伝説ロック【THE VELVET UNDERGROUND】退廃的な時代の花
【温故知新】:古い物事を究めて新しい知識や見解を得ること。(広辞苑) 古きをたずね新しきを知る、ロックもまたこれ然りでございましょう・・・
60年代、混沌とした時代に咲いた妖花、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのお話でございます。
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ヴェルヴェット・アンダーグラウンド
ヴェルヴェット・アンダーグラウンドは1964年、アメリカはNYで結成されました。ルー・リード(vo.gt.)ジョン・ケイル(bs.)スターリング・モリソン(gt.)アンガス・マクリーズ(dr)の4人で結成され、半年ほどでアンガスが脱退しモーリン・タッカー(dr)が加入しました。
レコード会社の作曲家をしていたリードと前衛的な音楽のケイル、異色の組み合わせが相乗的な効果を生み出しました。タッカーのドラムも特徴的で、アフリカンドラムにも造詣のある彼女のシンプルで民族的なリズムが他の楽器にも波及してシンプルになっていきます。そこにケイルのドローン音やリードの歌詞が重なり、独特の音楽を確立しました。
伝説のアルバム
ヴェルベット・アンダーグラウンド・アンド ニコ(45周年記念ニュー・デラックス・エディション)
2,563円
ジャケットを見ると確認できますが、バンドを世に送り出したのは当時彼らに目を付けたアンディ・ウォーホルでした。ウォーホルが企画するイベント「エクスプローディング・プラスティック・イネヴィタブル」で彼らを演奏させます。これがNYの一部の文化人たち等に話題になりました。
そしてウォーホルのプロデュースでデビューアルバムが制作されることになりました。
アンディ・ウォーホル
ウォーホルはリードとケイルが懸念を示す中、ドイツ出身のモデルであるニコをバンドに参加させました。そして1967年、デビューアルバム「THE VELVET UNDERGROUNG & NICO」を発表。アルバムジャケットのデザインもウォーホルが手がけました。
アルバムは多様性に富んだ素晴らしいものになりました。リードの時代の闇を包み隠さず露呈した歌詞、ケイルのドローン音、タッカーのシンプルなリズム、多次元に吸い込まれるような魅力的な作品です。
「ヘロイン」や「僕は待ち人」のようなドラッグ文化の実態を歌ったものや、中には「サンデー・モーニング」のようなポップで美しい曲もあります。そしてアルバム中4曲ニコがヴォーカルを担当しています、懸念されてはいましたが、彼女の深い声とロボットのような拙い歌い方がバンドの音と不思議な調和を見せ、魅力的です。
ウォーホルとの決別
秀逸なアルバムでしたが商業的には失敗、3万枚ほどのセールスに終わります。
そのこともあってバンドはウォーホル、ニコと決別することになりました。
1968年セカンドアルバム「ホワイト・ライト/ホワイト・ヒート」を発表します。前作よりも煤けたサウンドになり、「シスター・レイ」のような17分にも及ぶ作品もあります。より前衛的でノイジーな作品になり、デビューアルバムほどの完成度の高さはありませんが、良い意味で無秩序な作品になりました。またこの頃すでに彼らに注目していたデヴィッド・ボウイが曲をカバーするなど、アーティストの間でも知られるようになっていきます。
しかしアルバム制作中にリードとケイルの関係が悪化していき、結局このアルバムを最後にケイルは脱退することになりました。その後4枚目のアルバム「ローデッド」を最後に、バンドを主導してきたリードも脱退、バンドは解散に向かっていきます。
ホワイト・ライト/ホワイト・ヒート(45周年記念デラックス・エディション) Limited Edition, Original recording remastered
¥2,563
「花の命は・・」
ヴェルヴェット・アンダーグラウンド「僕は待ち人(I'm Waiting For The Man)」
60年代後期、退廃的で混沌とした時代にひっそりと咲き散っていった「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド」彼らの音楽は当時は商業的に大きな成功を収めることなく終わりましたが、当時そして後の多くのアーティストに及ぼした影響は計り知れません。 ニューヨークでパンクが生まれた事も彼らの影響が一つの要因でもあったでしょうし、それがロンドンに飛び火しあのパンクムーブメントを引き起こした事も。
芸術は時を経るごとに熟成し評価も高くなっていきます、そんな彼らの音楽は現在に至るまでのロックの歴史の中に、数多くの種を遺していったのではないしょうか。