続・伝説のスター、マイケル・ジョーダンの凄さを語り尽くす
前回の記事に続き、今回はマイケル・ジョーダン世代でマイケル・ジョーダン好きの人たちですら、「へ〜、そうだったのか」と思えるような、ウンチク話をまとめてみました。
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マイケル・ジョーダンは背番号23番と45番と・・・
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マイケル・ジョーダンと言えば23番、23番と言えばマイケル・ジョーダンというイメージはおそらくあまり詳しくない人でもあるでしょう。この23番という数字にした理由としては、マイケル・ジョーダンの兄、ラリー・ジョーダンが45番をいつも付けていて、兄の半分でも良いから上手くなりたいと思っていたジョーダンは45の半分より、ちょっとだけ背伸びした23番にしたという話です。
そして、ジョーダンが一時野球に転向してしまってから、戻ってきた時に付けていたのがこの45番です。これはJay-ZのEncoreという歌の中でも「When I come back like Jordan, wearing the 4-5」と歌われているので、多くの方が知っている話ではないでしょうか。
しかし、ジョーダンを好きな人でも、あまり知られてない幻の1試合があります。1990年2月14日のバレンタインの日のオーランドでの試合でジョーダンのユニフォームが盗まれてしまいます。23番を着て出場することのできないジョーダンは、その試合に限り12番を付けてプレーをしました。もちろん、誰も使ってない番号ですし、試合直前のことだったので、背中に名前すら入っていません。ジョーダン好きにはとても違和感のある背中です。
高校時代のジョーダンのニックネームはマジック・ジョーダン
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マジック・ジョンソンはNBAのトップに君臨するスター選手であったのにも関わらずいち早くジョーダンの実力を認め、自分よりもジョーダンの方が凄いと公言したほど器の大きな人でした。ジョーダンは高校時代から本人もマジック・ジョンソンが憧れの存在であったため車のナンバープレートに「Magic Jordan」と書いていたりしました。そして、周りもバスケが上手かったジョーダンをマジックと呼ぶ時があったそうです。
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ジョーダンが人生で1番好きなダンク
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ジョーダンは15年にわたる選手生活の中で数えきれないほどのダンクを叩き込んできました。しかし、そんなジョーダンが「今まで1番好きなダンクはどれだったか」と尋ねられたところ、彼が選んだのが下の対ニューヨーク・ニックス戦で2人を抜き去ってパトリック・ユーイングの上から叩き込んだスラムダンクです。凄まじい高さで力強く叩き込むジョーダンと悔しがるユーイングは一見の価値ありです。他にも派手なダンクならいくらでもやってきたジョーダンですが、大学時代からのライバルのユーイングを認め、その彼の上からスラムダンクをカマした、というのが1番に輝いた理由でしょう。
Classic Jordan dunk over Ewing... This is timeless
ジョーダンの23番は3箇所で永久欠番になっている
大学時代ジョーダンが所属していたノースキャロライナ大学、そして輝かしい歴史を作ったシカゴ・ブルズ、この両チームでジョーダンの背番号が永久欠番になっているのは、当然のことでしょう。しかし、実はもう1チーム、ジョーダンの背番号を永久欠番にしているチームがあります。それは最後にジョーダンが所属していたワシントン・ウィザーズでも、現在オーナーをやっているシャーロット・ボブキャッツでもありません。去年までレブロン・ジェイムスが所属していたマイアミ・ヒートです。マイアミ・ヒートはかつてワシントン・ウィザーズとの試合前に、ジョーダンにヒートの背番号23番をNBAに貢献したとして永久欠番にしました。これがマイアミ・ヒートにとっての初めての永久欠番でした。これこそレブロン・ジェイムスがヒートで23番を付けられなかった最大の要因です。
マイケル・ジョーダンは3連敗しない
1990年11月から8年もの間、マイケル・ジョーダンは試合に負けることはありましたが、3連敗することは1度としてありませんでした。これを達成するのがどれほど難しいことなのか、ハーバード大のスポーツ・アナリストが確率を出しているのですが、それがなんと0.2114%という、ほぼ0に近い数字とのことです。正に神です。ジョーダンの凄さを物語っていると同時に、もう二度と神は現れないのだろうな、と思わされるエピソードではないでしょうか。
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