500年を経て伝わる力強さを感じられる天才ミケランジェロおすすめ5作品
カトリックの総本山、ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂を飾る「最後の審判」を手がけたミケランジェロ。彼の才能は彫刻、絵画、建築と多岐に渡ります。他の追随を許さないルネサンスの天才の作品を紹介します。
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我が道を突き進んだ天才ミケランジェロ
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16世紀イタリアではルネサンスが花開きました。その中で中心的人物だったのがミケランジェロ。本人は自分のことを彫刻家として認識していました。彼の多大なる才能はそれだけにとどまりませんでした。カトリックの総本山であるサン・ピエトロ大寺院の壁を飾る「最後の審判」も彼の手によります。他の追随を許さない力強さは後の芸術家たちに多大な影響を与えました。そんな彼の代表的作品を見ていきましょう。
天才の名を世に知らしめた彫刻「ピエタ」
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ミケランジェロが天才として認識されたのはこの作品から。若干25歳だったミケランジェロが枢機卿に依頼されて手がけたのがこのピエタ像です。ミケランジェロが唯一自分の名前を署名したことでも知られるこの作品。キリストの亡骸を抱き悲嘆にくれる聖母マリアの永遠の若さは見る者に神聖な気持ちを起こさせてくれます。この彫刻作品はカトリック世界の中心とも言えるサン・ピエトロ大寺院に収められ、若きミケランジェロの名を不動のものにしました。
権力に服しない共和国のプライドを表現した「ダヴィデ」
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ローマで成功を収めたミケランジェロ。彼の活躍ぶりを知って仕事を依頼したのは故郷のフィレンツェでした。当時のフィレンツェは市民が中心の共和国としての一歩を踏み出したところでした。北にも南にも大国がいる中で市民の力で立ち上がっていこうとするフィレンツェ。そんな故郷を、ミケランジェロは巨人ゴリアテに丸腰で勝利した少年ダヴィデに託しました。ギリシャ彫刻にも共通する美しい肉体を持ったダヴィデ像は、市民のプライドを象徴するように町の中心地に飾られました。
天才の力が十分に発揮された「天地創造」
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16世紀始めにローマ教皇になったユリウス2世。フランスやスペインなどが絶対君主制を築き始める中で、ヴァチカンの力を誇示するためにサン・ピエトロ大寺院の装飾を手がけます。当時売れっ子の芸術家たちがたくさん参加する中、教皇の依頼を断り続けたのが当時天才の名を欲しいままにしていたミケランジェロです。自らを彫刻家と認識していた彼は、例え天下のローマ教皇の依頼とはいえ畑違いの絵画を手がけるのはポリシーに反すること。しかし最終的には依頼を承諾。手がけられた天井画は彫刻にも共通する力強さを持った作品に仕上がりました。
理想とリアリズムのハーモニー「最後の審判」
ミケランジェロのもう一つのフレスコ画が後年に制作された「最後の審判」です。近年修復が施され、ミケランジェロが描いたオリジナルの絵を見ることができるようになりました。「最後の審判」とはキリスト教の教義で、世界の最後に神が人間の生前の行いを審判することを指します。ミケランジェロの作品の特徴は人間の理想の姿を芸術で表現すること。しかしそれと同時にこの作品で感じるのは、本当にその審判の場にいるかのようなリアリティ。後年になっても彼の作品は衰えることを知りません。
天才が辿り着いた未完の美「ロンダニーニのピエタ」
ミケランジェロは生涯に3つのピエタ像を作りました。最後の作品と言われているのがこの「ロンダニーニのピエタ」です。マリアがイエスの亡骸を抱く姿であることには変わりありませんが、全く異なる像に仕上がっています。若き日に作ったピエタが完璧な姿であるとするならば、これは彫刻として省略に省略を重ねた図。しかしそのシンプルな姿に彼の思いが込められているように感じます。これを制作した時ミケランジェロは84歳。天才が辿り着いた究極の美なのかもしれません。
ミケランジェロの不屈の精神を感じたい
当時の最高権力者でもあるローマ教皇の命令にもすぐには服しなかったミケランジェロ。それは彼が本当に自分の才能を活かすことを知っていたからに他なりません。彼の作品を通してその根底に流れる不屈の精神を感じてください。
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この記事のライター
イタリア政府公認観光ガイド。本場イタリアからグルメ、ワイン、そしてイタリア男のカッコイイ生き様をお届けします。大手外資系企業で勤務中のある日「トスカーナの風に吹かれたい!」と思いつき、キャリアを捨ててイタリアに移住。フィレンツェ公認観光ガイドとして、大好きなルネサンス発祥の地フィレンツェで、現代にも通じる芸術、歴史、ライフスタイルを紹介しています。Twitterでほぼ毎日イタリアの「生」の情報を提供中。