「モネ それからの100年」私が見つける新しいモネ ビジネスの着眼点も見つけよう
印象派を代表するモネに、新たな視点を加え再発見を試みた展示。モネに通底する特徴を捉え直し、現代作家が受けた影響を抽出して、作品を並列展示しました。調査段階でおなじみのモネ作品に、数々の発見があったと言います。しかしまだまだ発見はあるはず。サブタイトルは「私がみつける新しいモネ」鑑賞者もモネの魅力を引き出してみましょう。
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モネというすでに評価の定まったかに思える画家。その画家に新たな視点や価値を見出し、現代美術と関連付けます。モネの特質、独創性を引き継いだ作家たちは、ただ引き継iいだだけでなくさらなる創造を作品に埋め込んでいます。そんなモネと現代作家の競演から、ビジネスにも応用できる思考や手法を探ってみましょう。
1 「それからの100年」とはいつからのこと?
印象派を代表するクロード・モネは、日本人にもなじみが深く大人気です。1915年、75歳の時、オランジェリー美術館の大装飾画「睡蓮」に着手しました。それから現在まで「約100年」の月日が経過しました。
1926年、86歳でモネは亡くなります。大装飾画の睡蓮は、亡くなる直前まで、約10年間、筆を入れ続けた超大作です。その間、白内障の手術が行われています。(ここは、のちほど紹介する「私がみつけた新しいモネ」で重要なキーポイントとなります。)
2 印象派モネの歩み
2-1 揶揄からスターしたモネの印象派
美術史においては、揶揄や嘲笑から名づけられた「印象派」。今では誰もが知っていますが、すぐに評価されたわけではありませんでした。しかし徐々に人々の心をとらえていきます。ひたすら見つめ、ひたすら描き、100年を経た今も尚、私たちをひきつけ魅了し続けています。
2-2 晩年の大作、大装飾画は話題にならず
ところが、晩年の大装飾画「睡蓮」の公開は、あまり話題にはならなかったといいます。公開は亡くなった翌年の1927年。亡くなってから公開という約束があり、オランジェリー美術館の完成も亡くなった翌年でした。期を逸してしまったのでしょうか?
話題にならなかった主たる原因は、次の時代の空気、キュビズムが台頭していたのです。
2-3 ビジネスにも通底する流れ?
この状況、ヒット商品などの動向と重ねることができます。旋風を巻き起こした商品やサービス。しかしそれらは永遠には続くことはありません。ヒットが生まれる時というのは、時代の潮流に乗っている時。求められる必然の空気があるのだと思います。
しかし、そのピークの空気は、着実に静かに変化していて留まってはいません。新たな価値観を伴う風は、どこからともなく吹いてくるものです。あれだけの名声、評価を得ていたモネでさえも、死後の公開は、時代の流れに押し流されていたということを今回知りました。
ところが今、オランジェリー美術館の睡蓮は、大人気です。知らない人はいないモネですが、生前はいろいろな評価を受けていました。それでも100年の時を超えて、私たちを魅了し続けているのはなぜなのか?そこには何があるのでしょうか?
2-4 抽象美術の端緒として再評価
モネに再び、光が当たります。それは、1940年代、モネの没後20年後のことです。第二次世界大戦後、アメリカで抽象芸術がおこりました。モネ作品は、のちの抽象美術の端緒を開くものだったという新たな評価を得たのです。抽象絵画につながる要素をモネに見出した人たちによってリバイバルがおこりました。
人物にしても、商品にしても「評価」というものは時代によって、アップダウンするということが見てとれます。最初は受けなくても、次第に支持を得てヒットすることはよくあることです。しかしそのヒットはいつまでも続きません。時代は常に変化していて飽きられてしまうというのは、世の理のようです。
しかし、時代を経ることによってリバイバルも起こります。それはまた新しい時代の要請からなのかもしれません。あるいは、真の価値を持ったものだからこそ復活を遂げられるのでしょうか?はたまた新たな価値を見つけてくれる人の登場が復活劇を起こしてくれるのでしょうか?
「つまり、モネは印象派ではなく、あらゆる現代美術の生みの親ではないのか? 」
by アンドレ・マッソン
2-5 晩年は、抽象画に近づいていたモネ
モネと言えば睡蓮。晩年に描かれたのこの《睡蓮》は、抽象画に近い印象を受けます。アメリカの抽象表現主義である、ポロック、ロスコを評価する時、モネという画家を「モネという過去の巨匠のすばらしさに連なっている抽象のすごさ」という評価によってモネリバイバルがおきました。
3 モネの特質・独創性を引き継いだ現代の作家との競演
3-1 既存の価値とは違う新たな価値を掘り起こす
モネの独創性は、色あせることなく、現代作家たちに形を変えて引き継がれました。本展は、モネ作品と、モネの絵画にみられる特質・独創性を引き継いだ現代作家の作品を展示し、両者の時代を超えた結びつきを検証しています。
よく知られる「睡蓮」のモネ。「印象派の巨匠」モネ。それだけではない新たなモネの価値が掘り起こされています。見る人も、制作する人も魅了し生き続けるモネは、さらに広がりを持ち、現代作家の創作の源として潜りこんでいます。
3-2 現在進行形で生まれる作品
横浜美術館の会期はじめには、新たな作品が生まれ展示されました。
モネをオマージュした作品。高層ビルのガラス越しに映る景色と反射するテーブル。テーブルはモネの蓮をイメージし、移り込む空も睡蓮の池を想起させます。
左の《睡蓮の池》はこの企画のために制作された作品でしたが、右は、なんと、横浜美術館の展示から登場しました。《睡蓮の池》に続き、《睡蓮の池 朝》を描き会期に合わせて新作が発表されました。
前作の日没に対し、夜明けの時間を描いた作品で、作家の創作意欲を刺激します。リアルタイムに届けられた新作と会場でご対面。まさに、モネが分裂を起こし増殖しているかのようです。
4 かゆいところに手が届く展示の工夫
4-1 時系列の展示
今回、モネの初期から晩年までの作品は、ほぼ時系列で展示されています。モネの変遷は、「章」を順に追っていけば時代を追うことができるというのは、とても分かりやすい展示です。
国内外、初披露も含めた25点のプチモネ回顧展という構成。そこに、モネから影響を受けたと考えられる現代作家を対比しています。
4-2 並列展示
モネと、作品の特徴が共通していると思われる現代作家を、同じ空間に並べて展示することにこだわったといいます。モネの作品を見終わったあと、現代作家の作品を並べるのではなく、隣に展示されているので、行ったり来たりのストレスがありませんでした。。
時系列に作品がつながった上に、現代作家との関連性もつながっているので、鑑賞の糸が途切れることなく連続性を持って見ることができます。
5 モネの新たな価値は章構成のワードに宿る
モネを様々な角度から見直してみるという試み。その結果は、章を構成するワードで表されています。
第1章 新しい絵画へ 立ち上がる色彩と筆触
第2章 形なきものへの眼差し 光、大気、水
第3章 モネへのオマージュ さまざまな「引用」のかたち
第4章 フレームを越えて 拡張するイメージと空間
数ある作品から似たようなモネ作品を、大まかなグループにまとめ、それらをミキサーにかけ搾りだしたエッセンスのようなワードです。そのワードは磁石のような役割を果たし、現代作家の作品を引き寄せたように見えました。
抽出された言葉のエッセンスをもとに集められた現代作家の作品。モネをオマージュして制作していることを公言されている方もいれば、この展覧会に入ったことを意外に感じ、そんなにモネが好きというわけではなかったけども、そういう見方もあったのか!という発見にもなったと言います。
6 「自分のモネを見つける」・・・それがビジネスに生きる
展覧会が私たちに投げかけます。あなたはモネのどこが好きですか? 人はなぜモネが好きなのでしょう? その理由はどこにあるのでしょうか? モネの魅力を再発見してみましょう。
この問いかけに答えるべく深く考え抜く。表面的な答えでなく「好き」ということを掘り下げてみる。それこそが美術鑑賞を通して、ビジネスマインドを鍛えるポイントではないでしょうか?
「好き」というマインドが見えてくれば、商品やサービス、仕事に応用していくことができるかもしれません。また自分自身のモノのとらえ方を知るきっかけにもなります。モネは至るところに潜み、新たな視点で発見されるのを待っています。
7 「モネのどこが好き?」を掘り下げることで見える世界
7-1 霧やモヤの絵が好き
私がモネの作品で、これまで好きと感じる作品には、共通点があることを、ある時から気づきました。いいなと感じる作品は霧やモヤの中にたたずんでいる景色なのです。モヤにつつまれたルーアン大聖堂など、はきりとしない景色は、どこか日本の湿潤さを感じさせたり、あいまいなぼんやりした様子は、日本人のメンタリティーとも似ている気がして気に入っていました。
7-2 どうやって描くのかを知りたい
また、モヤにつつまれた景色というのは、どうやって描いているのだろう。そんな興味も、気になる理由だったようです。絵心がないので、このような絵を描く方法が、想像できませんでした。私にとって、霧の描き方は、大きな謎。それを描ける人へのあこがれもあったかもしれません。自分は描けなくてもいいから、描き方を知りたいと思っていました。
全体を霞んだように見せる、あるいは見えるテクニックを突き止めたいと思っていました。
7-3 描き方を想像してみる
まだ油彩や筆触分割のことがよくわかっていない頃は、日本画のドーサ引のような感じで、上からモヤのような色を被せているのだろうと思っていました。しかし水彩、墨画ならそれができますが、油彩ではできないことを理解するようになりました。モネの筆触分割のことも理解しはじめるようになると、この手法で霧に見せるテクニックはどう表現しているのか・・・・
霧やモヤをまとったように見える色を使ってニュアンスで霧に見せているのだろう考えました。しかしいろいろな対象物があり、その色は様々です。それらが霧の中に埋もれるように見えるには、どんな色を加えればいいのか。また、濃さの違う霧は、何を変えて表現しているのか。
あるいは、そのように見える目の構造、身体の仕組みなども関係しているのでしょうか?今回、モヤのかかった絵がたくさん同じエリアで展示されていて願ってもない空間でした。それぞれの濃密度の違いを堪能することができました。しかしどのように描いているのか、解明はできませんでした。
今、思うとこんな興味にひきつけられていたことが見えてきました。
7-4 霧とは何かを考えて見えたこと
描く技法を考えているうちに、そもそも霧とはいったい何か?ということを考えるようになりました。
ある時、それは、水蒸気の塊であるという答えに至りました。長谷川等伯の《松林図屏風》の霧を見ていて、湿潤な空気とは何かと考えた時、霧の本質は、空気に含まれる水分、小さな水の粒であるという自然科学の原理を思い出したのです。
7-5 絵画を自然科学の視点でとらえる
レオナルドも空気遠近法を、空気の水滴から見出しています。霧の濃さは水滴の量によって変化します。モネはきっと、霧やモヤの本質をつかんでいたのではないかと思います。
霧の正体がわかれば、水蒸気、水滴を密に描いて、濃い霧を表現したのではないかと理解しました。
こうして自分が好きと感じた絵の共通点を探り、その理由を考えていくと、作品を理解する上で、自分のベースとなる物の捉え方が次第に見えてくる経験をしたのです。
7-6 自分の物の見方、とらえ方の原泉が見える
好きを考えることは、自分の中にも通底する何かが存在していることがわかりました。好きには何か理由があるものです。
作品を理解する上で、どのような経験や知識、学びがベースになっているのか。どんなことに関心があるのか、「好き」の向こう側にあるものが、見えてくる面白さがありました。
私の場合は、自然科学に帰結することがわかりました。まずは自然科学の知見と照らして齟齬がないかどうか最初の入り口でふるい分けていたようです。
ふるい分けをしたあとは、制作の技術、工程、素材などに着目して作品を見ていることがわかりました。また、生物、人体と関連付け、人体構造に置き換えたり、命、連続、再生、生きるというキーワードと結びつけて作品を理解している傾向があることもわかってきました。
7-7 好きの裏に存在していたもの
好きの裏には、実は「好き」という感情とは別の「興味」存在していました。鑑賞するにあたって何か気にかかる関心事があり、それを解明したいという気持ちが「好き」という感情なのだと思っていたようです。
これまで、モネと名のつく展覧会には可能な限り足を運びました。また同じ美術展に何度も訪れました。さらに巡回展で京都にも訪れています。それはモネのおっかけのようで、モネが好きだからだとばかり思っていました。
しかし、次から次に、確認したいことが現れるのです。自分の目で実際に見てから判断したいという気持ちが大きかったのです。
気付いていなかったのですが、自然科学に基づく実証主義の精神が自分の中に根付いていたことを確認できました。実際の体験を通して見極めたい。見ずして語れない。それは他のジャンルに興味を持った時も同じことをしていました。
「好き」と思っていた「モネ」のことを掘り下げていったら、私の中に通底している物事の捉え方がみえたのです。そして私にとってモネは絶え間なく、好奇心を誘発し、疑問を発露してくる画家だったのです。
マネジメント力やリーダーシップの能力として、疑問や問題を常に発露して、周りを巻き込んで発信できることがあげられています。そしてそういう人材が育つ環境作りも大事だと。美術鑑賞において、自分なりの課題をみつけて鑑賞しながら、解決に導いていくというプロセスは、リーダーシップに必要な能力と共通しています。
8 私がみつけた新たなモネ
8-1 晩年の作品は白内障の影響を受けているのか?
晩年モネは白内障を患い手術を受けます。その時、モネの目は、世界をどのように捉えていたのでしょうか?上記の《バラの小路》は、亡くなる1年前に描かれました。白内障によって、モネの目にはこのような世界が広がっていたと考えられています。手術前と後で作風は変わったのでしょうか?
8-2 モネは心の目で描いていた
私の発見・・・
モネは、白内障のため、このタッチ、このような色で描くようになったわけではない。今回、初出品された個人像の「バラの小道の家」の後ろでモネが私にささやきかけてきた気がしました。
晩年のモネの目は「モネが見たいように変換されていた」つまり「心の目で描いていた」ということです。
白内障を患い手術受けたのが1923年。術前、術後に描いたとわかる作品は、実は少ないことが「マルモッタン・モネ美術館所蔵 モネ展」を見た時にわかりました。制作年が、手術をした1923年を挟んだものが多いのです。術後に制作された作品は数点。「バラの小道の家」は1925年制作。数少ない手術後の作品で、亡くなる1年前と明確な作品なのです。
8-3 亡くなる直前まで描き続けた大装飾画《睡蓮》
オランジェリー美術館 睡蓮
オランジェリー美術館 睡蓮
亡くなる直前まで筆を加えたというオランジェリー美術館の大装飾画の睡蓮です。
大装飾画の睡蓮は、亡くなる10年前から着手され、最後まで描き続けていました。どの部分をいつ制作し、加筆をいつどのあたりにしたかはわかりません。しかし、目を患い、手術をした期間、描いていた睡蓮がこの大壁画です。
モネの晩年に見られた激しい投げつけるような筆使い。形のわからない筆致は、この壁画には見受けません。それは、描きたい景色は、心の目の中にあって、それを描きあげたという証だと思うのです。
ひょっとしたら、モネは白内障ですら作風に利用し、抽象画の源流のとなる絵を描くための理由に使ったのではないか… 白内障は一種の戦略手段として利用していたのではないか。ということを、今回より強く感じさせられた「バラの小道の家」と大装飾画 睡蓮でした。
テュイルリー公園内のオランジュリー美術館に収められた、モネが最晩年に制作した「睡蓮」大装飾画
大装飾画の《睡蓮》に着手から10年、亡くなる直前まで筆が加えられました。上記のリンク先にすべての大壁画《睡蓮》を見ることができます。
『モネ展:[1]白内障によるモネの苦悩 と 実際の見え方は? 症状は?』コロコロさんの日記
2015年 マルモッタン・モネ美術館所蔵 モネ展にて晩年作品の作風と色、形、表現について調べました。が、制作年に幅があり、手術後に制作されたと確認できる作品が、なかなかありませんでした。今回展示されている「バラの小道の家」は、制作年が1925年と明確。手術後の画業がわかる貴重な作品。ロンドンの個人蔵で日本初公開。個人的に注目の高い一枚です。
9 モネの世界は、仕事の世界にも拡張
9-1 デジャブ感のある写真
鈴木理策 《水鏡 14, WM-77》(左) 《水鏡 14, WM-79(右)》
2014年 発色現象方式印画
各120.0×155.0cm
作家蔵
©Risaku Suzuki, Courtesy of Taka Ishii Gallery
鈴木理策の『水鏡』の連作。睡蓮の池と水面で反射する空と雲。モネの『睡蓮』を連想されますが、ご本人にはその意識はなかったようです。
フレームを超えて拡散してくイメージの空間。これと同じシチュエーションに、ガーデンミュージアム比叡の庭で遭遇しました。
9-2 水底と宇宙がつながる
水面に映されていた空は、水中に溶け込み、深く深く底へと引き込まれていきます。水底に向かっているのに、その先に見えたのは宇宙空間。底に向かっているはずなのに、空の先の宇宙に誘われた不思議な感覚が起こりました。水平方向に拡大。一方で、空、宇宙、水底の垂直方向にも広がるのですが、それが一体化し融合するという奇妙な感覚に襲われていました。
9-3 大自然の真理から仕事のヒントをつかむ
ここに訪れた時、冷蔵庫をいかに改良すれば、内容物をうまく整理できるかという課題をかかえていました。問題は冷蔵庫の内容物は各家庭によって違うこと。また、野菜など大きな状態から次第に小さく変化します。混沌した食品がひしめく中、改良ができるのか・・・・
モネのこの庭が教えてくれました。
モネの池に映し出される景色は、天気が急変しころころ変化していました。しかし翌日は快晴。天気によって水面も変化します。ところが、その周りの比叡山の景色は、季節による変化があったとしても、山並みそのものは変わることがありません。
豊かな水をたたえた琵琶湖は、湖面に空を映します。これは、巨大なモネ池だと思いました。瞬間、瞬間の変化が湖面に映し出されます。しかし巨大な琵琶湖はずっと変わることなくそこに存在しています。季節が変わり、時間が変わり、天候も変化しますが、変化の中に、常に変わらずに存在しているものがあることに気づきました。
翻って、冷蔵庫の中に入っているものも、一見、目まぐるしく変わっているように見えます。しかしそれらは限りあるもので、入ってくるものは同じ。どんなにバラエティーに富んでいて、家庭によって違っていても、その内容物は有限なのです。買ったものを入れ、使われ小さくなって消費されるというサイクル。流れの本質には変わりはありません。そのことに気づいたら、物の流れに逆らわないシステムを作ればいいということに気づけたのです。
モネの庭からの広がり。これは、私が絵画鑑賞をするようになって、初めて美術鑑賞が仕事につながる!と実感した出来事でした。鈴木理策氏の作品がそのことを思いださせてくれました。
10 モネと現代作家との影響関係をあえて検証しながら見る
10-1 影響関係は、認められる?
モネの影響を受けたと考えられる作品が、横に並んで展示されていると、大抵は、解説されるままに見てしまいます。
しかしそれらは、一つの見方の事例です。そのまま受け入れずに、本当に、影響関係にある?という視点を加えながら見ることも大事ではないでしょうか?
本当にそうなのかな?自分自身の目で、自分の価値観で確かめながら見る。「それはどうなんだろう」疑問に感じるものがあったり、こっちの作品の方が、関連性は強いのでは?そんな見方も、ビジネスマインドを鍛える一つの方法ではないでしょうか?
さらに一巡したら、おかしいと思ったものだけでなくても、全ての作品に対して違うのでは?という視点を加えて見直してみるのも思考の訓練になるのではないでしょうか?
解説された坂本恭子学芸員も、おっしゃっていました。みなさんの新たな発見を発信して下さいと。
10-2 見る立場を変えてみる
「モネの影響を受けてました」「リスペクトしてます」と自ら公言している作家さんなら、モネと関連付けて語られることは光栄なことだと思います。
しかし、意識していないのに、モネから影響受けてますね… と言われたらどんな心境だったのだろうと素朴な疑問を抱いていました。
作家は、オリジナリティーを一番に重視するものと思っていました。「〇〇と似ている」「〇〇の影響を受けている」と言われることを一般的には嫌うのが作家のメンタリティーなのではないかと。
実際に「考えてみたことがなかった」という声もあったといいます。展示されてみて、どんな心境の変化があったのかそんなところも気になりました。
作家とのマッチングも、自分ならこう組み合わせてみるとキュレーション側になって見てもいいでしょう。あるいは、いろいろな素材が使われていますが、素材になって、使われる立場になってみたり、絵画の中に入り込んで、見られている立場になってみたり・・・・、
自分自身を変幻自在に変化させて、立場を変え、見る方向を変えたりしながら、様々な視点を加えるトレーニングをすると、思考の幅や想像力が広がっていくのではないでしょうか?
展覧会情報
展覧会名 :モネ それからの100年
会 期 : 2018年7月14日(土)〜2018年9月24日(月・休)
会 場 名 : 横浜美術館
住 所 : 横浜市西区みなとみらい3-4-1
問い合せ先:03-5777-8600(ハローダイヤル)
開館時間 : 10:00〜18:00
※ただし8月10日(金)、17日(金)、24日(金)、31日(金)、
9月14日(金)、15日(土)、21日(金)、22日(土)は20:30まで
※入館は閉館の30分前まで
休 館 日 : 木曜日 ※ただし8月16日は開館
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この記事のライター
ライター 著書は10冊以上。VOKKAでは専門を離れ、趣味の美術鑑賞から得られた学びや発見、生きるためのヒントを掘り起こしていきたいと思います。美術鑑賞から得られることで注目しているのが、いかに違う視点に触れるか、自分でも加えることができるか。そこから得られる想像力や発想力が、様々な場面で生きると感じています。元医療従事者だった経験を通して、ちょっと違うモノの見方を提示しながら、様々な人たちのモノの見方を紹介していきたいと思います。美術鑑賞から得られることは、多様性を認め合うことだと考えています。