【部下をもったら手にとろう】ビジネスに効く、マキャベリ『君主論』の厳選フレーズ
部下をもつビジネスマンのバイブル、マキャベリ「君主論」から使えるフレーズを厳選しました。
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部下をもつ人間のバイブル「君主論」
マキャベリの「君主論」は、ギリシャ・ローマの時代やイタリアの同時代史での実例を分析し、君主の行動とはいかなるものが適切であるかを論じた名著です。西暦1500年頃の著作ですが、現代にも通用するフレーズがふんだんに登場します。ここでは、「君主論」(岩波文庫 – 1998/6/16ニッコロ マキアヴェッリ (著), Nicoll`o Machiavelli (原著), 河島 英昭 (翻訳))から、部下をもつビジネスマンが是非参考にすべき、厳選フレーズを紹介します。
風景を描こうとする者たちは低い平野に身を置いて山々や高知の特性を見極め、低地のそれを見極めるためには山々の上の高みに身を置きますが、まさにこれと同じように、人民の本性をよく知るには、君主であることが必要であり、また、君主たちのそれをよく知るには、人民であることが必要なのです……。
人間の本性においては、施された恩恵と同様に、施した恩恵によっても、義務を感じあうものなのである。
逆説的ですが、人間は、相手に「してあげた」分についても、義務を感じるものであるという指摘です。誰かに恩義を感じてもらい、その忠誠を求めたいときには、与えるばかりではなく、自分に対して相当な労力を与えさせるのも一つの手段なのかもしれません。部下を抱えるビジネスマンにとって示唆に富むフレーズですね。
出典:u-note.me
君主たる者は、おのれの臣民の結束と忠誠心とを保たせるためならば、冷酷という悪評など意に介してはならない。なぜならば、殺戮と掠奪の温床となる無秩序を、過度の慈悲ゆえに、むざむざと放置する者たちよりも、一握りの見せしめの処罰を下すだけで、彼のほうがはるかに慈悲深い存在になるのだから。なぜならば、無秩序は往々にして住民全体を損なうが、君主によって実施される処断は一部の個人を害するのがつねであるから。
最近のトレンドとは大きくかけ離れていますが、「君主」には冷酷さが必要であるとマキャベリは説いており、「君主論」では、ここのフレーズが一番有名といっても過言ではないでしょう。組織や団体全体の秩序を定量的に捉えて、効率的に「害」を少なくしようとするマキャベリの合理的な姿勢が表れていますね。
軽蔑を招くのは、一貫しない態度、軽薄で、女々しく、意気地なしで、優柔不断な態度である。これを、君主は、暗礁のごとくに、警戒しなければならない。そして自分の行動が偉大なものであり、勇気に溢れ、重厚で、断固たるものであると認められるように努めねばならない。
この指摘も、様々なところで見かけるものですね。トップに立つ者の態度が一貫していなかったり、優柔普段だったりすると、部下の信用は得られずに、誰もついてこないことになってしまいます。部下のいるビジネスマンは、これを機に自分の態度の一貫性について見つめ直すのもいいかもしれません。
出典:menzine.jp
あなたから見て、側近があなたのことよりも自分のことのほうを考えているときには、またすべての行動においてひたすら自分の利益を追求していることが明らかなときには、そういう輩は忠実な側近になるはずがなく、断じてあなたは信頼してはならない。〔中略〕君主も、彼を忠実に保たせるためには、側近のことを思いやり、その名誉を称え、彼を富ませることによって、自分への恩義を深めさせ、数々の地位と任務とに彼を与らせて、君主がいなければ自分が存在し得ないことを、そして多大な名誉がそれ以上の名誉を望むことがないように、多大の富がそれ以上の富を望むことがないように、また多大な任務が政変の生ずることを彼に恐れさせるように、配慮しなければならない。
現代においては、良い部下の見分け方として使える視点なのではないでしょうか。部下を思いやって名誉を与えなければならないという点にもしっかり言及されていますが、やはり「君主本位」な印象は払拭できず、冷酷な印象を受けます。何をもって「信頼」というのか、考えさせられるフレーズですね。
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