【プロ野球2015回顧】新安打製造機!秋山翔吾のココがすごい!
2010年に阪神タイガースのマット・マートンが記録したシーズン最多安打記録を、埼玉西武ライオンズの秋山翔吾が5年振りに更新しました。
よく見るとこの秋山の新記録にはすごいものが隠されています。
(本文中、敬称は略しました。球団名は在籍時のものです。)
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イチロー・マートン超え! シーズン最多安打記録更新
今季終盤、秋山は次々と安打記録を更新していきました。
9月13日に史上6人目(7度目)のシーズン200本安打達成、同30日に1試合5安打の固め打ちでイチローの持つパ・リーグ記録を抜くと同時にマートンのプロ野球記録214安打に並びます。そして、10月2日の今季最終戦で新記録となる215本目の安打を放ち、216まで更新するのです。
パ・リーグ記録更新時の5安打で、1試合3安打以上の猛打賞が27回。2010年に千葉ロッテマリーンズの西岡剛の記録に並びました。
秋山を含む200本安打達成者は次の通りです。
名前(所属球団) 安打数 達成年
秋山翔吾(西武) 216 2015年
マートン(阪神) 214 2010年
イチロー(オリックス) 210 1994年
青木宣親(ヤクルト) 209 2010年
西岡剛(ロッテ) 206 2010年
ラミレス(ヤクルト) 204 2007年
青木宣親(ヤクルト) 202 2005年
お気づきの方もいらっしゃるでしょうが、イチローを除く200本安打は全て2005年以降に達成されたものです。
05年は交流戦が開始されて試合数が146試合に増えました。07年以降は交流戦の試合数が減り144試合に、そして今季から143試合になったのです。
つまり、130試合制で200本安打を達成したのは現在でもイチロー唯一人、ということになります。
秋山が200安打を放った9月13日は131試合目でした。200本目の安打があと1試合早く出ていれば、秋山はイチローに並ぶ130試合での200本安打達成者となったのです。
シーズン200安打を達成し、塁上で記念のプレートを掲げ、ファンの声援に応える秋山翔吾
プロ野球新記録となる215安打を放ち、記念プレートを掲げる秋山翔吾
チームの勝利優先! 連続試合安打記録にあと一歩で届かず
秋山があと一歩で大記録に到達できたのは、130試合での200本安打だけではありません。
6月3日から7月12日までの毎試合、安打を放ち続け、31試合連続安打を記録しています。
プロ野球記録は広島東洋カープの高橋慶彦の33試合、パ・リーグ記録は阪急ブレーブス(現オリックスバファローズ)の長池徳二の32試合で、秋山は歴代3位タイとなりました。
この記録が途切れた7月14日の西武プリンスドームの東北楽天ゴールデンイーグルス戦にはドラマがあります。
この試合は6回に西武が2点を先制、7回に楽天が1点を返しますが、秋山は楽天・先発の則本昂大に4打席無安打に抑えられ、そのまま行けば秋山の打席は7回で終了するはずでした。
しかし、楽天が9回に追いついて延長戦になり、本来なかったはずの5打席目が10回に回ってきたのです。
結果は四球。ボール球をファウルにしてヒットを狙うこともできたはずですが、秋山はチームの勝利を優先させて出塁し、中村剛也のサヨナラ本塁打を呼び込んだのです。
7月14日、延長10回の第5打席で四球を選び、連続試合安打が31試合で止まる
7月14日、自身の記録は途絶えたものの、中村剛也のサヨナラ本塁打に喜ぶ秋山(中央)
届け! こころ優しき1番バッターのこの思い
秋山は先にご紹介した福岡ソフトバンクホークスの柳田悠岐と同じ2010年のドラフトで西武に3位で指名されました。現在メジャーリーグのヤンキースに在籍する田中将大、広島の前田健太、読売ジャイアンツの坂本勇人らと同じ世代で、5年目に大きな花を咲かせました。
秋山は野球を教えてくれた父を小学6年生の時に病気で失い、母が弟妹3人の子どもを育て上げたという境遇を持ちます。
そうした経験から西武の地元・埼玉県内に住む母子家庭を対象に、自費で西武プリンスドームの試合観戦に招待する取り組みを行っています。母のおかげで夢だったプロ野球選手になれたので、そうした夢を同じ境遇の子どもたちにも持ってもらいたいという思いがきっかけだったと語っています。
秋山は今季の活躍で同年代の前田健、坂本らとともに侍ジャパンのメンバーに選出されて、世界野球プレミア12でも1番バッターとして打線を引っ張ります。
来季以降に狙うのは、自己の最多安打記録の更新と、青木に次いで史上2人目となる2度目の200本安打達成です。
招待した家族の方たちと記念撮影をする秋山
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この記事のライター
フリーライター。歴史・文学からビジネス、スポーツ等、幅広い分野において執筆を行う。