奄美の自然を描いた孤高の画家、田中一村 生誕110年にちなむ展覧会3選
奄美の自然を独自の感性や表現で描いた田中一村は、生前は無名で孤高の画家と言われています。2018年は、生誕110年にあたり、それを記念して、田中一村展が各地で開催されています。「佐川美術館」「岡田美術館」「田中一村記念美術館」3館を紹介します。一村の生き方から何を受け止めどう生かせるかを考えてみます。
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アイキャッチ画像出典:www.photo-ac.com
1. 田中一村って?
生誕110周年ということで話題になっているようですが、まだ知る人ぞ知るの認知度のようです。節目の年の展覧会ですが、広報担当者によりますと、プレス関係者の間でも認知度がまだ低いという印象を持たれたとのこと。
一村の略歴や、ブームとなった経緯など、田中一村展を行っている美術館の方、岡田美術館小林館長のギャラリートーク、それぞれの美術館の資料からまとめてみました。
<略歴>
【栃木時代】…彫刻師の父の元に生まれる
〇1908年(明治41) 栃木に生まれ、幼少の頃から類まれな才能を発揮。
【東京時代】…幼少から、東京美術学校入学まで
〇1914年(大正3) 5歳 一家で東京へ
〇1915年(大正4) 7歳 父の彌吉(号稲村、稲邨)より「米邨」の号を与えられる。
〇1926年(大正15) 18歳 東京美術学校入学。
├同期に東山魁夷や橋本明治。
├わずか2か月余りで中退。
├その後も南画家として活動し、独学で絵を描く。
【千葉時代】…20年写生に没頭
〇1938年(昭和13)30歳 千葉に家を新築
〇1947年(昭和22)39歳 第19回青龍展に「白い花」を出品し入選。画壇デビュー
├米邨から一村へ改名。その後中央画壇に入選することはなかった。
├日展落選
〇1955年(昭和30)47歳 九州、四国、紀州を旅
├院展落選
「私の死後、五十年か百年後に私の絵を認めてくれる人が出てくればいいのです。私はそのために描いているのです。」田中一村
【奄美時代】・・・・亜熱帯の植物や動物を中心に描く
〇1958年(昭和33)50歳 奄美大島に移住。
├紬工場で染色工として働き、蓄えができたら絵を描く。
├亜熱帯の植物や動物を描き続け、独特の世界をつくりあげた。
├絵描きとして清貧で孤高な生き方を通す。
〇1977年(昭和52)69歳 ひっそりとだれにも看取られず、無名のまま生涯を閉じた。
*略歴協力:田中一村記念美術館
無名の画家 田中一村
生前、作品を発表する機会もなく無名のままこの世を去りました。
一度は、第19回青龍展で「白い花」を出品し入選しましたが、次は入選しても、自分がいいと思う作品が評価されず辞退。川端龍子と袖をわかちます。以後、日展、院展の落選が続き、九州、四国、紀州を旅し、奄美に移住を決意し、働きながら画業に専念。
2. 一村が世に知られるようになった経緯
〇1977年(昭和52) 一村69歳で没する
〇1979年(昭和54) 1年半後、南日本新聞連載「アダンの画帖~田中一村伝」中野惇夫氏
├奄美での一村の紹介記事。遺作展の計画
〇1984年(昭和59) 日曜美術館で「黒潮の画譜~異端の画家・田中一村」
├美と風土」のシリーズの中で紹介 反響大
├巡回展により魅力が広がる
〇1986年(昭和61) 『アダンの画帖 田中一村伝』中野惇夫著(南日本新聞社編)
〇2010年(平成22) 千葉市美術館、鹿児島市立美術館、田中一村記念美術館にて「田中一村 あらたなる全貌」開催
├神格化しつつあった一村の実像を再構築
├若者の反響を得る
〇2018年(平成30) 一村生誕110周年 各地で展覧会開催 再注目
3. 一村の何に人は魅了されるのか
30年ほど前のNHK日曜美術館を見て、一村が奄美で描いた絵を見た人は、見たことのない南国の自然の造形やそれらのエネルギーに心を奪われたようです。そして斬新なモチーフを、新しい独自の日本画の手法で表現した作品にも注目が集まりました。
その一方で、多くの人の共感を集めていたのは、一村のストイックな生き方の方だったようです。当時最南端だった奄美に渡り、生涯最後を飾る絵を描くためだけに生きた人生。お金がなくなれば働き、絵具を買うという暮らしの繰り返し。あばら屋に住み、飲み食いは最低限。やせこけて、鎖骨に汗がたまるほどだったといいます。
3-1 ブームの裏に潜む日本人の気質
絵が評価されて評判になったというよりは、独立独歩の信念、ユニークな生き方が、テレビというメディアで全国放送されて人気となったというのが大きな理由だったようです。
ここにブームの裏にある、日本人のメンタリティーを見た気がします。人知れず頑張る。努力する。そして判官びいき。2018年の甲子園、秋田の金足農への注目もそれと同じように思われます。無名のピアニスト、耳が聞こえなくなっても弾き続けるといった苦労話に心惹かれブームのきっかけとなって広がります。
3-2 独自の価値、真の価値に目を向ける人の登場
その一方で、2010年 千葉市立美術館で行われた「田中一村 新たなる全貌」では、一村を全く知らない若い人たちが口コミで来館しました。美術館始まって以来の6万人越えの来場があり、今もその記録は破られていないそうです。若冲と同じような現象です。
そして、2018年 岡田美術館で行われた小林館長のギャラリートークには、80人近くの聴講者が、不便な箱根にもかかわらず集まっていました。
以下、生誕110周年を記念した田中一村にまつわる展覧会を紹介いたします。
《誕生110年記念 田中一村美術展 3選》
├【1】佐川美術館:「生誕110年田中一村展」
1-1 展覧会概要
*会期は終了しております。
2018年は、田中一村の生誕110年にあたり、関西では10年ぶりとなる大規模な田中一村展です。約60年の生涯を俯瞰的に追った回顧展。田中一村記念美術館所蔵作品をはじめ、普段見ることができない個人蔵の作品、約150点が展示されています。
孤高の画家と言われた田中一村の幼少期から青年期にかけては、南画(中国の南宗画に由来する絵画)を描いていた時代がありました。
のちに南画と決別し、新しい日本画への模索の中で、琳派を感じさせる奄美の情景へと変遷していく様子。幼少から晩年の作品がずらりと並ぶ展示は、一村の苦悩の生涯を共に追体験しながら、創作の源や足跡をたどることができます。
1-2 展示構成
幼少期〜青年期にかけての南画、その後の南画との決別から新しい日本画への模索、そして琳派を彷彿とさせる奄美の情景を描いた作品まで、各時代の代表作を含む150点以上の作品を展示。「本道と信ずる絵」を求めた創作の軌跡とその芸術の真髄に迫ります。
第一章 (1915~1930年: 7歳~22歳)少年時代 若き南画家
第二章 (1931~1946年:23歳~38歳)千葉時代 新しい画風の模索
第三章 (1947~1957年:39歳~49歳)一村誕生(米邨から一村に改名)
第四章 (1958~1977年:50歳~69歳)奄美時代 旅立ちと新たなる始まり
1-3 展示品について
佐川美術館には、田中一村に関する作品の所有は1点もなく、0からのスタートだったそうです。田中一村記念館からの貸し出しと、個人所有されている方々との地道な交渉が、150点以上に及ぶ作品の展示を実現したようです。
その中で、田中一村記念美術館に寄託された個人蔵の襖絵が印象に残りました。この襖絵は実際に居室に設えられた状態で再現されています。とてもきれいな状態だったことにびっくりしました。とても大切に大切に保管されていたことが伝わってきます。
孤高の画家と言われる田中一村ですが、他の個人蔵の作品からも、とても大切に保管されてきたことが絵から醸し出されていました。奄美の方を始め、一村をとりまく周囲の人たちに愛され、大切に守り継いでいこうとされている強い意志が感じられます。
作品を見て、個人所有されている方の思いを感じたのは今回が初めてのことです。これだけの数の作品が、個人の元で残されていたことを目の当たりにできたこと。それが所有する人に共通する思いという視点を生んだようです。
来館者は全国から集まっているそうです。訪れたのは8月末の平日でしたが駐車場はいっぱい。第二駐車場に誘導されるほどでした。佐川美術館を見て、岡田美術館にも行くと言われていた方とも遭遇しました。
1-4 開催情報
展覧会名: 開館 20 周年特別企画展 生誕 110 年 田中一村展
会 場: 佐川美術館
開催期間:2018年07月14日(土)~2018年09月17日(月)
開館時間: 9:30~17:00(入館は16:30まで)
休館日 : 毎週月曜日(祝日に当たる場合はその翌日)
所在地 : 滋賀県守山市水保町北川 2891
問い合わせ:TEL:077-585-7800
├【2】岡田美術館:特別展 初公開 田中一村の絵画 ―奄美を愛した孤高の画家―
2-1 展覧会概要
田中一村の生誕110周年を記念し、岡田美術館収蔵の一村の作品すべてが初公開されています。奄美時代に制作された稀少な作品は30点ほどですが、そのうち、岡田美術館収蔵の「白花と赤翡翠」「熱帯魚三種」が展示されています。
さらに「命を削って描いた閻魔大王への土産なので、売ることができない」と本人が語った最高傑作と名高い「アダンの海辺」(個人蔵)が、8/24~9/24の間、特別に展示されています。
2-2 展示構成
一村と通じ合う伊藤若冲、東京美術学校の同級生の東山魁夷、一村が学んだ中国画・文人画・琳派の作品などが同時に展示されています。
1 田中一村の絵画
2 一村と若冲・魁夷
3 一村の学んだ画家たち
4 花鳥の美術
5 東山魁夷
奄美で命の限りを尽くして作り上げた一村の世界。その元になったと思われる様々な作品が、岡田美術館が収蔵する豊富な作品の中から選び抜かれ同時に鑑賞できるまたとない機会です。
東博で行われた『名作誕生-つながる日本美術』は、國華創刊130周年記念イベント。小林館長は國華の主幹です。この展覧会では「名作は突然、生まれたものなど一つもなく名作の裏には、参考となる作品が時代や国を超えて存在し、そこには模倣と苦悩がある」ということが掲げられていました。
一村の美の創出にあたり、お手本や参考となった作品のつながりを実感できる展示となっていました。『名作誕生・つながる日本美術』展で学んだ美のつながりを、主幹の小林館長のおひざ元でも、お話を伺いながら鑑賞させていただくという最高のシチュエーションでした。
2-2 展示品について
岡田美術館の小林館長と、一村との間には、太い太い赤い糸で結ばれていたとしか思えないようなエピソードがたくさんあります。すべてが出会うべくして出会い、貴重な一村の作品が岡田美術館の収蔵となったのだと思われます。
千葉市美術館館長時代に開催された「田中一村 あらたなる全貌」について、千葉市美術館上席学芸員の松尾知子氏と語った対談が図録「田中一村の絵画―関連の画家とともにー」に収録されています。
一村が世に認められていく軌跡や、神話化されつつある一村の実像に迫るエピソードが満載。一村ファンはもちろん、気になりだした方も必見。岡田美術館、主任学芸員の小林優子氏が、お二人のお話を引き出しています。
2-3 開催情報
展覧会名:特別展 初公開 田中一村の絵画 ―奄美を愛した孤高の画家―
会 場:岡田美術館
開催期間:2018年4月6日(金)~2018年9月24日(月・祝)
開館時間:9:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日 :会期中無休
所在地 :神奈川県足柄下郡箱根町小涌谷493-1
問い合わせ:0460-87-3931
├【3】田中一村記念美術館:<特別企画展>生誕110年 奄美への路Ⅱ 田中一村 展
3-1 展覧会概要
奄美の自然を描いた日本画家田中一村のコレクションを常設展示している美術館。現在は、<特別企画展>生誕110年 奄美への路Ⅱ 田中一村 展が開催されており、平成30年9月29日(土)からは第3期の特別展も開催されます。
展示室は、地元の素材をふんだんに使い奄美の高倉をイメージされており、奄美の暮らしや自然を彷彿とさせられる空間になっています。
3-2 展示品について
一村の東京時代、千葉時代、奄美時代の作品を年4回、展示替えされており、常時、約80点の作品をいつでも鑑賞ができる一村の専門美術館です。
現在確認されている一村の作品数は下絵やスケッチを除いて約600点弱と言われています。そのうち200点余が田中一村記念美術館に所蔵され、寄託品、下絵やスケッチ等を含めると約450点を収蔵しているというのは驚きです。
3-3 愛され続ける一村
田中一村記念美術館には、「一村さんへの手紙」という用紙が用意されています。来館者の方が、一村さんにメッセージを送るという素敵な計らいです。毎月5人ほど方々の手紙をWEB上でご紹介されています。
一村さんへの手紙 http://amamipark.com/isson/letter/
美術館の方によると、日曜美術館や、美の巨人たちで取り上げられたことで、奄美に訪れる方も増えたそうです。
3-4 開催情報
展覧会名: <特別企画展>生誕110年 奄美への路Ⅱ 田中一村 展
会 場: 田中一村記念美術館 第1~3展示室、特別展示室
開催期間: 2018年6月21日(木)~ 2018年9月26日(水)
休館日 : 第1・3水曜日
※9月27日(木)・28日(金)は、展示替えのため美術館のみ臨時休館
開館時間: 9:00~18:00(最終入館は17:30)
所在地 : 鹿児島県奄美市笠利町節田1834
問い合わせ:0997-55-2635
4. 田中一村の生き方から何を学ぶ?
4-1 一村は孤高と言われているが、愛されていた
一村は孤高の画家というストイックな部分にスポットが当てられがちです。ところが、親しい人との交流から、死後、地域に認知され始めると、地元の方たちにも受け入れられともて大切にされ愛されていた人だということが、見えてきました。そして今も愛され続け、時代を経て、全国にそのような人たちが増え続けていく画家のようです。人物を知ると、魅力的になってくるのでしょう。
4-2 奄美の空気の中で作品を鑑賞
一村が暮らした奄美の自然、そしてそこに暮らす人たちの息遣いを感じ、一村の体験を追体験しながら作品に触れることで、より一層、一村絵画の真髄が理解できるのだと思いました。
4-3 自分を信じて突き進むこと
今、認められなくても、自分を信じて突き進む。その後に認めてくれる人が現れるのを信じて歩く。若冲は1000年後を見据え、一村は100年後を見ていました。今を見ているのではなく、遠い未来をみつめています。
技術開発なども、最初は誰も見向きもしなくても、その技術や製品のよさを信じて、あきらめず作り続けることによって、評価されたという話をよく聞きます。作品作りやモノ作り、同じなのかもしれません。
4-4 無名の画家は体制に反発 変わり者が多い?
新たな実力派の画家を知った時、なぜこれまで無名だったのかを探ってみると、実力があるのに無名な画家の多くが体制に反発していることが見えてきます。また一癖、二癖あり、一見、人をよせつけにくい雰囲気を持ちながら、同時に人を引き付ける魅力も持ち合わせいます。
そして陽の目を見る時というのは、その裏にメディアの力があることも共通しているようです。
4-5 企画段階のスタートラインの状況
生誕110年ということで、3つの美術館が田中一村を取り上げました。
所蔵品もない、強いパイプもないというところからスタートしたという「佐川美術館」 生誕110周年の今年、収蔵する一村の作品を初公開した「岡田美術館」 一村が晩年を過ごし、画業の集大成を残した奄美ゆかりの「田中一村記念美術館」
それぞれに、作品の所有状態が全く違うところからスタートしていました。そのため向かう方向も違っていて、それらが同時開催されることの面白さがありました。一村をより多角的に捉えることができたように思います。
所有数についても、作品がなければないなりに、地道に交渉を続け、貸し出しを実現してしまう日本の美術館の粘り強さ。限られた数の作品しかなければ、館が所有する作品を活用して展開するというアプローチの仕方も、参考になりました。また、地元は地元の強みで圧倒的な所有数の中から、生まれてくるものがあるのだろうと感じさせられます。
与えられた条件の中で、できることをして、可能性を模索している姿が感じられ、一村と重なる部分がありました。
4-5 今をどう生きるか
信念を貫き、自分を通そうとすると、時流には乗れなくなることも。しかし、真の実力があれば、いつか、それを認めて拾い上げてもらえる時代が訪れるかもしれません。しかし、それが生きているうちに実現するかどうか。時代がそれに気づいてくれるかどうか。仕事や私たちの生活においても、両方のバランスをうまくとっていく必要があるのかもしれません。
時代に合わせて変化を取り入れることも大事。その一方で自分を信じ貫く強さというのことも必要。田中一村の生き方から、自分を曲げないことの難しさ、貫く強さを感じながら、いろいろ思うところがありました。
5. 相互割引
下記のとおり田中一村展チケット半券を提示すると、入館料が割引になります
・岡田美術館半券⇒佐川美術館 入館料100円引き
(一般1,000円⇒900円/高大生600円⇒500円)
・佐川美術館半券⇒岡田美術館 入館料250円引き
(一般・大学生2,800円⇒2,550円/小中高生1,800円⇒1,550)
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この記事のライター
ライター 著書は10冊以上。VOKKAでは専門を離れ、趣味の美術鑑賞から得られた学びや発見、生きるためのヒントを掘り起こしていきたいと思います。美術鑑賞から得られることで注目しているのが、いかに違う視点に触れるか、自分でも加えることができるか。そこから得られる想像力や発想力が、様々な場面で生きると感じています。元医療従事者だった経験を通して、ちょっと違うモノの見方を提示しながら、様々な人たちのモノの見方を紹介していきたいと思います。美術鑑賞から得られることは、多様性を認め合うことだと考えています。