、何かと世話を焼いてやります。
ポンペの帰国後、良順は江戸に戻って一橋慶喜の主治医となり、寛斎は請われて阿波蜂須賀家の主治医となりましたが、伊之助はその性格が禍して伝習所を追放され、故郷の佐渡へと引きこもりました。やがて変革を求める大きなうねりは大政奉還を引き起こし、戊辰戦争、明治維新と、時代は進んでいきます。
同じ医塾に学び、各々異なる運命を辿った蘭学医の目を通して、身分制に縛られた徳川政権の行き詰まりとその崩壊を描いた、司馬作品の幕末ものではちょっと異色の作品です。
『酔って候』
幕末ものの他作品、例えば『竜馬がゆく』、『翔ぶが如く』などの作中では躍如する藩士たちの陰に隠れがちな大名諸侯ですが、そんな彼らにスポットを当てた短編集がこちらです。
登場するのは(主人公ではない作品もあります)、自身に備わる英雄としての資質を存分に揮う機会がないことで、常にくさくさしている土佐藩主、山内豊信(容堂)。名君斉彬の後継に指名されるも、藩士らにいいように転がされて道化を演じることになった薩摩藩主、島津久光。異国の先端技術に心を奪われ、自前の蒸気船艦建造に腐心する宇和島藩主、伊達宗城。そして、国力を支配するのは武力でなく金であることを一早く悟った肥前藩主、鍋島直正。
同じ時節に生き、同じ肩書を持つ立場であっても、人が違えば時代の見え方はそれぞれ違うもの。そんな思いがしみじみこみ上げる一冊です。
坂本竜馬や大久保利通など、幕末志士の有名どころもちょくちょく顔を出すので、「司馬遼太郎の幕末長編スピンオフ」。そんな楽しみ方もできますね。
『坂の上の雲』
原作
明治維新を成功させ、新たな政府のもと生まれ変わった日本。制度改革と文明開化を重ね、近代国家としての歩みを進めた東洋の小国は、新国家の創成期に昂揚する人々の熱意によって着実に力を蓄えて、ついには日清・日露の両戦争で勝利を治めるほどに至りました。
陸軍大将秋山好古(よしふる)、好古の弟で、海軍中将の秋山真之(さねゆき)、そして真之の幼馴染で、俳句の革新運動に尽力した正岡子規。伊予松山生まれの三人の若者を中心に、明治日本の成り立ちを描いた、文庫本全8巻にも及ぶ長編です。
いま私たちが生きるこの国の礎に迫る物語でもあり、教養として触れてみる価値も十分あるかと思います。
映像作品
司馬遼太郎作品の中でも屈指の大作でありながら、描き方を間違えれば戦争賛美とも誤解されかねないテーマであったため、映像化のオファーは度々あったものの、作者がそれを許可しなかったと言います。
映像化のプロジェクトが始まったのは遼太郎の死後のこと。
彼の遺志を継ぐ司馬遼太郎記念財団及び福田みどり夫人の承諾を得た後、2009年より足掛け3年で完結の、3部構成のNHKスペシャルドラマとして放映されました。
放映期間も長期に亘っていますが、制作年月も3年の歳月を費やされており、その間、日本各地のみならず、戦争の舞台となったロシアや中国など、諸外国でのロケも繰り返されました。
原作に恥じない壮大なスケールの作品ですね。
なお、本木雅弘(秋山好古)、阿部寛(秋山真之)、香川照之(正岡子規)の主演となっています。
『項羽と劉邦』
タイトルで既にお分かりかと思いますが、こちらは中国史に題材を取った作品です。
秦の始皇帝の没後、各地で叛乱の相次ぐ混沌とした世情の中で、中原の覇権を争う二人の英雄、項羽と劉邦。比類なき武勇を持ち、秦を滅亡に追いやった楚の武将項羽が、武人としては凡庸ながら、人を惹きつける魅力的な人柄で優秀な家臣団を擁した男、劉邦に敗れ、漢帝国が勃興するまでが描かれています。
武力の項羽と人望の劉邦。対照的に描かれた二人の姿には、事を成すのに大事なものとは何かを突き付けられているように思われます。
といっても、最終的に敗れた項羽も決してただの無様な敗者ではなく、ライバルとして十二分な魅力を持った人物として描かれており、悲壮な最期を遂げた英雄の物語としても、十分堪能できますよ。
終わりに
長編の多い司馬遼太郎作品は、一見するととっつきにくいかもしれません。けれども、難しい学術用語は殆ど登場せず、読み物としての面白さでぐいぐいと読み進められます。歴史好きの方はもちろん、そうでない方も是非手に取ってみて下さい。もしかしたら、その一冊が、歴史への興味を開く第一歩になるかもしれませんよ。