日本神話とその神々【古事記をベースにわかりやすく徹底解説!】
神社の御祭神として、映画や漫画、アニメなどの文芸作品モチーフとして、日常でもなにかと触れる機会の多い日本の神様たち。日本神話でどのような神様たちが出てくるのか、ちゃんと理解していない方は多いのではないでしょうか。この記事では、主に古事記のあらすじダイジェストとともに日本の神々をご紹介します。
- 27,072views
- B!
日本の神話と日本の神様
八百万と呼ばれる日本の神々と、そんな個性豊かな神々の活躍する「日本神話」。
各地域の伝承や、寺社縁起等に由来するものも多くありますが、そのメインストーリーは、8世紀初めに記された『古事記』、『日本書紀』にあると言ってよいでしょう。
ここでは主に『古事記』のあらすじを辿りながら、「日本神話」とその主だった神々を紹介していきたいと思います。
①国生みの話と造化三神【アメノミナカヌシ・タカミムスヒ・カミムスヒ】
『古事記ストーリー』①
始まりは形も定まらぬたった一つの混沌であった宇宙が、二つに分かれて天と地をかたちづくると、天上の高天原(たかまがはら)に貴い神々が次々と生まれました。
そのうち、イザナギと、イザナミという男女二柱の神が、地上世界を創るという使命を帯び、「天の沼矛(あめのぬぼこ)」という矛を持って、高天原から地上にかかる「天浮橋(あめのうきはし)」に立ちました。
地上はまだ、水に浮かぶ油のようにどろどろで、一つに定まらず、浮き漂っていましたが、二柱の神が矛で地上をコオロコオロとかきまわし、引き揚げると、矛から滴り落ちた塩の雫が自ずから凝り固まって、最初の島が出来ました。この島をオノゴロ島(淤能碁呂島)と呼びます。
オノゴロ島に降り立った二神は男女の契りを交わし、次々と国を生みました。最初の2つは失敗し、次の8つは大きな島を、次の6つは小さな島や半島を。こうして日本列島が完成しました。
続けてイザナミは神々を産みました。家の神、山の神、海の神、水の神、木の神…しかし、燃え盛る火の神を産んだ時に大火傷を負い、それがもとでイザナミは死んでしまいます。
国生みの拠点となったオノコロ島があったと伝えられる、兵庫県南あわじ市のおのころ島神社。
天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)
最初に現れた神様ですが、名前以外の伝承が残っておらず、日本古来の祭祀からではなく、古代中国の道教思想に由来するものではないかとも考えられています。
高御産巣日神(タカミムスヒノカミ)
二番目に現れた神様で、後の天孫降臨、神武天皇の東征神話の中ではアマテラスと共に上意を伝える司令神としても登場しますが、こちらでは別名である髙木神(たかきのかみ)の名で表されることが多いことから、巨木、高城の神格化などの説があります。
神産巣日神(カミムスヒノカミ)
三番目に現れた神様で、『古事記』での記述では、後にスサノオに殺されたオオゲツヒメから五穀が生じた時にその種を取った話、オオクニヌシが兄弟たちの迫害で殺された時に使者を遣わせて蘇生させてあげた話、オオクニヌシが国造りを始めた時に息子のスクナヒコナに手助けするよう命じた話でその名が見えますが、いずれも天から助言や支援を与える役回りとして登場するようです。
②イザナギの黄泉下り【イザナギノミコト・イザナミノミコト・カグツチノカミ】
『古事記』ストーリー②
妻を失ったイザナギは嘆き悲しみ、彼女を連れ戻そうと、死者の住む黄泉の国へと訪ねることにしました。
黄泉の御殿の前で出迎えるイザナミに、イザナギはもう一度現世に戻ってほしいと熱心に訴えます。
死者と共に黄泉の食べ物を食べたことを理由に、夫の願いを断ったイザナミでしたが、その熱情にほだされて、とうとう黄泉の神々に現世への帰還を掛け合ってみよう、という気を起こします。
「戻ってくるまでは、決して中を覗き見ないでくださいね」
イザナミはそう言い残して黄泉の御殿の奥へと入っていきました。
独り残されたイザナギはそのうち待ち切れなくなって約束を破り、様子を見に行こうと黄泉の御殿へ足を踏み入れます。そこでイザナギが目にしたのは、腐敗して蛆が涌き、8匹の雷神が身体に取り付いた、醜いイザナミの姿でした。
イザナギは恐ろしさのあまり逃げ出し、イザナミは恥ずかしい姿を見られたことに怒り狂って、黄泉の軍勢と共にこれを追いかけます。しかし、どうにか地上へ逃げおおせたイザナミは、黄泉への道、黄泉平坂(よもつひらさか)の入り口を大岩で塞いでしまいました。
大岩を挟んで相対したイザナミにイザナギが離婚を言い渡すと、これを恨んだイザナミは、言いました。
「愛しい我が夫。このような仕打ちをするなら、私は一日に千人、あなたの民を殺してくれましょう」
「それなら我が妻よ、私は一日に千五百の産屋を建てて、千五百の子どもが生まれるようにしよう」
こうして、この国では一日に千人が死に、千五百人が生まれるようになったのでした。
黄泉平坂の入り口と伝えられる場所。島根県松江市の揖屋神社付近。
伊耶那岐命(イザナギノミコト)
日本の国土を創った二対の神のうちの男神。天から降りて妻のイザナミと共に国生みと神生みを果たしました。亡くなったイザナミを追いかけて行った黄泉路の旅からの帰還後に、今度は単身でアマテラスを始めとする神々を生み、役目を終えると近江の多賀大社に鎮座しました。
現在でも、全国の多賀神社には、イザナギノミコトとイザナミノミコトが御祭神として祀られています。
伊耶那美命(イザナミノミコト)
日本の国土を創った二対の神のうちの女神。天から降りて夫のイザナギと共に国生みと神生みを果たしましたが、火の神カグツチを出産した際に陰部を焼かれて亡くなりましたが、火傷で苦しむ間にも、その吐瀉物や糞尿から金属、土、水の神などが生まれています。
夫イザナギは彼女を慕って黄泉の国まで追いかけてきましたが、妻の死者としての醜い姿に恐怖して逃げ出し、離婚を言い渡しました。これによりイザナミは再び黄泉に下って死の国の王となったため、別名を黄泉大神(ヨモツオオカミ)、また、逃げ出したイザナギに追いついたことから地敷大神(チシキノオオカミ)とも言います。島根県松江市にある揖夜(いぶや)神社はイザナミノミコトを御祭神として祀っており、黄泉へ通じる黄泉平坂(よもつひらさか)の入口も、この付近にあると伝えられています。
迦具土神(カグツチノカミ)
イザナギ、イザナミの間に生まれた火の神です。生まれる時に母イザナミを焼いて死に至らしめたため、怒ったイザナギに剣で首を斬られましたが、彼の死体と、飛び散った血飛沫からもまた、神々が生まれました。日本書紀では火産霊神(ホムスビ)とも呼び表され、全国で火伏の神として信仰を集める秋葉神社に、御祭神として祀られています。
ちなみに、東京都台東区にある秋葉神社は、「秋葉原」の地名の由来ともなっています。
③三貴子の誕生【アマテラスオオミカミ・ツクヨミノカミ・タケハヤノスサノオ】
『古事記』ストーリー③
黄泉から戻ったイザナギが死者の穢れを落とそうと、清流で身体を洗い落とすと、そこから多くの神々が生まれました。中でも、三貴子(三柱の尊い神)と呼ばれるのが、アマテラス、ツクヨミ、スサノオで、それぞれ、イザナギが左目、右目、鼻を洗った時に生み落とされました。
イザナギは、彼らに命じ、アマテラスは、神々の住む高天原を、ツクヨミは夜の世界である夜之食国(よるのおすくに)を、スサノオは海原を、それぞれ治めるようにと申し付けました。
アマテラスとツクヨミは、父イザナギの言葉に従いましたが、スサノオは母を恋しがり、死者の国である根之堅州国(ねのかたすくに)へ行きたいと我が儘を言い続けたので、とうとうイザナギは怒り、スサノオを追放してしまいました。
三貴子を生み終えたイザナギが鎮座している近江の多賀大社。
天照大御神(アマテラスオオミカミ)
イザナギの左目から生まれ、高天原を治める神様です。天の石屋に籠ると世界が闇に包まれた、という記述から、太陽神としての性格を持っているとされます。また、『古事記』には性別に関する直接の記述はありませんが、文脈等から古来より女神として語られることが多く、現代もそのイメージが踏襲されています(男神説もあります)。
対となる神の存在は確認されていませんが、スサノオの高天原への叛意の有無を巡って、彼と誓約(うけい:占いの一種)をした時に、スサノオがアマテラスの髪飾りを口に含んでから吹き出すと、5柱の男神が生まれたというエピソードがあり、彼らがアマテラスの御子であるとされています。
三重県伊勢市の伊勢神宮(内宮)の御祭神が有名ですが、各地に見られる神明神社、天祖神社も、アマテラスを祀った神社です。
月読命(ツクヨミノミコト)
イザナギの右目から生まれた神で、夜之食国(よるのおすくに)の統治を任されたところから、太陽神アマテラスと対になる月の神とされています。『古事記』ではそれ以降活躍の場が無いのですが、『日本書紀』では、その後、穀物の神を斬り殺して穀物や蚕などを世界にもたらした、という逸話が載っています(『古事記』では、同じ役割をスサノオが果たしています)。
伊勢神宮(内宮)の別宮、月読宮(つきよみのみや)に祀られている他、京都府京田辺市を大社とする月読神社もあります。
建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)
イザナギの鼻から生まれた神で、荒々しい嵐、暴風の神とされています。
高天原で悪さをして追放され、地上ではヤマタノオロチを退治して英雄となり、最後は地下にある死者の国、根之堅州国の王として座すと、三界を股にかけて大活躍する神様です。
ヤマタノオロチを退治した後、クシナダヒメを妻として出雲に居付いたのが須賀の地で、これは、この地に来たスサノオが「この場所はすがすがしい」と言ったことに由来し、出雲を始めとする全国の須賀神社でスサノオを御祭神としています。
また、時代が下り、神仏習合の過程で疫病を鎮める牛頭天王と同一視されるようになったため、牛頭天王を祀る全国の祇園社、八坂神社にもスサノオノミコトが祀られています。
④アマテラスの石屋隠れ【オモイカネノカミ・アメノウズメノミコト・タヂカラオノカミ】
イザナギに追放を言い渡されたスサノオは、その後も高天原に留まって、田畑を荒らしたり宮殿を穢したり、何かと騒ぎを起こしていました。初めはそれを大目に見ていたアマテラスですが、ある時、スサノオが神聖な機(はた)部屋に皮を剥いだ馬を投げ込んで、一人の機織女(はたおりめ)の命を奪うに至り、とうとう堪えかねて天の石屋(いわや)という洞窟に閉じ籠ってしまいました。すると、高天原も地上の国も、永遠に夜の闇に閉ざされ、魔物が跋扈する世の中になってしまったので、神々も人間もほとほと困り果ててしまいました。
そこで、知恵者のオモイカネの案により、神々は天の岩屋の前に集まりました。神事の準備が整えられ、国中から集められた長鳴鶏(にわとりのこと)が鳴くと、女神アメノウズメが居並ぶ神々の前で舞い始めます。踊るにつれて彼女の衣がはだけていったので、神々は思わずどよめきました。その歓声は、岩屋の奥のアマテラスにも届きました。
石屋の奥のアマテラスは、終わらぬ夜を嘆いているであろう表から、楽しげな声が響いてくるのが不思議でたまらなくなり、とうとう石の戸を、少しだけ開けてしまいました。そこをすかさず、剛力のタヂカラオがアマテラスの手を引っ張り、石屋から引き出しました。
こうして、ようやく世界に朝が戻ったのでした。
宮崎県高千穂地方の天岩戸神社奥にある天安河原は、アマテラスが引き籠った際、神々が集まって相談をした場所だと言われています。
(天の岩戸があったと伝えられる場所は、国内に複数あります)
思金神(オモイカネノカミ)
タカミムスヒの子にあたる神様。高天原で石屋に籠ったアマテラスを外に出すための一計を案じたり、オオクニヌシの国譲りの際、アマテラスの上意を地上に告げる使者の選定に関わるなど活躍した後、ニニギノミコトに随伴して地上に降臨しました。深く思索することを神格化したものだとされています。
天宇受売命(アメノウズメノミコト)
アマテラスが石屋に籠った時に舞を踊り、洞窟から引き出すきっかけを作った女神ですが、その時の舞踏の様子は「乳房をあらわに出し」、「下衣の紐を陰部まで垂らした」とありますので、かなり過激なストリップだったのでしょう。はやし立てた神々も、だいぶ卑猥な歓声を上げていたのではないでしょうか。
後に天孫降臨でニニギノミコトに従って地上へ降りますが、道中で一行が見知らぬ国津神に出会った時に、その胆力を評価されて斥候の役を仰せつかったり、大小の魚を集めてニニギノミコトに仕えるかどうかを誓わせ、一匹だけ返事をしなかったナマコの口を小刀で裂いてしまうなど、勇猛な一面も持ち合わせています。
天手力男神(アメノタヂカラオノカミ)
石屋に籠ったアマテラスが洞窟から僅かに顔を出したのを引っ張り出した、その名の通りの力自慢の神で、それからタヂカラオは洞窟を塞いでいた石を力いっぱい投げ捨て、その石が落ちた先は長野市にある戸隠山だったといいます。
これに由来して、戸隠神社には、タヂカラオを主祭神に、オモイカネやアメノウズメといった、石屋開きに功績のあった神々が祀られています。
⑤スサノオのヤマタノオロチ退治【ヤマタノオロチ・タナヅチとアナヅチ・クシナダヒメ】
『古事記』ストーリー⑤
さて、スサノオは石戸事件の償いとして髭を抜かれ、爪を剥がされて天原を追放されることとなったのですが、出雲の国に降り立つと、泣いている老夫婦と娘に出会いました。
夫はアナヅチ、妻はタナヅチ、過去には8人の娘がいたのですが、8つの頭に8つの尾を持つ怪物ヤマタノオロチに毎年1人ずつ食べられてしまい、とうとう今年は一緒に泣いている最後の娘、クシナダの番になってしまった、というのです。
スサノオはクシナダを妻に貰い受けることを約束に、ヤマタノオロチ退治を申し出ました。そして、一計を案じると、特別に造らせた強い酒を8つの樽に入れておきました。さて、夜が訪れると現れたヤマタノオロチは目論見通り、8つの頭を8つの樽に入れ、強い酒を全て飲み干してしまいました。そして、そのまま酔い潰れて眠り込んでしまいます。スサノオはここぞとばかりに斬りかかり、ヤマタノオロチをずたずたに引き裂いて見事に退治して見せました。
こうしてスサノオは、約束通りクシナダを妻に娶ると、出雲の国の須賀の宮に居付くことになりました。
スサノオのヤマタノオロチ退治を伝える神楽舞。
八俣大蛇(ヤマタノオロチ)
スサノオに退治された八つの頭と八つの尾を持つ蛇の怪物で、日本神話における知名度ではかなり上位のグループに入るでしょう。
退治された後、尾の中から剣が見つかり、これが皇室三種の神器の一つ、草薙の太刀となります。
ヤマタノオロチの由来として有力なのは、出雲地方に流れる斐伊川の洪水で、蛇のようにうねり、洪水を引き起こして稲田(=クシナダ)を飲み込む様子が怪物に例えられ、また、スサノオによる退治はこの地を治水で納めた有力者の存在を表わしているのではないかと考えられています。
その尾から剣が見つかったのも、古来より良質の鉄を産出したこの地の特性と関連がありそうです。
足名椎(アナヅチ)と手名椎(タナヅチ)
夫婦ともに山の神オオヤマツミの子で(神話世界での兄妹婚は珍しくありません)8人の娘がありましたが、毎年1人ずつヤマタノオロチに食べられており、末娘のクシナダまで亡くしそうになるところを、スサノオに救われます。
クシナダと結婚したスサノオが須賀の地に宮殿を建てると、アナヅチはその首長に任じられ、稲田宮主須賀之八耳神(イナダノミヤヌシスガノヤツミミノカミ)の名を与えられました。
「足」、「手」、「耳」と、身体部位と何らかの関係がありそうに思われますが、娘のクシナダが「稲」を司るところから、「ア(畔)」と「タ(田)」の名を付けられた、という説もあります。
長野県諏訪市にある足長神社、手長神社は、それぞれアナヅチ、タナヅチを単独で祀った神社です。
櫛名田比売(クシナダヒメ)
アナヅチ、タナヅチの娘で、ヤマタノオロチに狙われたところをスサノオに救われ、後に妻となっています。
ヤマタノオロチ退治の最中はスサノオの呪術で櫛に身を変えられ、彼の髪の間に刺さっていました。
『日本書紀』では「奇稲田(クシナダ)」などの字が充てられており、ここから稲田を守護神としての性格を持つともされています。
多くの場合、夫のスサノオや子孫のオオクニヌシと共に祀られています。
⑥因幡の白兎【オオクニヌシノミコト】
『古事記』ストーリー⑥
スサノオから6代先の子孫に、オオアナムヂという名の御子がおり、彼には八十神(やそがみ)と呼ばれるほど数多くの兄たちがいました。
あるとき、八十神たは、めいめいが因幡の国のヤカミヒメに求婚したいと思い、皆で旅に出ましたが、オオアナムヂは兄たちの従者として、大きな袋を背負って一番後ろから着いていきました。
しばらく行くと、一行は毛のない裸の白兎に出会いました。兎は、ワニ鮫たちを欺いて、飛び石代わりに海の向こうへ渡ろうと試みたのですが、あと一歩のところで露見して、ワニ鮫たちに毛を毟り取られたのでした。
始めに行き会った八十神たちが、「海水を浴びて風に吹かれるのが良い」と、嘘の治療法を吹き込んだので、後から来たオオアナムヂが通りかかった時には、兎は痛み苦しみに泣き叫んでいました。彼が、「身体を真水で洗い、蒲の花を敷き散らした上で転がれば治るよ」、と、正しい処置を教えてあげたので、兎は感謝して「例え従者の地位に甘んじていても、ヤカミヒメはあなたと結婚するでしょう」と、予言しました。
そして、その通り、八十神たちの求婚を全て断ったヤカミヒメは、後にオオクニヌシノミコトと呼ばれるようになる、オオアナムヂを結婚相手に選んだのでした。
出雲大社にも神話にちなんだオオクニヌシと兎の石像があります。
大国主命(オオクニヌシノミコト)
スサノオから6世代目の子孫で、大穴牟遅神(オオアナムヂノカミ)、八千矛神(ヤチホコノカミ)、葦原色許男神(アシハラノシコオノカミ)など、多くの別名を持っています。八十神と呼ばれる多くの兄たちに苛められていましたが、根の国でスサノオの試練を乗り越えた後は逆に彼らを屈服させ、国の王として君臨しました。後半はスクナヒコナやオオモノヌシの助力を得て国土の安定に奔走するなど、波乱万丈の活躍ぶりはまさに神代中盤の主人公です。
後に高天原より降下したタケミカヅチらが国譲りを迫ると、オオクニヌシはその解決を二人の息子に委ねましたが、いざ国譲りが決定すると、彼は交換条件として自身が隠棲するための大宮殿の造営を要求し、押し通しました。これが、出雲大社の起源です(但し、出雲大社の起源については他にも複数の説があります)。
「大黒様」とオオクニヌシ
因幡の白兎を助けたオオクニヌシ(オオアナムヂ)。しかし、童謡、「因幡の白兎」では、兎を助けたのは、「だいこくさま」となっています。歌詞では「おおきなふくろをかたにかけ」、とありますが、この姿はまさに七福神の「大黒様」と一致しますよね。一体、両者の関係はどうなっているのでしょうか。
実はオオクニヌシは、「大国」の字が「大黒」と同じ音となることから、神仏習合の過程で武神である「大黒天」と同一視されていきました。
大黒天はインドの破壊神シヴァの化身、マハ(大)カーラ(黒)が中国で音訳されたもので、日本への伝来当初は軍神として信仰されていました。これは、国土を統一したオオクニヌシの性格とも合致します。
しかし、時代を経るにつれて大黒天の持つ別の側面、「富貴」を司る部分が強調されるようになり、これが穏やかな顔の七福神、「大黒様」に繋がっていきます。大きな袋を背負った「大黒様」のイメージは、ヤカミヒメへの求婚の際、兄たちの従者として後から荷物を持って付き従ったオオクニヌシの姿を踏襲したものと考えられます。
⑦オオクニヌシの国造り【スセリビメ・スクナビコナノカミ・オオモノヌシ】
『古事記』ストーリー⑦
ヤカミヒメの心がオオナムチに傾いたことを知ると、これを恨んだ八十神たちは、共謀してオオナムチを殺害します。しかし、オオナムチは、母神と高天原のタカミムスヒ神の助けで生き返り、身を隠すために根之堅州国(ねのかたすくに)に下りました。
スサノオの治める根之国で、その娘、スセリヒメとたちまち恋仲になったオオナムチは、彼女の助力を得てスサノオの課した試練を克服し、名をオオクニヌシと改めました。そして、スサノオから賜った大太刀と弓、妻として娶ったスセリヒメを伴って地上へと帰還すると、八十神の兄たちを全て打ち倒し、国の王として君臨しました。
そんな彼が、ある時、出雲の美保の関の岬から海を眺めていると、海の向こうから小さい船が漕ぎ寄ってきました。船の中にはとても小さい神が乗っています。
小さな神が正体を明かさないので高天原のカミムスビに問うたところ、この小さな神はカミムスビの子で、名をスクナヒコナだと言いました。オオクニヌシは、カミムスビの助言に従い、スクナヒコナを相棒として、国を治めることにしました。
しかし、スクナヒコナは国造りもまだ半ばで、海の向こうの常世の国へと帰ってしまいました。
オオクニヌシが海の彼方を見やって途方に暮れていると、今度も海原の向こうから、海面を照らしながら新たな神がやってきました。
「私の御霊を丁重に祀ってくれたら、国造りに協力してあげましょう」
言葉に従い、オオクニヌシは、この神を、直ちに大和の三輪山(奈良県)に祀りました。
こうして、オオクニヌシは出雲を中心として、政権を盤石に固めていくのでした。
オオモノヌシを祀った大神(おおみわ)神社。
本殿はなく、後背に聳える三輪山そのものがご神体とされています。
須勢理毘売命(スセリビメノミコト)
スサノオの娘で、オオクニヌシの正妻です。根之堅州国に降りてきたオオクニヌシに一目惚れして、父スサノオが彼に試練を課すと、様々な呪具や知恵を出してこれを助けました。後に地上に脱出したオオクニヌシが側室を迎えるようになると、今度は嫉妬深い一面が目立つようになります。因幡のヤガミヒメは彼女の嫉妬を恐れて実家へ逃げ帰り、オオクニヌシが越(北陸)のヌナカワヒメの下に通おうとした際には、夫婦の大ゲンカに発展しました。
スセリビメの「スセリ」は「進む」と同根とされ、何事にも一途に突き進む性格の神様であったようです。
少名毘古那神(スクナビコナノカミ)
オオクニヌシが国造りを始めた頃、海の彼方から船に乗ってやってきた神。ガガイモ(つる性の多年草で、果実は1~2㎝程度)の実を船にして、ミソサザイの羽毛をはぎ取った着物を身に着けていたというので、まさに小人。一寸法師の原型であるとも考えられています
高天原のカミムスヒの子でしたが、あまりに小さいので「手から零れ落ちた」と言われています。
カミムスヒの命に従ってオオクニヌシの国造りを手伝いましたが、やがて海の彼方にある常世の国へと帰ってしまいました。
大物主(オオモノヌシ)
相棒のスクナヒコナに去られて嘆くオオクニヌシの前に、海を照らしながら現れた新たな国造りのパートナー。『古事記』中に名前は明記されていませんが、奈良県桜井市にある三輪山に鎮座する神、オオモノヌシであると考えられています。
実は『日本書紀』にはオオクニヌシの別名としてオオモノヌシの名が見えます。日本の神には荒魂(あらみたま)と呼ばれる荒々しい側面と、和魂(にぎみたま)と呼ばれる人に幸せを授ける側面を併せ持つとされ、オオモノヌシはオオクニヌシの和魂と解釈されています。
⑧オオクニヌシの国譲り【タケミカヅチ・アメノトリフネ・オオモノヌシ・タケミナカタ】
『古事記』ストーリー⑧
高天原のアマテラスは、地上の世界、豊芦原中国(とよあしはらのなかつくに)が豊かに反映しているのを見ると、この国を自身の御子たちに統治させたい、と思うようになりました。
高天原に住まう天津神(あまつかみ)から、地上の国津神(くにつかみ)の下へ何度か使者が遣わされましたが、使者は地上で懐柔されて、なかなかその役目を果たしません。4度目の使者として派遣されたのが、雷の神であるタケミカヅチと、船の神アメノトリフネでした。これまでの使者たちと違い、タケミカヅチは剣を抜き、武力をちらつかせながら、国を明け渡すようオオクニヌシに迫りました。
オオクニヌシが、自分は既に隠居の身だとして、その応対を息子であるコトシロヌシに任せると、コトシロヌシは天津神への屈服を受け入れました。しかし、もう一人の息子であるタケミナカタはこれを不服としてタケミカヅチに力比べを挑みかかります。勝負はタケミカヅチの勝ち。敗北したタケミナカタは諏訪の地まで逃走すると、国をアマテラスの御子に献上すること、今後、この諏訪(長野県)から出ないことを約束して、ようやく命を救われました。
こうして、地上の国、豊芦原中国は、天津神、アマテラスの子孫たちが治めることになったのでした。
オオクニヌシゆかりの出雲大社。
建御雷之男神(タケミカヅチノオノカミ)
オオクニヌシらに国譲りを求める天津神軍勢のリーダーとして派遣された神で、イザナミがカグツチの首を斬った時、剣の根元に付着した血が岩に飛び散って生まれました。「雷」の字に表わされる通りの荒々しい神であったようで、オオクニヌシとの交渉時には、刃先を上に突き立てた剣の上に胡坐をかいて、相手に決断を迫ったと言います。
また、後世、神武天皇が熊野村で部下たちと共に悪しき神々の毒気に中てられた時に、かつて自身が使っていた太刀を下賜することで一行に救いの手を伸べたりもしました。
この霊威に感謝した神武天皇が、現在の茨城県鹿島市に創建を命じたのが鹿島神宮で、その神話上の活躍から、後世より現在に至るまで武神、軍神、勝利の神様として信仰を集め続けています。
天鳥船神(アメノトリフネノカミ)
イザナミとイザナミの間に誕生した神で、鳥之石楠船神(トリノイワクスフネノカミ)とも呼ばれます。タケミカヅチと共に地上に降りて、オオクニヌシに国譲りを迫りました。「鳥」と「船」を名前に併せ持つのは、両者の形が似ているから、また、双方とも死者の霊魂を運ぶものであるから、などの説があります。
言代主神(コトシロヌシ)
オオクニヌシの息子です。ある日、船に乗って漁に出ているところを父に呼び返されたかと思うと、そのまま国譲りを迫るタケミナカタらとの交渉責任者の任を投げられました。しかし、天津神らを恐れたコトシロヌシはすぐさま彼らへの恭順を誓うと、乗ってきた船を青い柴垣に変えて、その中に籠ってしまいました。その名は「コト(=言葉)」「シロ(=知る)」に通じ、神託を下すものとして性格づけられていて、後代の天皇記にもコトシロヌシからのお告げが下る場面が何回か登場します。
建御名方神(タケミナカタ)
オオクニヌシの息子で、天津神への国譲りを不服として、タケミカヅチへ力比べを挑んだみましたが、逆に投げ飛ばされてしまいました。敗北したタケミナカタは諏訪湖方面まで逃走しましたが、タケミカヅチは更に彼を追い詰め、殺そうとしたので、ミナカタは今後諏訪の地から外に出ないことを約束して、ようやく赦されました。
こうして、タケミナカタは長野県諏訪市の諏訪大社に祀られることになったのですが、この神の名は、もう一つの正史である『日本書紀』や、『出雲国風土記』等の出雲国の神話、信仰を記した史料には一切登場していないのです。ここから、タケミナカタはもともと諏訪地方で古来から信仰されていた土着の神であったが、『古事記』が出雲を中心とした国譲り神話を編纂する上で、無理矢理に出雲出身の神に位置付けようとしてこのような神話が出来上がったのではないか、との見方もあります。
また、タケミカヅチとの力比べは相撲の起源とされ、相撲の神様としても信仰されています。
⑨天孫降臨【ニニギノミコト・オオヤマツミノカミ・コノハナサクヤビメ・イワナガヒメ】
『古事記』ストーリー⑨
高天原から地上統治の任を受けたのは、アマテラスの孫にあたるニニギノミコトでした。
彼に付き従って多くの神々も地上に降り立ちました。
地上に降りてややもすると、ニニギノミコトは桜の花のように美しい乙女に出会いました。山の神、オオヤマツミの娘、コノハナサクヤです。その容姿に惚れ込んだニニギノミコトは、父であるオオヤマツミに娘を娶りたい、と、持ち掛けます。オオヤマツミは了承しましたが、一つだけ条件がありました。コノハナサクヤの姉であるイワナガヒメも一緒に嫁がせること、と言うのです。
いざ娶った二人の妻を見てみると、イワナガヒメは妹と似つかず、醜い容貌をしていました。そこで、ニニギノミコトは無情にもイワナガヒメを、オオヤマツミの下へ返してしまったのです。オオヤマツミは嘆息して言いました。
「イワナガヒメを妻とすれば、貴方とその子孫は岩のように長い寿命を得ることができたはずなのに。こうなってしまっては、貴方の一族は、一時は花のように繁栄しますが、その寿命は花のように短いものとなってしまうことでしょう」
このため、ニニギの子孫たちは短命であることを運命づけられたのでした。
天孫降臨の地に建てられたという、宮崎県高千穂の槵觸(くしふる)神社。
天津日子番能邇邇芸命(アマツヒコヒコホノニニギノミコト)
舌を噛みそうな長い名前ですが、「アマツヒコ/ヒコホノ/ニニギノミコト」で区切ります。アマテラスの孫にあたり、父神の名は天忍穂耳命(アメノオシホノミミノミコト)で、「ホノ二ニギ」が、「穂の賑々しく」に通じることから、豊穣に関わる神様との解釈もあります。
国津神オオクニヌシの一族が天に住む天津神に支配者としての座を明け渡すことを誓うと、多くの天上の神を従えて日向(宮崎県)の高千穂に降りました。これを天孫降臨と言います。面喰いであったのか、見目麗しいコノハナサクヤビメに惚れ込んで、その父オオヤマツミに求婚しましたが、コノハナサクヤと共に嫁した姉のイワナガヒメは醜女だとして突き返し、天津神の血を引きながら限りある寿命を授かることになりました。
鹿児島県霧島市の霧島神宮などに主祭神として祀られています。
大山津見神(オオヤマツミノカミ)
イザナギとイザナミの間に誕生した山の神です。オオヤマツミ自身の逸話は殆どありませんが、子だくさんの神様だったようで、コノハナサクヤやイワナガヒメの他、ヤマタノオロチ退治で登場したタナヅチ・アナヅチなど、その子を名乗る神様の活躍譚は多いです。
愛媛県今治市に大社のある、全国の大山祇神社(おおやまつみじんじゃ)で、御祭神として祀られています。
木花之佐久夜毘売(コノハナノサクヤビメ)
オオヤマツミの娘で、その名の通り花のように美しい女神であったようです。
ニニギノミコトに一目惚れされ、求婚を受けて嫁ぎましたが、その後の夫婦生活が順風であったわけではありません。コノハナサクヤが一夜の契りでたちまち子を孕むと、ニニギはその胎に宿した子を、別の国津神の子ではないかと疑いをかけたのです。
憤慨したコノハナサクヤは「もし腹の子が貴方の子であれば、無事に赤子が生まれるでしょう」と誓いを立てて、燃え盛る産屋の中で出産を試み、無事3人の御子を産み落としました。コノハナサクヤの潔白は証明されたのです。
この火中出産譚から、コノハナサクヤには火を鎮める力があるとされ、紀元前1世紀ごろに、噴火が続いた富士山に祀られました。
これが浅間神社で、現代でも全国の浅間神社では、コノハナサクヤが主祭神として祀られています。
ちなみに、このとき生まれた1番目と3番目の子が、後に「海幸彦と山幸彦」の物語に登場するホデリノミコトとホオリノミコトですが、真ん中の子である火須勢理命(ホスセリノミコト)については何があったのか、それ以上の記述が途絶えています。
石長比売(イワナガヒメ)
オオヤマツミの娘でコノハナサクヤの姉に当たる神様です。コノハナサクヤと共にニニギノミコトの下に嫁ぎましたが、容姿が醜かったため、彼女だけが追いかえされます。彼女を受け入れていれば、ニニギの一族は岩の如く不変の寿命を得られたはずだったのでした。
これは、神の直系である天皇になぜ寿命があるのかを説明したエピソードとも解釈できるでしょう。
イワナガヒメは、各地の浅間神社で、コノハナサクヤと共に祀られていることが多いですが、静岡県賀茂郡烏帽子山の頂にある雲見浅間神社はイワナガヒメを単独で祀っており、この山で富士山(山頂にコノハナサクヤが祀られている)を褒めると怪我をする、などの言い伝えがあります。
⑩海幸・山幸の物語【ホデリノミコト・ホオリノミコト・シオツチノカミ・オオワダツミノカミ・トヨタマビメ】
『古事記』ストーリー⑩
ニニギとコノハナサクヤの3人の子のうち、兄のホデリは海佐知毘古(うみさちびこ)として海での漁を、弟のホオリは山佐知毘古(やまさちびこ)として、山での狩猟を生業としていました。ある日、ホオリは兄に嘆願して自分も魚を釣ってみたいというので、二人は道具を交換し、それぞれいつもと違う猟場へと出かけていきました。しかし、海に出たホオリは魚を一匹も釣ることができなかったばかりか、兄から借りた釣り針を海に落としてしまいます。
ホオリは兄に釣り針を失くしたことを泣いて詫び、自身の剣を折って新しい釣り針を何本も作りましたが、ホデリは受け取らず、あくまでも「失くした針を返せ」、と、弟を許す気配を見せません。
途方に暮れたホオリの前に、海の安全を司る神であるシオツチが現れ、海の神ワダツミの御殿へと導きました。ホオリはそこでワダツミの娘であるトヨタマヒメと運命的な出会いを果たし、結婚して海の底で幸せな日々を過ごします。
それからあっという間に3年の月日が経ちました。ようやく失くした釣り針のことを思い出したホオリは、次第にそのことばかり考えて、塞ぎ込むようになりました。これを気にかけたワダツミは、海の魚たちを一堂に呼び集めて問いかけると、鯛の喉から釣り針が出てきました。ホオリは失くした釣り針と、海神の宝物、そしてまじないの言葉を携えて、地上へと帰っていきました。
ホオリはようやく兄に釣り針を返しました。しかし、返却と同時に密かに唱えたまじないによって、ホデリの領地は日照りに襲われるようになり、たちまちホデリは貧しくなっていきました。やがて、この災いが弟の仕業と知ったホデリは恨みを募らせて、ホオリの下に攻め込んできましたが、ホオリは海神からもらった潮満珠(しおみつたま)を使い、満たした潮に兄を巻き込みます。あわや溺れそうになったホデリは観念し、弟に従うことを約束して、ようやく命を助けてもらいました。
こうして、ホデリの一族は、代々ホオリの一族に仕えることとなったのでした。
この、ホオリノミコトの孫にあたるのが、カムヤマトイワレビコ(神倭伊波礼毘古命)、すなわち初代神武天皇です。
時代は神代から古代へと動き出し、神話の時代はここで一旦幕引きとなります。
ホオリノミコトの墓とされる鹿児島県の高屋山上陵。
火照命(ホデリノミコト)
海幸彦と呼ばれた、ニニギノミコトとコノハナサクヤの間に生まれた神で、隼人(鹿児島県の阿多・大隅地方に居住した人々)の祖先とされいます。弟のホオリが大事な漁具を失くしたことを責めて追い詰めましたが、海神ワダツミの支援を得たホオリに逆に懲らしめられ、彼とその子孫への服属を誓ってようやく許されました。
海幸彦と山幸彦の物語は、大和政権に対する隼人の服属由来を語ったものであるとも考えられています。
火遠理命(ホオリノミコト)
山幸彦と呼ばれたホデリの弟で、ニニギノミコトの正統な後継者となったためか、天津日高日子穂穂手見命(アマツヒコヒコホホデミノミコト)という、父神にも負けず劣らずの長い別名を持っています。実在はともかく、初代天皇とされる神武天皇の祖父にあたり、鹿児島県の高屋山上陵は彼の墓であるとされています。
塩椎神(シオツチノカミ)
兄の釣り針を失くして途方に暮れるホオリの前に現れて助言を与え、ワダツミの御殿へと導いた神様で、その役割から、物知りの老翁の姿でイメージされることが多いようです。
海の交通を熟知した潮の神、また製塩の神とも見なされており、各地の塩竈神社に祀られていますが、このうち宮城県塩竈市の塩竈神社には、シオツチ翁がシャチに乗って上陸し、この地の人々に製塩法を教えたという話が伝わっています。
大綿津見神(オオワダツミノカミ)
イザナギとイザナミの間に誕生した海の神で、釣り針を失くして宮を訪れたホオリのために魚を呼び集めて探してやったり、兄のホデリを懲らしめるための呪具、「潮盈珠(しおみつたま)」と「潮乾珠(しおふるたま)」を与えたりと、全面的な協力を行っています。
似た名前の海神として、イザナギが黄泉の国から脱出し、穢れを落とすために禊をした際に、海の底・中・上からそれぞれ底津綿津見神(ソコツワタツミ)、ナカツワタツミ(中津綿津見神)、ウワツワタツミ(上津綿津見)という神々が誕生しましたが、これらとは別人格です。海は広大で、神々もまた数多いということでしょうか。
豊玉毘売(トヨタマビメ)
海神ワダツミの娘です。御殿を訪れたホオリの姿を見るや否や、お互いに恋に落ちて結婚しました。
子供を身籠り、ホオリの後を追って上陸しましたが、お産の時に本来の姿であるサメに戻ったところを夫に見られ、恥じ入って子を置き去りに、海へと帰ってしまいます。しかし、ホオリへの愛情が断ち切れたわけではなく、後に妹の玉依毘売(タマヨリビメ)を子の養育係としてよこしました。
海幸彦と山幸彦の物語は「浦島太郎」の原型であったと考えられており、トヨタマビメは乙姫のモデルとされています。
終わりに~日本の神話と神様、お勧めの書籍など~
日本神話と神様のお話し、いかがだったでしょうか。
最後に、もう少し詳しく知りたい方のために、お勧めの書籍をご紹介します。
『古事記』 角川ソフィア文庫版
書き下し文、訳文、古文がまとまった一冊。
書き下し文には同ページ内に注釈も併記されていて分かりやすく、入るなら原典から、という方にお薦めの一冊です。
『眠れないほど面白い「古事記」』
分かりやすい注釈とドラマチックな場面描写によって、『古事記』の物語が鮮やかに再現されていきます。文字通り「眠れないほど面白く」、すらすらと読み進められる一冊です。
『ビジュアル図解!日本の神様と神社がわかる本』
身近で見かけるあの神社、名前はよく聞くこの神社に、「そういえばどんな由来なの?」
そんな興味が湧いた方には、こちらがお薦めです。
主だった神社の御祭神や、所在がカラー写真と図版を交えて分かりやすく案内されています。
『古事記 なるほど謎解き一〇〇話』
見開き1ページに1トピックの調べやすい章立てで、『古事記』に登場する神々、神話、ゆかりの神社が紹介された一冊。「神話」ではなく、『古事記』全般を取り上げていますので、中巻、下巻以降に登場する古代の天皇や古墳、習俗についても学ぶことができます。
『くらべてみると面白いほどよくわかる!【図解】古事記と日本書紀』
古事記』上~下巻まで、日本書紀との違いにも言及した入門本です。
日本神話の項については、似たパターンの世界神話の紹介もあり、広く浅く、手っ取り早く知ることができます。
『日本神話事典』
本稿での神様の名前や神格の解釈は、こちらを参考にさせていただきました。
「古事記、日本書紀、風土記、万葉集、古語拾遺、先代旧事本紀、祝詞、日本霊異記から78の神話・説話を選出し、それを構成する話型・モチーフ、事項、登場する神名・人名など348項目について解説。(「BOOK」データベースより)」
分厚く、それなりにお値段も張る神話学「事典」ですので、どなたにもお薦めの書籍と言うわけではありませんが、豊富な参考文献の索引や、専門家らによる研究論文も併録されており、さらに学術的な見聞を深めたい方には心強いガイドラインになるかと思います。