クラシックファン必見!音楽の都ウィーンで訪れるべきおすすめ観光スポット15選
「音楽の都・ウィーン」。この小さな街の至る所に、クラシック音楽の礎となる素晴らしい大音楽家達の痕跡が残ります。優雅なウィーンを彩る最も重要な要素の一つであるクラシック音楽は、この地からも多く発信されました。今回はウィーンに点在する、音楽家所縁の地をご紹介します。
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アイキャッチ画像出典:www.austria.info
優雅な気品で彩られるウィーン
ベートーヴェン、シューベルト、シュトラウス父子、ハイドン、マーラー、ブラームス…。往年の大作曲家達がかつて日常を過ごしたウィーンは、美しい街並みや自然と共に、彼ら所縁の地が多くあります。決して華やかなだけではなく日々の悩みを抱えながら、それでも溢れ出る音楽が現在なお讃えられ、多くの演奏家やクラシックファンの人々の憧れの地でもあるでしょう。彼らが生涯をかけて紡いだ音楽と共に、縁のある場所をご紹介します。
1・ウィーン・国立オペラ座
リンク沿いに建つ国立オペラ座。「音楽の都」の名に相応しいウィーンの文化の中心として、堂々たる風格を現しています。ヨーロッパ3大オペラ劇場のひとつであるこちらは、1869年5月にモーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」でこけら落としをされました。7・8月を除いてほぼ毎日のようにオペラやバレエの演目が行われ、世界中からクラシックファンが訪れます。しかしあまりクラシックに馴染みのない方でもウィーンを訪ねた際、ぜひ正装をして、一度はこの世界に足を踏み入れてみることをおすすめします。超一流の音楽家の演奏の舞台はやはり大変ゴージャスなものであり、美しく心に残るでしょう。
2・楽友協会
音楽家にとってもクラシック愛好家にとっても、一度はこの楽友教会でウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を聴きたいという夢を持つのではないでしょうか。ニューイヤーコンサートでもお馴染みの「黄金のホール (ゴールデンザール)」は豪華絢爛な装飾で大変美しく、超一流の音楽家の演奏を聴くその時間は大変優雅でゴージャスな一時となります。休憩時間には是非ワインやコーヒーを楽しんで。また、立ち見席も用意されており、かなりお値打ちな金額で素晴らしい演奏に触れる事ができます。是非、それなりの正装で訪れる事をおすすめします。
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3・フォルクスオーパー
国立オペラ座より気軽にオペレッタやミュージカル、ドイツ・オペラ、バレエなど鑑賞できるフォルクスオーパー。ウィーンの一般庶民も多く訪れます。「メリー・ウィドウ」や年末の演目「こうもり」といったウィンナー・オペレッタは舞台やコスチュームが豪華で、バレエなども挿入されるので言葉が分からなくても楽しめるのが魅力です。オペラ座よりも比較的チケットが取りやすいので、演目をチェックして興味の引くものを鑑賞すると良いでしょう。
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4・中央墓地
第2門をくぐって並木道を200メートル程行った左側にある第32A地区。ここには、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームス、シュトラウス父子など音楽家にとって大きな関わりを持つ大作曲家達が眠っています。偉大な作品や音楽史の中だけに存在する雲の上の人ではなく、普通の人と同じ様に日々悩み苦しみを持ちながらも生きていた1人の人間であった事を感じるでしょう。門脇に売られている花を捧げ、静かに彼らの人生と音楽に想いを馳せる時間を過ごす事ができます。緑の多い広大なこの墓地は美しく、映画「第三の男」のラストシーンにも使われました。
5・ベートーヴェンの散歩道
交響曲「田園」の構想を練ったと言われるベートーヴェンの散歩道は小川沿いの緑深い小径です。生涯に70回程も引越しを繰り返したベートーヴェンは、この散歩道があるハイリゲンシュタット周辺にも所縁のスポットが多くあります。ちょっとした静かなこの散歩道の奥には、彼の胸像が置かれた「ベートーヴェンの休憩所 (Beethoven Ruhe)」があります。静かな田園風景をのぞめるこの地はウィーン中心部の喧騒が全く感じられず、のんびりと美しい時間を過ごす事ができます。
6・ハイリゲンシュタットの遺書の家
音楽家にとっての命綱である聴覚が戻らなくなってしまった事に絶望したベートーヴェンが、弟に向けて書いた「ハイリゲンシュタットの遺書」が書かれた家。癇癪持ち、不屈の精神、強く厳しい意志、そして後世に最も影響を及ぼしたと言っても過言ではない圧倒的な作品群を残したベートーヴェンの人生は決して平坦ではなく苦難の多いものでした。日本語へ翻訳されたこの遺書を読んでいると、その様な圧倒的強さとはうらはらの、「愛している者には分かって欲しい」という思いがなんとも切なく感じられます。
7・マイヤー
ハイリゲンシュタットにあるホイリゲの一店であるこちらは、かつてベートーヴェンが滞在し、「交響曲・第九」を作曲した場所。「ホイリゲ」とは新酒のワインを出す店で、入り口にある大きな松の枝の飾りが「新酒あり」の目印となります。毎年11月11日に解禁されるその年の新酒と共に美味しいつまみや食事が楽しめるホイリゲはこのハイリゲンシュタットからグリンツィングにかけて多くあり、緑の多い中庭や木と漆喰の温かい雰囲気の店内で楽しい時間を過ごせます。
8・パスクァラティハウス
ベートーヴェンが黄金期を過ごしたこちらでは、交響曲第4・5・7番やオペラ「フィデリオ」が作曲されました。狭い螺旋階段を5階まで上がった先にあるのが、現在ベートーヴェン記念館の一つであるパスクァラティハウス。彼の良き理解者である「パスクァラティ男爵」の名が取られています。内部にはベートーヴェンの使用したピアノや、彼の肖像画が飾られています。
2019年1月、マグノリア室内管弦楽団 代表のTが初めてウィーンを訪れました。その際に見聞きしたものを写真中心でご紹介していきます。生涯に70回以上引っ越したとされるベートーヴェンですが、彼が住んだ家のうち、現代まで残さ
9・ザンクト・マルクス墓地
1800年代初期のビーダーマイヤー様式の典型的な墓地のスタイルで、閑静なこの園内にはモーツァルトが埋葬されました。正確な位置は不明とされていますが、取り出された頭蓋骨を学者が調べたところ、顔の輪郭などで本人ではないかという説が出ています。門を入って正面に延びる道を上ると、十字架のキリスト像の手前に「Mozartgrab」の表示が出ており、祈りを捧げる人々の姿があります。
シュテファン寺院の礼拝堂で葬儀が行なわれたあと、モーツァルトの遺体はこの墓地の共同墓穴に葬られた。家族や友人の付き添いもなかったため正確な埋葬場所は不明で、推定される場所に記念碑が立つのみである。
10・フィガロハウス
モーツァルトはウィーン市内を転々としましたが、現存する住居はこちらの「フィガロハウス」だけです。生涯で最も幸福な時間を過ごしたと言われるこの家で、モーツァルトの代表作の一つ「フィガロの結婚」が生まれました。1784年-1787年にかけて住んだこちらは現在モーツァルト記念館として、多くの楽譜やポートレートなどが展示されており、多くのモーツァルトファン、クラシックファンが訪れています。
The Mozarthaus Vienna was Mozart's residence from 1784 to 1787. This building in Vienna's Old Town, not far from St. Stephen's Cathedral, is his only surviving Viennese residence and is now a museum.
11・シュテファン寺院
ウィーンのシンボル・シュテファン寺院はウィーン観光の拠点となる場所。街の中心にどーんとそびえ立ち、仰ぐ様に全貌を見渡せばどの角度からも素晴らしい装飾と長い時間の流れを感じます。こちらは神童・天才と讃えられたモーツァルトがコンスタンツェ・ヴェーバーと結婚式を挙げた教会であり、またその短い生涯を閉じた時に葬儀も行われました。美しいステンドグラスの飾られる荘厳な内部は、いつ訪れても多くの観光客や祈りを捧げる人溢れています。
12・シェーンブルン宮殿
ハプスブルク家の栄華を物語る美しい「シェーンブルン宮殿」は先の「シュテファン寺院」と共にウィーンで必見の観光スポット。宮殿内部は素晴らしく、是非音声ガイドを借りて回るのがおすすめです。また、植物園や動物園を有する庭園は広大でこちらも大変美しいです。メトロU4のヒーツィング (Hietzing)から美しくフォトジェニックな庭園を散策しながら訪れるのがおすすめ。そしてまた、こちらは神童であった6歳のモーツァルトが初めて御前演奏をし、7歳のマリー・アントワネットに求婚したという有名なエピソードが生まれた場所でもあります。
建築に凝縮された永遠なる美の世界。見事に演出されたバロックの豪華なライフスタイルを現代に伝えます。
13・市立公園のヨハン・シュトラウス像 (2世)
ウィーンといえばワルツ。そしてウィンナーワルツといえばヨハン・シュトラウス。父・子共に同名のファミリーで、父はウィンナーワルツを洗練された形へと発展させ、息子の方はそれをさらに発展させました。2世である息子の方は「ワルツ王」と呼ばれ、かの有名な「美しき青きドナウ」や最高峰オペレッタ「こうもり」を世に残しました。新年に楽友協会で行われる、かの優雅な「ニューイヤコンサート」は、このシュトラウス親子の作品が主に演奏されます。ニューイヤーコンサートで毎年お馴染みの「ラデツキー行進曲」は父親の方の代表作。
14・ハイドンの家
ハイドンもオーストリア・ウィーンに所縁の深い作曲家です。少年時代はシュテファン寺院の少年聖歌隊で歌いました。オーストリア・ハンガリーの国境近くのエステルハージ家で1761年からの30年間を過ごした為、所縁の場所の多くはそちらにありますが、1797年から亡くなる1809年までの住居はウィーン西駅の近くに残っています。この家で「天地創造」や「四季」などのオラトリオやミサ曲を作曲しました。また、この家には、こちらもオーストリアに所縁の深いブラームス記念館もあります。
ウィーンほど数多く世界的に有名な作曲家が住んだ街は、ほかのどこにもありません。それに応じてここには、巨匠たちの足跡をたどって、生活の様子や形見の品々に感嘆する数多くの機会があります。
15・シューベルトの生家
生粋のウィーンっ子・シューベルト。歌曲王シューベルトは31年の短い生涯を音楽に捧げた作曲家です。美しく自然なメロディ、友人達の惜しみない支え、ベートーヴェンへの敬意、厳しい父親。寝る時でもいつ起きても作曲出来るようにと眼鏡をかけたまま眠りました。ここウィーンには1797年から1801年まで暮らした生家と共に、末期を過ごした「最期の家」も公開されています。
オーストリアの鮮やかな景色と、夏の美しい田園風景を楽しむために、シューベルトは友人たちとよく出かけました。
音楽家の普遍の地・ウィーン
いかがでしたか。ここにご紹介した場所は、音楽史上・楽譜上の存在であった彼らを一人の人間として感じられるスポットです。これらの地を訪れた後では、きっとこれまでも愛してきた彼らの音楽がより身近に感じられる事でしょう。