温泉と僕と謎の少女
温泉を掘り当てて人生一発逆転! そんな夢を見ていた「僕」と、突如現れた少女やその他もろもろが織りなす、人生の悲喜劇掌編小説。
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草津温泉の山の中で温泉を掘ろうとし、ツルハシで地面をがしがしやっていたら石油が噴き出した。この時僕が受けた衝撃を共有したい。あなたと共有したい。猛烈な勢いで溢れ出した石油はたちまち麓の旅館の温泉に流れ込み、みるみるうちに湯を原油が覆い尽くしてしまった。だが入浴しているお婆さんたちはそんなことにも気づかず「やっぱり温泉に入ると肌がつるつるだわー」などと言って浮いている原油の層を体に塗りたくっている……目の前でお婆さんが体に原油を塗りたくっている衝撃を共有したい。あなたと共有したい。
僕は当然、このままではいけないと思ったのだ。温泉を掘り当てて一発当てようと思っていたのに、このままでは旅館の温泉をいたずらに汚染し、あまつさえお婆さんたちに誤解を与えて意味のない喜びに溺れさせる事になる。それは心苦しいし、なにより原油を無意味に浴びせられてることがバレたときの報復を僕は恐れはじめていた。というのも、最近草津温泉にはお婆さんの姿に偽装した猪が出現するという噂が絶えず、老婆と猪を見分けられずにうっかり接近し、牙で突殺されたという犠牲者も絶えなかったからだ。恐ろしい事だ。もしあのお婆さんたちが猪であったのなら、その復讐は言葉に表しがたいものになるだろう。
混浴! この響きを共有したい。あなたと共有したい。僕はできるなら今すぐ原油のたまり場になったその温泉に火を放ち、猪疑惑のあるお婆さんたちを焼き殺したかった、だがその判断が一瞬遅かった! 更衣室へと続く出入り口の引き戸が開き、中から原油が怒濤の勢いで吹き出してきたのだ。
「この温泉は、もともと人間と原油の混浴だったのか!」
そして押し流されてくる原油の濁流にお婆さんたちは狂喜乱舞、「つるつるするわー!」と叫びながら原油を浴び、飲み、跳ね回る。この光景を目の当たりにした驚愕を共有したい。あなたと共有したい。
「め……メリークリスマス!」僕は叫んだ。叫ばずにいられなかった。なぜか! そう、サンタが現れたのだ! いつしか日は沈み、深夜十二時! そう、今日はクリスマス・イヴ! 聖夜! この温泉に雪が降りはじめ、その上空にはトナカイに引かれたソリが! そこに座るサンタが!
「メリークリスマス、くそ野郎ども!」サンタは言った。そう言ったんだ。僕はそれを聞き、打ち震えていた。サンタが実在した事に衝撃を受けたからではない。サンタは原油で汚れた温泉に、火の雨を降らし始めたのだ!
「年老いてなお、夢を信じているあどけないお婆さんたちに、光あれ!」
それからの光景は壮絶だった。できれば共有したかった。あなたと共有したかった。温泉は火の海となり、お婆さんたちは炎に包まれ暴れ回った。だが年の功なのか……お婆さんたちは一度旅館に逃げ込むと、夕飯の鍋や魚を持ってきて、それを火に掛け始めたのだった。煮えた鍋、焼けた魚を食べ始め、信じられない勢いで新陳代謝し、たちまち火傷が治ったとき、僕はやはりこいつらは猪だと確信したのだった。人間のなせる業ではない、こいつらは獣だ!
火は燃え広がり、山は焼け、旅館も燃え始めている。もはや進退は極まった。お婆さんらは宴を繰り広げ、なす術もなく傍観する僕、そしてサンタは破壊を叫び続ける。もう、やめて、やめてくれ、僕はこんな事は望んでなかった、ただ温泉を掘りたかっただけなんだああああああああっ! と共有したい。あなたと共有したい。するとサンタが微笑んで、言うのだ。「では、あなたの願う物を一つだけプレゼント」そう言ってサンタは僕の視界から消えた。
まさか、サンタさん、あなたは……最後に、僕の望む世界を? 穏やかで、温泉のある居場所をくれるというのか? しかし答えはなく、サンタは去り、僕は取り残された。……目の前には相変わらず燃えさかる原油が広がり、お婆さんたちはもはや正体を隠す事をやめ猪となって鍋や魚を貪っている。どういうことだ! 話がちがくないか!? だがしかしそのとき、僕は見てしまった! 猪の群れの中、一人だけ、お婆さんの正体が猪ではなかったのを! そのお婆さんは、ああ、お婆さん、あんたは、温泉美人だったのか!! サンタよ、お前が俺に与えたのは、感情を共有できる相手だったというのか!!
だが、無茶振りもいいところだ……この温泉美人と感情を共有するためには、まず、猪に囲まれている火の海の中の彼女をとりあえず救わなければならないぞ! 猪は獰猛で、もはや鍋ごと鍋を食ってる! しかも言うまでもなく火は熱くて近寄りがたいし、これも言うまでもないが温泉美人は全裸だ! 僕が近づいてもちょっと引かれる可能性がある! サンタよ! これがあんたの望んだ状況というのなら、お前はサタンだぞ! というオヤジギャグを言う僕、今年で31歳。しょうがないよね。でもどうしょもないよね。こんな年にもなって、温泉掘って人生一発逆転狙おうなんて、普通に考えておかしいよね。そんな僕が、スーパーマンみたいに、火の海の中の温泉美人を救って、感情を共有し合おうなんて。無理だよね。僕なんて。
「そんなこと……ないよ」
後ろから、声がした。
僕は振り向いた。そこには、ちょっとミステリアスな少女がいた。
「君は、一体……」僕はとまどった風をよそおって言った。でも内心、ガッツポーズをしていた。僕はこういう展開を待っていたんだ! ノーリスクで、勝手に現れてくれて共有できる人物を! しかも少女! サンタでかした!
「私は……あんたが勝手に石油を掘った、この山の土地の権利者の娘だ!」少女は言った。
「えっ……」
「貴様が石油の存在を知らしめた事には感謝する、こんな山に石油が眠ってるとは思わなんだ。だが麓の温泉宿の火災の被害や、この山を焼いた損害は全てお前が弁償してしかるべきだし、当然そうさせるべきだから、貴様に今すぐ生命保険を掛けて殺すことにする!(わたし、すごく説明口調でしゃべってるけど、気にしたら殺す!)」
「待ってくれ!」僕は必死になって彼女の肩を掴んだ。「共有すれば分かる! 僕と共有してくれ!」
「触るな! 焼け死ね!」少女は僕を麓の燃える温泉に蹴り落とした。
僕は坂を転がり落ち、燃えさかる湯の中に勢いよく落っこちた。
「ウギャアアアアアアアアアアア!」僕は全身を炎に包まれて狂乱し、とにかく湯から上がろうともがいて進んだ。猪たちは僕を餌だと認識し、牙をむいて襲いかかってきた。獰猛な猪たちに小突かれ、はね飛ばされながらも僕は温泉から上がり、息も絶え絶えになりながらシャワーで体を流した。だが原油にシャワーは焼け石に水、水と油、共有できない僕に猪の群れだ。
「誰か……誰か助けて!」
がむしゃらに辺りを見渡して、目に留まったのは、浴場の隅で縮こまっている温泉美人だった。僕にはもはや判断力は残ってなかった。這うようにして温泉美人に駆け寄ると、ただひたすらに、助けてくれ、と連呼した。
「そう言われても……私だって、気配を消すのに必死だったのに!」温泉美人は怒る。
「ちくしょお! ちくしょおおおおお!」僕は床のタイルを殴った。当初のプランでは、彼女を格好よく助けて、感情を共有するはずだったのに。浅ましくこっちが助けを求めた上、八方ふさがりとは見下げ果てたもんだ!
僕と温泉美人は既に猪に囲まれていた。猪たちは舌なめずりし、みな刃のような歯を覗かせていた。
僕「死にたくないーーーーーーー!」
温泉美人「死にたくないよーーーーーー!」
その様子を、サンタは空から見ていた。
「どうやら感情を共有できたようで、よかったよかった」
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この記事のライター
小説家。「ネオ癒し派宣言 劇団無敵」主宰。油絵も描いてる。