ショスタコーヴィチの生涯の代表作から考える国家と芸術の深い関係
ソ連時代の作曲家、ドミートリイ・ショスタコーヴィチは、スターリン全盛時代からその死後の時代までを生き抜いた不遇の大作曲家としても知られています。国家のイデオロギーが芸術文化をも左右した時代、作曲家はどのように自分の音楽を貫いたか。彼が生涯に残した曲からおすすめの曲を時代ごとにご紹介します。
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ショスタコーヴィチ抜きにして語れない時代
もしも作曲家が、不本意な形式を強要されたとき、彼はいかにしてその強要をすりぬけ、自身の真の創造の狙いを後世に伝えることができるか。こうした政治と芸術の根深い問題は、ショスタコーヴィチを抜きにして考えることはできないのではないでしょうか。ソ連が崩壊してからまもなく四半世紀になろうとしていますが、この20世紀の巨大な出来事が、音楽や美術、文学においてとてつもなく深い意味をもっていることを顧みてもよい時代になっているといえます。
前衛の時代
20世紀ロシアの作曲家、ドミートリイ・ショスタコーヴィッチは、初期には前衛的な作風に傾倒し、メイエルホリド劇場の音楽部長を務めるなどもしました。その時期の代表的な作品のひとつが、ニコライ・レスコフ原作のオペラ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」です。作品は、賛否両論を巻き起こしながらもアメリカ、ヨーロッパで巡回公演され、ショスタコーヴィチの名を不動にしました。しかし性暴力を扱う過激なテーマゆえにスターリンの怒りを買い、ロシアで上演中止になったいわくつきの作品です。
社会主義リアリズムの時代
スターリンの全盛期、ソ連邦では「社会主義リアリズム」の理念にのっとった作品のみが認められ、これに反する思想の芸術家が粛清される出来事が相次ぎます。こうした時期にショスタコーヴィチは、前衛性を控えた従順な作品を発表し、社会主義リアリズムのもっとも理想的な作品として評価されるに至ります。
スターリン後の時代
1953年にスターリンが死去すると、その独裁政治の反動が起こり、極端な芸術文化へのイデオロギー的なしめつけは緩和されました。ショスタコーヴィチは、このスターリンの死に合わせたようなタイミングで交響曲第9番を発表します。この曲は前編を通じて悲劇的で重々しく、あたかもショスタコーヴィチ自信による悲劇的な自叙伝的作品といわれています。
晩年:雪解けの時代
その後、ショスタコーヴィチの最晩年の時代は、いわゆる「雪解け」の時代と重なり、ソ連邦における文化への締め付けは急速に緩和され、やがて連邦崩壊へと向かうことになります。そのショスタコーヴィチ最晩年の作品として名高いのが弦楽四重奏曲第15番です。
ショスタコーヴィチを通して時代を感じる
芸術家が、自身の理想的表現を自由に選択して展開することができない時代と国がありました。現代に日本でそのことに想像を膨らませるのは困難かもしれません。しかしひとりの芸術家としての思想の自由と、国家主義との間の乖離を冷静に顧みることの重要性は現在なお理解する必要があります。このことを、ショスタコーヴィチの生涯の作品を通じて考えてみてもいいかもしれません。
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この記事のライター
藝術文化系のコラム、論評の執筆を多くこなしてきました。VOKKAではインテリアなど、アートに関わる記事を中心に執筆しています。